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『攻殻機動隊』と『マトリックス』の比較論②

 前回に続き今回も、攻殻機動隊とマトリックスの比較論をやっていきます。前回は攻殻でしたが、今回はマトリックスについてです。なお前回同様、多分にネタバレを含みますのでご注意ください。
 本記事では初代マトリックスを『マトリックス』、以後『リローデッド』『レボリューションズ』と表記します。スピンオフ的なアニメ映画『アニマトリックス』については今回言及しておりません。あと『レザレクションズ』にも…😂
※マトリックスのあらすじは、以前の記事でも言及しておりますので割愛します。まだ見ていない方は、ぜひそちらの記事も読んでみてください。

救世主とは

 『マトリックス』は、主人公ネオが救世主になれるかどうかという話なのですが、救世主とはどんな人物として描かれていたでしょうか。『マトリックス』でのモーフィアスの発言を見てみましょう。吹き替え版の台詞から引用します。

マトリックスが作られたとき、中である男が生まれた。彼にはマトリックスを変えることができる特別な力が備わっていた。最初のメンバーは彼に解放され、真実を知った。マトリックスが存在し続ける限り、人類は解放されない。彼が死に、彼の再来が予言された。彼の再来はマトリックスの崩壊をもたらし、戦争は終わり、人類は解放される。

 モーフィアスの聞いた伝説によると、初代の救世主はマトリックスを作り替えることができる能力を持っていたと言います。どういうことでしょうか。
 マトリックスは、一つのソシャゲ(ネット上で不特定多数が入り乱れて遊ぶゲーム)と言い換えることができます。モーフィアスたちはこのゲームに不正ログインしている状態です。一方、エージェントたちはこのゲームの「運営側」にあたるため、マップをエディットしてネオたちの退路であった窓を煉瓦の壁に変えたりもできます。モーフィアスが言っている救世主は、いちプレイヤーでありながらこういった運営側にしかできないはずのエディットすらできてしまう、という設定です。実際、『マトリックス』のラストシーンではエージェントたちの逆探知プロセスを妨害し、ネオが運営側のシステムに介入している描写が為されていました。まさにモーフィアスの聞いていた救世主そのものですね。

救世主に至る道

 では、ネオはどのようにして救世主になっていくのでしょうか。
 マトリックスから解放されたネオは、早速訓練を開始します。それは脳に直接戦闘や乗り物の操縦方法のデータをダウンロードする、という短期集中訓練ですが、彼はそれに異常な適合性を示し、立て続けに訓練を行います(※1)。タンクはその様子を、「まるで機械だ」と発言します。機械と戦っている人間が、ひとの凄さを機械に喩えるのって違和感ありませんか?これは意図的なものだと思います。
 前回の記事で、『攻殻機動隊』の主人公素子は機械(ネット)から生じた生命体、プロジェクト2501と融合することで神になった、と書きました。実はマトリックスでもきっちりとその道筋をたどります。少しシーンを遡りますが、ネオが現実世界に目覚めると、まずモーフィアスは仮想空間にネオを連れていき、現状を説明します。その際、頭部にプラグを挿入されたネオは激痛に襲われたような表情をします。『エイリアン』の口から飛び出る第二の顎が男性器を模しているのは有名な話ですが(そしてそれを女のリプリーがガツンとやっつける!)、今作でもこの棒状というか針状のプラグは同様のメタファーとして用いられていると考えられます(※2)。なぜならその後の戦闘訓練のシーンではネオはプラグを挿しっぱなしなのですが、平然と会話ができています。あの痛みは最初にプラグを挿入するときだけのようです。この「破瓜」というプロセスも『攻殻機動隊』に出てきたものと符合します。つまり、ここでネオとマシンの融合が始まっているのです。タンクの「まるで機械だ」というセリフは、それをアイロニックに言い当てていますね。


※1 脇道ですが。このシーンでネオが最初に習得するのは「柔術」です。しかし画面上の表記は「JU JITSU」となっています。英語圏では辞書でもこのように誤記されているそうで、ネオも「ジュージツ」と発音しています。また、続々と表示される戦闘訓練の中にさりげなく「DRUNKEN BOXING」(酔拳)なんてメニューが表示されているのは遊び心ですね。
※2 毎回気になるんですが、発電所に囚われていたネオが抜かれるプラグはあんな長い針じゃないんですよね。

スミス

 『攻殻機動隊』のプロットを『マトリックス』が辿っていくとすれば、本作におけるプロジェクト2501は誰でしょうか。それは宿敵、エージェント・スミスです。


 エージェントとは、不正ログインしている人間たちや不要になったプログラムを削除するためのプログラムです。セキュリティソフトとも言えますね。その中でもヒューゴ・ウィーヴィング演じるエージェント・スミスは特異的な存在です。
 スミスは、人間側の司令塔とも言えるモーフィアスを捕獲することに成功します。その目的は、人間軍の幹部だけが知っているザイオン(現実世界で人間が生活している最後の都市)のメインフレームへのアクセスコードを吐かせるためでした。精神力で薬物(マトリックス内での薬物なので、実際はコンピュータウイルスのようなものですが)の効果に抗うモーフィアスにエージェントたちは苛立ちます。そこでスミスがとった行動は、他のエージェントたちを部屋から退出させ、イヤホンを外して、1体1でモーフィアスに語りかけるのです。このとき、イヤホンを外したせいでスミスはネオたちがビルに攻撃を仕掛けてきたことに気づくことができません。物語の随所でエージェントがこのイヤホンに手を当てる描写がありますが、これはシステム側が検知した不正アクセスや、マトリックス内での異常な動きをエージェントに教える受信機であることがわかります。しかしこのシーンでわざわざスミスが同僚を部屋から追い出し、会話を聞かれないようにしているところを見ると、このイヤホンはシステム側にエージェントの言動を伝える、送信機としての役割も果たしているのではないでしょうか。いきなり部屋を追い出されたエージェントたちも怪訝そうな顔をしますが、つまりスミスはここで、システム側にも同僚のプログラムにも知られたくない告白をモーフィアスにしているということになります。
 それでは、彼がモーフィアスにする告白とはどんなものでしょうか。

聞こえるか、モーフィアス。この際だ正直に話そう。(中略)私はここから出るぞ、必ず自由になる。この頭の中にその鍵がある。私の鍵だ。ザイオンさえ叩き潰せばここにいる必要はなくなる。

 スミスは不正プログラムを取り締まるためのプログラムですから、本来マトリックス内に常駐する必要はありません。不正ログインしてくる人間たちという存在がいるからこそ、彼はマトリックスでスーツ姿の人間スミスという形を取る必要があるのです。(※1)
 しかし、彼はただマトリックス内にいることを嫌っているのではありません。それだけであれば何も同僚を追い出すこともなかったはずです。前述の通り、彼のこの願いはシステム側には聞かれたくないのです。つまり彼の願いとは、単にマトリックスを出て得る「自由」ではなく、システムに隷属していること自体から解放される「自由」ではないでしょうか。実際にこの前のシーンではスミスが地球上の生物をカテゴライズしていたという話をしますが、それ自体、不正プログラムを駆逐するプログラムがする仕事とは思えません。この時点ですでにスミスは職掌外のことにも手をつけていて、自分に与えられたマトリックス内での「個」から解放され、さらにシステム自体をも超越した存在になりたいと考えていたのではないでしょうか。
 その証左として、タイムラインが錯綜しますが次作『リローデッド』でのスミスの挙動を挙げさせてください。『マトリックス』で倒されたかに見えたスミスは、無限に自分のコピーを量産するようになります。さらに、彼はベインという人間の脳をジャックして(まさにゴーストハックですね)人間世界にも進出してきます。彼は願い通り「個」を脱し、マトリックスからも解き放たれたわけです。


※1 もっとも、『リローデッド』以降で登場するアノマリーまたはエグザイル、つまり「不要になったが削除されるのを拒みマトリックス内に逃げ込んだプログラム」を抹殺するのもエージェントの仕事なので、人間側を駆逐したところでエージェントらのマトリックス内での仕事がなくなるわけではないのですが・・・。

そして、救世主へ

 このように、スミスが密かに望んでいることは『攻殻機動隊』でいう「神化」にかなり近いことがわかります。素子と2501が合体して、個を超越した存在、世界に偏在化する存在へと進化しました。スミスが求めているのはまさにこの「偏在化」です。情報の海で生じた生命体、2501が神を目指して素子に接近してきたことと、プログラムであるスミスが神を標榜していることも符合します。
 そんなスミスを倒すことで、『マトリックス』における救世主としてのネオは完成します。では、スミスがどのように倒されるかと言いますと、ネオは体ごとスミスの中に飛び込み、内部から彼を破壊してしまいます。飛び散ったスミスの中から姿を現したネオは、光を放つ存在になっています。これには2つの意味があります。


 まず、ネオがマトリックスというシステムを掌握したということです。そもそも、プレイヤーとしてログインしているに過ぎないネオがマトリックスというソシャゲのシステムに干渉することはできません。マトリックスをエディットするのはあくまで運営側の権能だからです。それが可能になったのは、彼がスミスとの融合により、その内部に保存されていたマトリックスのサーバへのアクセスコードを得たからだと考えられます。これは、スミスらがモーフィアスを捕えてザイオンへのアクセスコードを得ようとしたことの裏返しですね。
 もう一つは、象徴的な意味でネオとスミスが合体した、ということです。これは完全に『攻殻機動隊』の結末と合致します。相違点は、ここで描かれるのは人類がどう進化していくかという過程ではなく、いかにしてネオが救世主(=神)として人類を救済するかという神話です。ネオはこのとき人間と機械の融合体として再誕し、その力を得るのです。もっとも、『レボリューションズ』ではもう一歩踏み込んだ描写があります。ネオとスミスは空中で戦闘を繰り広げますが、その際二人は二重の螺旋を描きながら空を上昇していきます。遺伝子の形を模していることは、二人が対の存在であることを示すに留まらず、一つの生命体の裏と表であるかのような演出です。また「遺伝」、つまり以後の人類のあり方そのものも暗示しているように思えます。『攻殻機動隊』的な神にかなり近づいてきますよね。

『リローデッド』以降

 最後に、『リローデッド』以降でのネオの描かれ方について簡単に触れます。
 『マトリックス』でネオは救世主として覚醒し、空を飛び、エージェントをものともしない存在になります。しかし、それはあくまでマトリックス内に限って発揮される超能力です。『リローデッド』以降は、ネオがその枠を超え、この現実世界そのものを救う救世主になっていく過程を描きます。『リローデッド』終盤で、現実世界でもネオが念じるだけでセンチネルを倒せるようになっているのはその表象ですね。
 『レボリューションズ』では、彼はトリニティとマシン・シティ、つまりマシン軍の現実世界の本拠地に乗り込んでいきますが、その途上、視力を失ってしまいます。ここに、『攻殻機動隊』にも登場した「身体が不要になっていく」という過程が描かれているわけです。ネオはマシン軍の総大将であるデウス・エクスマキナと談判し、彼を経由して再度マトリックスに侵入、スミスとの最終決戦に臨みます。以前の記事でも言及しましたが、このデウス・エクスマキナは太陽の形状を模しており、名前にもそのまま神の名が用いられています。ここでネオが、神との合体=神化、というプロセスを繰り返しているのがわかります。オラクルの策略によりスミスを排除することに成功しますが、ネオは還らぬ人となります。しかしこれは前出の身体が不要になるプロセスの到達点であり、必然だったとも言えます。つまり『攻殻機動隊』の結末と照らし合わせると、ネオは身体を超越した普遍的な存在に昇華した、と言い換えることもできるわけです。オラクルら生き残った者たちは、マトリックス内で夕陽を眺めてネオに思いを馳せます。このこともネオが個を超越し、”太陽”と合体したという構図に当てはまります。


 ただし、ネオが神と化す際の演出はあくまでキリスト教的です。彼がスミスを倒すために取った作戦は自己犠牲を前提としており、イエスの最期に重なります。(キアヌが自己犠牲、というと『コンスタンティン』を思い出しますね・・・サタンに中指を立てるキアヌかっこよかったです)また、ネオが絶命する際には綺麗な十字架のポーズをとっています。(※)

※話が逸れますが、ゲームでこれと逆の演出を見たことがあります。『アサシンクリード』というアンチキリスト要素モリモリのゲームです。主人公が死んでゲームオーバーになる際、このシーンと同様に十字架のようなポーズを取るのですが、片腕は曲げられており、わざと十字架を歪める演出になっています。自転車などの手信号は例えば右手をまっすぐ横に伸ばすと右折、その右手を曲げると左折の合図になりますよね。同じ要領で「アンチ」の主張を表しているように思います。

まとめ

 いかがだったでしょうか。『マトリックス』が映像面だけでなく、ストーリーや思想も大胆に『攻殻機動隊』をオマージュとして取り入れていることがお分かりいただけたでしょうか。両作品を観ていなくても楽しめるように書いたつもりですが、わかりづらいところがありましたらぜひコメントで教えてください。
 ところで、今年は私の大好きな映画、『ゴッドファーザー』公開50周年、2月にはリバイバル上映があります。叶うなら記事にしたいと思っております・・・!が、少々仕事が立て込んでまいりまして、次回の記事の投稿時期は未定です。しかし今後も映画や英語の記事を書いていこうと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 それでは。長い記事を読んでいただいてどうもありがとうございました。

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