見出し画像

簡雍さんは考えた。(短編の2)

簡雍は考えた。
こうまでもか。
目の前には惨状が広がる。
夥しい数の屍が累々と積み上がっていた。
あまりの臭いに鼻を覆った。
つい先ごろ起きた戦の跡地に
簡雍は来ていた。
今、世の中が蠢くように変わり始める
この時を、肌で感じたかった。
鎧や刀剣を纏った正規兵の
まるで残骸のような死体に混じって、
黄色い布を頭や肩に巻いた貧相な肢体が
そこかしこに転がっていた。
それらは、つい先日まで畑を耕し、肉を売り、我が子らの為に汗を流していたはずであった。
その朴訥な彼らが
何故今こうして野に晒されているのか。
世に言う、黄巾の乱である。

高祖劉邦が建国してから200余年、
光武帝劉秀が簒奪された国を取り戻してから
更に150年を超え、
永々と天下を治めて来たこの漢帝国は
腐敗にまみれていた。
かつて光武帝の施政により
儒教が国教として定められ、
人士が国務に就くにあたり
その人柄や行動が儒の思想に沿っているかどうかが重視されるようになった。
これによって、永らく権力が
血統に独占されることは無かったが、
皇帝の代替りが続くに連れ変化が起こった。
古代からの慣習により、
皇帝の母方の親族は朝廷の中枢に迎えられる。
この時、皇帝がまだ成人で無いとすると、
皇母が外戚と呼ばれるこの親族と謀りながら
国を差配するようになった。
すると、皇帝が成人を迎えたとしても、
国権の移譲に支障をきたすことが
必然と多くなる。
それに不満を抱いた皇帝は、
自らが信頼を置ける人物に
権力を握らせようと躍起になり、
その望みは幼少から自らを世話してくれる
身近な存在、宦官に向けられるようになった。
宦官とは男根を切り落とし、
生殖機能を無くしたうえで
皇帝の側に仕える者達であり、
卑賤の身分として認識されていたから、
当然のようにここには根深い争いが生まれるようになった。
しかし、実際に朝廷において実務を担うのは、孝廉により推挙される知識層の士大夫である。
三者三様の思惑の違いは混乱と争いを生み、
それはそれぞれを巻き込みながら激しさを増して行った。
そしてついには大規模な粛清まで
引き起こすようになり、
外戚、宦官は命をかけて権力にしがみつき
清廉な士大夫は政権から去った。
彼らが民を顧みることは出来無くなったのだ。
まるで熟し過ぎた果実を思えばよい。
漢王朝は中から腐っていったのである。

飢饉や災害が続いても、中枢のこの流れは変わらなかった。
人々の中には不満が渦巻き、
そしてある宗教の出現により暴発する。
太平道。
張角という男が立ち上げたこの宗教団体は、
始めは他愛もない、
まじない程度のものであった。
だが、時代が彼に力を持たせた。
あれよあれよと全国で信者が集まり
一大勢力となった。
この時代、反乱が起きる毎に、
その首領が次期皇帝を名乗ることは往々にしてあった。
天からのお告げを賜ったと言えば
心酔する者はいただろうし、
否定する材料など無いから
あとは武力の勝負であった。
そんな中で、やはり張角も政変を志し、
中黄太乙を合言葉に蜂起したのである。

黄色い布を身につけて戦うこの集団は強かった。
州郡の軍はこれに手を焼き、
各地で敗戦の報告が上がった。
この幽州も例外ではなく、簡雍の知った顔も数人、頭に黄巾を巻いて飛び出していた。
「これはどうしたことだ。」
簡雍の興味は、
反乱の成否、賛否ではなかった。
各地で小さな火種は数えきれない程に
燻っていたのだから、
いずれ大規模な戦が起こることは予想の範疇。
だが、装備の質も練度も高い正規軍が
負けるのである。
何故こうも士気に差があるのか。

簡雍は戦跡を歩いた。
日が高く登り、腐臭が更に酷くなっている。
しかしそこには、抱いた疑問の答えがあるような気がしていた。
吐き気を堪えながら目を凝らして見て回った。
そして気づいた。
屍の固まり方が違う。
正規軍のそれは戦地に大概が満遍なく転がっている。
黄巾は固まっていることが多かった。
初めは、装備が拙いのだから
集団戦術を取ったのだろうと思ったが、
どうやら違う。
彼らは密なのだ。
互いに互いを庇うようにしている。
話によれば、黄巾の反徒達は、
戦いながら寝食を共にしていると聞く。
もとは農民、しかも食うに困って寄り添うように集まった人々である。
境遇も心情ももはや同じであったに違いない。
それぞれの事情、苦悩も語り合っただろう。
そこには強い連帯感があったに違いない。
これか。
そう思った。

打倒王朝という明快な目的。
それを自分たちが達成するのだという
高い貢献意識。
そして、組織としての密度。
混乱する中央から派遣された軍使らに
強い忠誠があるとは思えず、
その彼らが率いる急拵えの軍に
やはり密度は無い。
連携、呼応、そして戦いに対する粘性が違う。
逆に黄巾からは、しがみつくような執念が
目の前に立ち上ってくるように感じた。
これか。
この違いに気付き、
備えられる将が何人いようか。
もしいないならば、
この国はもう危ういかもしれない。
強烈な血の臭いに咽びながら、
簡雍は実感していた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?