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一緒に仕事をする(1)

課長時代の思い出

今から17年も前のこと,わたしは晴れて課長に任命されました.その4年前に課長相当職には任命されていたので職位としてはそんな大きな変化ではなかったのですが,やはり部下を持つということでずいぶん緊張しました.
当初は10名くらいの部署だったのですが,企業研究所ということもあり,職制がダイナミックに変化し,最終的には30名弱の大部隊をリードする立場となりました.部長に任命されるまでの6年間の中で思い出されることを記したいと思います.

出張続き

課長に就任した初年度に同じ会社の別の研究所で大きなプロジェクトが始まり,それにも参画することとなりました.これはわたしにとって大きなチャレンジでした.週に一度は他研究所に出張し,そちらのプロジェクトへの寄与も求められるようになりました.そのうちに,他研究所のでかいプロジェクトの分科会のリーダを任されることとなりました.
もとの研究所にもいろんな仕事があります.それに加えて,出張で週一で一日つぶれるとなるととてもではないですが,仕事があふれてしまいます.自分の性格としてなんでも関わっていたいという,野次馬根性的やっかいなせいかくですので,途方にくれました.このままでは,二兎追うものはの格言そのものになってしまいます.悩みました.

マネジメントのコツ

わたしの決断はまず,『全部自分で抱え込まないようにしよう』です.
元の研究所にも優秀な同僚がいたので,任せられることはどんどん権限委譲して任せました.
そして,一週間のスケジュールを下記のように定式化したのです.
①月曜日は元の研究所に出社.前の週の進捗会議をして,全てのテーマ(最大で6つくらい)をレビュー.これは,さすがに毎週すべては無理なので,複数テーマを2つのグループに分割して,それぞれのグループを隔週でレビューする形式としました.レビューを受ける側も毎週ではきついので,彼らなりの進捗管理として有効だったと思いますし,隔週というのも好評でした.
②火曜日から木曜日は他研究所に出かけ,かび臭いビジネスホテルに宿泊し,そちらのプロジェクトに集中しました.トラブルが相次ぎ何度もめげそうになりましたが,仲間と一緒に懸命に取り組みました.最近はめったに訪れることはないのですが,ごくたまに訪れると,あの時の緊張感が思い起こされ,何とも言えない高揚感がよみがえります.
まさに会社人生における『青春』でした.
できるだけ時間を有効活用するために最寄り駅をほぼ始発に近い時間の電車で出かけ,朝9時の打ち合わせに間に合うようにしました.おかげさまで,6年間四季折々の朝を楽しむことができました.理解と協力をしてくれた家族には,いまでも心から感謝しています.
③金曜日にはもとの職場に出社し,主に事務仕事を片付けました.いくら権限委譲しているとはいえ,一日で仕事は片付きません.なので金曜日は同僚から進捗をヒアリングし,重要なことは週末に片付ける.というリズムをきーぷしました.

成功したこと

上記の時間配分により,まずは健康にこの激務の時期を乗り越えられたことが最大の成功だと思います.残念ながら,この時期に取り組んだ研究テーマで事業化できたテーマはありません.研究者として本当に忸怩たる思いです.しかし,元の研究所だけではなく他研究所に人脈ができたことは大きな収穫でした.この人脈は後々も活きました.研究所のみならず,事業部の方とも知り合いになれたのも大きかったです.また,いろんなプロジェクトを通じて,ユーザ(顧客は言い過ぎ)と知り合いになれたのも本当に良い経験でした.この経験は私の会社人生においておおきな財産だと思っています.
よく,経験値という言葉が使われると思いますが,わたしはこの時期の経験を通じて,『経験値』,『経験知』,『経験地』というコンセプトを思いつきました.つまり,経験値はいずれかの場所『地』において得られた知識『知』により,より大きな価値『値』をもたらすというものです.
現在カリフォルニアで勤務していますが,このコンセプト時折思い出しては大事にしています.
つまり,カリフォルニア(地)でしか経験できない知識(知)を通じて,私自身のオリジナルな経験値を構築したい,と考えているのです.

失敗したこと

良いことばかりではありません.他研究所では文化の違いもあり,たくさん失敗をしました.他研究所で分科会のリーダを任されたときの事件です.
本社幹部も集う大きな会議で,工程遅れを偉い人から指摘されたときに,思わず『試作室が思うように動いてくれないから』と正直に発言しました.するとどうでしょう,翌週出張で出かけた際にそこの課長さんはほとんど口をきいてくれないのです.何事かと思い,丁寧に問い合わせると,『大幹部が集まる会議で自分たちのせいで工程が遅れていると言われた』と激怒しているのです.その課長さんは実はその会議には参加していなかったのですが,どうもまわりまわって私の発言が伝わったようです.
この時ばかりは生意気な私も腰を90度以上曲げて謝りました.先方の課長さんもよい方で,わたしの発言に他意がないことを知ると許してくれて,そちらの定例会議への出席を許してくれました.
この失敗を通じて,わたしは,責任ある立場にある以上,けして人のせいにしてはいけない,逃げてはいけない,ということを学びました.

忘れられない思い出

その年(確か2004年)年度末までにプロジェクトの約束成果があり,それこそ胃がねじれ切られるような思いでした.試作室の課長さんとも懇意になり毎週の工程会議に出るのが楽しみになりました.そうして,わたしたちが机上で検討している図面をもとに,現場の方々が図面を油まみれにしながら一生懸命製作している姿に感動しました.魂を込めて図面を作成せねばならない,モノは現場で作られ,形になり,完成に向けて進む,ことを学び,実感しました.おもえば,公差(加工,組み立て)の考え方を踏まえた図面の読み方はこの時実地で学んだように思います.もともと理論物理を先行していたものとしては,なんとも泥臭い世界だったのですが,足を踏み入れてみると人の血の通った熱い場所であることに感動しました.
ちょうど師走に入ったころです.試作室の方々が土曜日出勤して追い込みの作業をしてくださるため,研究所の仲間も1,2名参加する日程となりました.わたしも何ができるわけでもないのですが,休日でもあり車で出かけました.課長さんはじめ現場の方々に挨拶して別の実験室に行こうとした時です,課長さんがお昼を食べていきなさい,というのです.何事かと思っていますと,職場の片隅にガスコンロがしつらえてあり,大きな鍋にけんちん汁が湯気を立てています.あつあつのお椀をふうふういいながら美味しくいただいていたところ,現場の方の一人が,『XXさん(私の名前)めしないんだろ,これ食べな』といっておにぎりを分けてくださいました.最初は遠慮しましたが,なにしろ職人さん気質ですから『いいから食え!』みたいな気合でありがたくいただきました.ラップをはがして一口食べようとした時です.なぜか涙が出てきて止まりませんでした.
あんなひどいことを言って責任逃れをしようとした自分をこのように迎えてくれて一緒にお昼を分かち合っている…言葉にするとそれまでですが,『同じ釜の飯を食う』,とはまさにこのことだ,と感じたのかもしれません.
同時に,この人たちと一緒に仕事をするのだから失敗してもいい,失敗を恐れない,という,今まで経験したことのない心持になりました.

仕事って何でしょうか?お給料のために働くのは大事なことです.しかし,この経験を通じてわたしは生涯の宝を一ついただいたと感じています.
こういう経験をすると仕事の面白さ,深さ,が身体に浸みこむように思います.
肝心のプロジェクトはどうなったでしょうか?
おかげさまで年度末までにはなんとか試作機を完成させ100点満点ではないですが合格点をいただきました.
一緒に仕事をする,を実感した私のつたない経験です.

長文読んでいただきありがとうございます.
引き続きご支援よろしくお願いいたします.

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