ロラン・バルトを読んだ時期
バルトの本を集めた時期
バルトの本を集めた時期がありました。
それはコレクションしておきたい、という欲望からで、テクストへの溺愛ゆえではありません。とはいえ倒錯的な欲望でもなく、馴染の古本屋に大量にバルトが売り払われていたから、ざっと買っていったというだけのはなし。たくさん買えばお店への感謝にもなるだろう、という思いもあったはず。
『恋愛のディスクール』(1980年)
私が初めて読んだバルト。高校1年生の時だったと思います。
「恋愛にかかわるディスクール(言説)が今日、極度の孤立状態におかれている」(3)。バルトはこの考察に立って本書を手掛けました。何度読み返しても新鮮なのは、その孤立状態はますます悪化しているようにみえるからかも知れません。
この本は私が初めて買ったバルトであり、のちに馴染の古本屋で購入し、恋人にお贈りしました。
『偶景』(1989年)
偶景は原題『INCIDENTS』に与えられた仮初の訳語。accidentほど仰々しくはないにせよ、しばしば不安を煽ることもある些細な出来事の意。
表紙について。
表紙はバルト本人の水彩画。音楽を思わせるような筆致が楽しく、明るい印象。私は新宿の柿傳ギャラリーで彼の絵を観たことがあります。「明るい部屋 絵を描く ロラン・バルト展」と題された展示。
なかなか面白い組織が支えていた展覧会でした。会場には会員名簿もおかれていた記憶があります。
『テクストの快楽』(1977年)
好きなパッセージが多い一冊。
テクストの快楽に「二度目もわれわれを楽しませるという保証はない」(99)と言っています。また、「毀れやすい」、「はかない」(どちらも99)とも。ひょっとすると、これはラカンの<享楽>を念頭に置いているのかもしれません。他方で、刹那的に燃え上がらせる一度きりの「悦楽」とも異なることを明記しています。したがうに、テクストの快楽とはアウラであり、それとの戯れとも言いうるかも。
ちなみに<作者の死>といえばエッセイ「作者の死」が有名ですが、本書でも作者の死が言及されています。
『テクストの出口』(1987年)
「人はつねに愛するものについて語りそこなう」、「イメージ」、「作家、知識人、教師」。面白いエッセイや講演録が収録された一冊。
よく読み見返すのが「省察」。バルトの日記です。特に料理に対する言及に目がいきます。
バルトは焦げを怖れて油を多く入れていたらしい。
肉にちゃんと火がとおるか不安で焼き過ぎることが多々あったよう。
じゃが芋より米を煮る方が好き。17分煮ればよいうことを知っているから。
バルトと日記といえば、母の喪が思い起こされます――『明るい部屋』もまた――。『省察』にも母親にかんする言及が多く見出されます。「ママの誕生日。私は庭のばらの蕾しかプレゼントすることができない」(229)。
バルトによれば、日記が長く続いた時期は母の病気の深刻化した時期と重なるといいます。「エクリチュールによって不安を根絶しようというカフカ的意図」(224)。テクストの快楽の恩恵と換言できるかもしれません。
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