火車/宮部みゆき を読みました。

※ネタバレありです。

 バクマンで少年漫画の描き方について描かれたシーンで、「敵役にも魅力があること」というのがあった。ミステリー、サスペンスでいうなら、犯人役の動機が、共感が出来るようなものであるか、と言えると思う。

 共感できるか、感情移入できるか、理解できるか、ということについては、結局「自分の価値観とあるていど似ているものであれば」という制約がともなう。Amazonなどの感想レビューを読んでいて、「そこが面白いポイントなのに、なにをそんなに理解できない分からない分からないと連呼しているんだ・・・?」と感じるものがあるのはそういう理由だ。

 犯人というか、主人公の遠縁の婚約者である新庄は、親の住宅ローンの借金から借金が火の車の状態となった。高校の卒業もまともにできないほどの借金取り立て、一家は離散、結婚が決まるも取り立て屋が再来し破断、風俗業に従事させられ、人生を一新することを決意する。たとえ誰か他の人間の命を奪っても。

 母子家庭の娘の関根。「ただ幸せになりたかっただけなんだけど」。錯覚を見るためにクレジットカードで物を買い、気が付けば自己破産を申請する状態に。故郷にのこした母親は孤独に飲酒を重ね階段から落ち事故死した。そして身寄りが亡くなった状態を新庄に見つけられすり替わり先としておそらくバラバラにされている。

 自分がこの小説で印象にのこったシーンの1つは、スナックで働く関根の同僚の話だ。整形を10回以上重ねて、美貌を手に入れたら幸せになれると思っているもの、出世すれば幸せになれると思っているもの。「でもそいつらのいう幸せなんてそんなものでは手に入らないじゃない?」。東京タラレバ娘で「いつまで幸せになりたいなんて言ってるんだ。そんなものは存在しない。」というセリフがあったことを思い出す。

 幸福感を感じる条件とは名声や高価な物ではないということをどこかで知らねばならない。幸福とはそういうものではないと。それを知っていて行動していても、親の作ったマイホームの住宅ローンに追い詰められる事情も発生する。

 んーーーこの感じ、映画のJOKERを見た時と同じ感覚か。悪役が、悪事を働くにいたる過去が説明され、これはたしかに、悪人になるなと納得する。しかし悪事は許されるものではない。まあ小説だし、別にハウツーを書いているわけではない。なんにせよ、素晴らしい小説であり芸術だ。宮部みゆきさん、さすがである。

 にしてもある種、サスペンスやミステリには、悲惨な家庭環境は定番と言えるのかもな。東野圭吾の白夜行もそうだったな。そして当然それは現実でも然りと。

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