見出し画像

中世ハンガリーにおける復活の典礼劇.――謎の写本「Futaki Graduale 1463」とハンガリー土着の典礼歌――

はじめに

TwitterのTLにおいて(2022年10月10日)、復活やイースターの話題を投稿している方がたくさんおりました。これは本日付で放送されたラジオ番組「古楽の楽しみ」の影響のようです。私は朝の番組を聴かないため全く門外漢なのですが、自前のイースターに関する面白い話題があって、前々から note や Twitter で呟こうと考えていたので、今日を機会に投稿してみることとしました。
前回までコンポステーラの音楽について連載していたのですが、こういう事情をふまえて、今回は復活劇を、しかも中世のハンガリーに関連する復活劇をあつかってみます。イタリアやフランス、ドイツなどと比較するとハンガリーにおける中世の教会音楽というものは馴染みが薄いかも知れません。しかし、ハンガリーは実に充実した教会音楽の世界を形成してきました。今回はハンガリー教会音楽史上、最も謎に包まれたといってよい典礼写本、それから最も歴史の古い土着聖歌に目をむけ、その興味深い世界に足を踏み入れてみませんか?


Magyar Gregoriánum 4 (Gregorian Chants From Medieval Hungary - Easter). 
László Dobszay / Janka Szendrei / Schola Hungarica.
今回あつかう復活劇の録音が収録されています。
画像はLP版。筆者はCDを所有しています。
https://www.discogs.com/ja/release/3841273-Schola-Hungarica-Magyar-Gregori%C3%A1num-4-Gregorian-Chants-From-Hungary


1.謎の中世写本 Futaki Graduale 1463

この世には数々の謎めいた写本がありますが、この記事で言及する写本もまたそのひとつ。その名も「Futaki Graduale 1463」です。
Futaki Graduale 1463 はイスタンブールの Topkapı Sarayı Müzesi に所蔵される典礼書で、著者は Ferenc Futaki に帰せられます(1463 年作)。
この写本が特異な内容と歴史を有していると評価される理由には、次のような事情がかかわっています。まず、本写本はラテン語によるローマ聖歌を数多く収録していますが、なぜか各所にハンガリー語の詞章が散りばめられているのです。また、この写本が一体どこで、どういう理由で、 どういう人たちのために作られたのか、そして何故イスタンブールに置かれているのか、そもそもどのような場面で用いられていたのか。これらについてもまた、一切明らかではありません。 したがうに、 Futaki Graduale 1463 は全く謎の写本であるといえるのです。

Topkapı Sarayı Müzesi.
日本ではトプカプ宮殿などと表記されます。
https://www.timeout.com/istanbul/tr/muezeler/topkapi-sarayi-muezesi.


2.Futaki Graduale 1463 に射した研究の光と典礼劇の特徴

このような事情のため、Futaki Graduale 1463に対する詳細な研究成果は長らく不在でした。しかし、2019年に Andrea Kovács (リスト・フェレンツ音楽大学)氏が Futaki Graduale 1463 の内容を網羅的に調査したモノグラフを発表し、この写本に収録された聖歌と他の写本に収録された聖歌との比較検討がおこなわれたのです。

今回紹介する「Quis revolvet nobis」は、イエスの復活を主題とした典礼劇の一場面です。Andrea Kovács 氏によれば、その詞章は13世紀のドイツで制作された Helmstedt 写本収録の典礼劇に類似しており、 このことから Futaki Graduale 1463 の典礼劇はドイツにおける典礼劇の影響下にあるといいます。

「Quis revolvet nobis」.
Futaki Graduale 1463. f 93.

よく知られるように、ドイツと典礼劇の間には深い関係があります。たとえば、ボイエルン写本(Carmina Burana の名で知られています)には、イエスの受難を主題とした受難劇が収録されており、現代でも数年おきに典礼劇の祭典をおこなっています。ハンガリーの典礼劇も、如実にドイツの典礼劇の影響を受けているといえるのです。

Futaki Graduale 1463に収録されている典礼劇「Quis revolvet nobis」は、磔刑にかけられたイエスが3日後に復活した、あの重要な場面を主題としています。
復活の場面はヨハネによる福音書やマテオによる福音書に詳しく書かれています。個人的な印象では、Futaki Graduare 1463 の典礼劇もこれらを参考にしたと思われ、登場人物には女たち、天使たち、イエス、弟子たちがいます。このうちの"女たち"は、マグダラのマリアとマテオの福音書に「他のマリア」と書かれる女性(ヤコボのマリア)を指すと思われます。また、福音書では弟子たちがマグダラのマリアに話しかける場面はありませんが、劇作品ということを踏まえてか両者のやりとりが挿入されています。
Futaki Graduale 1463 では各役に演者の指示がなされており――たとえばイエスの台詞の直前には「Magister」の字がみえる――、配役に際してはさまざまな取り決めがあったことが想像されます。


3.Schola Hungarica によるアレンジ

ところで、この曲を演奏したSchola Hungarica は、歌詞を一部変更したり、追加したりしているようです。そのことに対する詳細な説明は、ライナーノーツには一切書かれていないので、以降の記述は私自身の管見となります。
私見によれば、Schola Hungaricaのおこなったアレンジは意図的であり、また、そこには作品それ自体の性格や内容が著しく関与していると思われます。そしてまた、そのアレンジはハンガリーにおける教会音楽の歴史と深い関与をみせている点で重要であり、しかも巧妙であると考えています。

1.ひとつめのアレンジ: 歌詞の変更
アレンジ場面は二箇所あります。
ひとつは受難劇の最後に近い場面のことで、写本の指示に随えば「Surrexit Dominus de sepulchro,qui pro nobis pependit in ligno, alleluia」と歌われるべきところが、「Angelicos tetes, sudarium et vestes: surrexit Christus, spes mea, precedet suos Gallieam.」に改変されています。
本来のかたちである前者「Surrexit Dominus de sepulchro……」は復活の聖歌「Surrexit Dominus」からの引用です。対する後者「Angelicos tetes……」は「Victimae Paschali Laudes」の引用で、こちらも復活の聖歌です。おそらく、この置き換えは意図的です。その説明のためには、もうひとつのアレンジについて注目しなくてはなりません。

「Surrexit Dominus」.
Futaki Graduale 1463. f 113.
Victimae Paschali Laudes. 
Futaki Graduale 1463. f 258.

2.ふたつめのアレンジ: 曲の追加
Schola Hungarica は曲の最終部分に、「Krisztus feltámada」というハンガリー独自の聖歌をとりいれています。「Krisztus feltámada」はハンガリー教会音楽史上、最も古い歴史を有した土着の聖歌です。この歌はジグモンド時代の写本断片 Zsigmond-kori töredék (1437–1440作)の上部隅に、ドイツ語、ポーランド語、チェコ語とともに、古い書体のハンガリー語で書かれています。詞章の内容は復活祭の民謡であり、聖歌「Victimae Paschali Laudes」を源泉としているものと推測されます。

「Krisztus feltámada」.
この写本の上部に歌の詞章が書かれています。
http://nyelvemlekek.oszk.hu/adatlap/zsigmondkori_toeredek
歌の詞章を浄書したもの。
「Krisztus feltámada mend ën nagy kínnyábalol,
azon mi ës erëllyünk, Krisztus legyën reményënk. Kirijë elëjszon.」
http://nyelvemlekek.oszk.hu/adatlap/zsigmondkori_toeredek

3.アレンジの意図にかんする結論
ここでひとつ目のアレンジの意味が明らかになります。Schola Hungarica は聖歌「Victimae Paschali Laudes」の歌詞を典礼劇に導入していました。それは後続するハンガリーの土着聖歌「Krisztus feltámada」の導入を準備するものであったのです。
では、Schola Hungarica はなぜ「Krisztus feltámada」を挿入したのでしょう? ハンガリー音楽の研究家である Benjamin Rajeczky はライナーノーツにおいて、おそらく中世の受難劇においては、劇の最後の場面で聖職者も民衆も一堂に声をあげて讃歌を歌ったであろう、と推察しています。
推測ですが、Schola Hungarica はこのことを踏まえ、ハンガリー固着の、そして復活を讃嘆する聖歌を歌ったのだと思います。ちなみに、演奏では件の「Krisztus feltámada」の部分が全員で、しかも多声的に歌われていますが、それは Benjamin Rajeczky の解説の意味するところでしょう。


おわりに

今回の記事では、中世に制作された謎の写本、Futaki Graduale 1463 の典礼劇を紹介しました。この写本の魅力、作品の魅力、そして演奏に込められた巧妙な宗教的・音楽的意図の素晴らしさが伝われば幸いです。
 
ちなみに、動画内の映像では実物の Futaki Graduale 1463 より、典礼劇「Quis revolvet nobis」、アレンジのために引用されている復活の聖歌「Victimae Paschali Laudes」、そして Zsigmond-kori töredék に書かれた古い復活祭のハンガリー土着の聖歌「 Krisztus feltámada」の三種の写本が紹介されています。

※動画内「Rabonni」の箇所に誤殖があります。
また、同じチャンネルではカルミナ・ブラーナ写本収録の典礼劇(Ens. Organum)も公開しているので、興味ある方はぜひそちらもどうぞ。

 


補遺1.歌詞と対訳



補遺2.Schola Hungarica について

日本における Schola Hungarica の知名度がどれほどのものか。あくまで推測ですが、あまり有名ではない気がします。というのも、彼らは主としてハンガリーのレーベルから作品を発表しているからです――HMなどからも出してはいます――。しかしながら、彼らの学術的アプローチは素晴らしいものだと思いますし、その柔かい演奏もたいへんな魅力だと個人的には感じています。
現在の動向は不明ですが、Hungarian Academy of Sciences' Institute of Musicology の旋律史部門(現:Institute for Musicology of the Hungarian Academy of Sciences)は、中・東欧におけるグレゴリオ聖歌の方言の研究をおこなっていたようです。主として五線譜を用いた中世後期の資料を分析することによって、それらがどのようにして地域的に広まったか、あるいは、その特徴や相互の関係を研究していたようです。
Schola Hungarica はこれらの研究成果をハンガリーのレーベルである Hungaroton から発売し、「ハンガリーのグレゴリオ聖歌集」として従来知られていなかった中世ハンガリーの聖歌を紹介しました。また、彼らのレパートリーは古ローマ聖歌、べネヴェント聖歌、アンブロジオ聖歌、ハンガリー周辺国の聖歌などにも及ぶほか、ハンガリーの伝統音楽や20世紀作品も演奏しています。
László Dobszay(1935~2011)と Janka Szendrei (1938~)を監督として1969年に発足した彼らは、近年においても活躍をみせています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?