見出し画像

簡雍さんは考えた。(短編の3)

簡雍は考えた。
先行きが不安だな。
しかし、そこに自分はあえて乗ろうとしているのだから、我ながら無謀だとも思う。
傍で喚いているのは、
張飛(字を翼徳)という大男である。
隆々とした体躯に針金の様な髭は
ただでさえ威圧感を振り撒くようなのに、
この男から割れる様な大声を浴びせられれば
誰でも縮み上がってしまうだろう。
現に今怒鳴られている門番は、
槍を抱くように握りしめて
すくみ上がっている。
張飛は丸腰であるにも関わらず。
「お前はこのお方を知らんのか。
あの劉玄徳殿だぞ!
何故、検閲などを受けなきゃならんのだ!
無礼であろう!」
あまりの大声に、
ぞろぞろと見物人まで集まって来る。
当の劉備はというと
他人事のように黙って立っているだけだ。
まったく。簡雍は苦笑いをした。

劉備、簡雍、張飛の3人は、
同志を集めるべく
琢県の町々を回っている最中だった。
世間では、各地で黄巾の世を信じる民草が
蜂起し、政庁を襲い、
官軍との戦いを繰り広げていた。
一郡の兵力では対応し切れない
と判断した朝廷は、義勇兵を募り、
軍備を与え、鎮圧に当たらせようとした。
盧植の元で数ヶ月学んだ後に帰郷した劉備は
すぐさまその動きに反応し、
自身でも兵を募り出したのである。
その為に琢県中を行脚していたのだが、
乱に乗じて略奪を働く輩も多くなっていた為、各町の警備が厳しくなっていた。
そこで足止めを受けての騒動である。
ともあれ、
「決断の仕方が変わった。
何か軸になるようなことを得たか。」
簡雍は新たな驚きと共に劉備を見ていた。
しかし実のところ
劉備は大した勉学を積んだ訳ではない。
むしろその活動は、塾に集まっていた
名士達との交流に重きがあったようだ。
「四書より、経験だ。」
酒を飲みながらそんなことをこぼす様子を見て、どうやら学問は相当肌に合わなかったらしい、と分かった。
特に四書に嫌悪感を示すということは、
儒教に対してそうであるように感じる。
簡雍にはそこも興味深かった。
ことさら話に出てくるのは、
幽州の名家、公孫氏の子弟、
公孫瓚(字を伯圭)である。
聡明で容姿に優れていたことから評判が良く、弁舌が爽やかなこともあって、
名声を得ていた。
彼をはじめ、各地の士大夫と交わる事で、
劉備は自身の価値観における贅肉のようなものを削ぎ落として来たようだった。
学びに行ったのに、
身につけるのではなく尖って帰ってきた。
そう感じたから簡雍は
やはりこの男は面白いと思ったのだった。
そして、こうして共に募兵に奔走している。

劉備が同志を呼びかけた時、
始めに声を上げたの者達の中に、張飛がいた。
元は肉の解体屋で、その膂力は人並み外れ、
むしろ常軌を逸していた。
しかし簡雍からすると、その腕力よりも
彼の劉備に向ける羨望の眼差しの方が
印象的だった。
解体屋などというのは、処刑人などと同じく
下賤の職である。
その劣等感が身分階級に対する忠実さを
鮮明にさせていたのかも知れない。
張飛にとっては、
遠縁とは言え皇帝と同じ劉姓であり、
元は侠客でありながら
天下の大学者盧植に師事し、
士大夫達と交流し、
そして朝廷の呼び掛けに応じて立ち上がった
この劉備という男は、
どこか神がかった存在に思えたのであろう。
また、劉備の捉え所の無い言動も
彼の気分を高揚させるようだった。
簡雍が見るところ、
劉備の思想は老荘のそれに同調し、
上善は水の如しという感がある。
孔子の説いた儒教は、
社会規範を突き詰めた思想だが、
老荘思想は何事にも捉われないことを
是とする。
つまり、当時国教であった儒教に捉われない行動を取るこの男に、
張飛は刺激を感じていたのだった。
その追従の仕方は、まさに妄信と言って良く、だからこその門番への大喝であった。

「劉玄徳殿の名前は知っていますが、規則ですから、、、」
消え入りそうな声で訴える門番が不憫でならない。
彼は何一つ間違えてはいないのだから。
「知っているなら尚のことだ。
玄徳殿がこの街で騒ぎを起こすわけがない!」
また張飛が喚く。
起こしているようなもんじゃないか。
そう思って簡雍は張飛に声をかけた。
「翼徳、その辺にしておいてやれ。
お前が玄徳に忠実なように、この人も仕事に忠実なだけなんだから。」
「しかし、憲和殿、
こいつが黄巾の賊なんぞと
玄徳殿を一緒にするから、、、」
あくまで引き下がるまいとする翼徳の理由を聞いて、やっぱり不安になった。
その黄巾の賊は、
つい先ごろまでお前の隣人
だったかもしれないのだぞ。
と言いそうになったが、言わなかった。
張飛は聞かないだろう。
この男は、玄徳と、それに従う自分に
酔っているのだから。
妄信とはこういうことだ。
人の価値観を変えるだけでなく、
他を受け付けなくなる。
自分が信じていることや従う人が
何よりも正しいのだから、
それと違うものは間違いである
と頭から決めている。
知らぬうちに高い壁を作るようなものだ。
それが確かに正しいのであれば問題は無いが、果たしていつもそうであろうか。
簡雍はふと、自分はどうかなと思った。

「だけど、今回はお前の忠義が勝ったようだぞ。」
そう簡雍は張飛に笑いかけた。
「それはどういう、、、」
「ほら見ろ。お前の良く通る大声のお陰で
たくさんの人が集まってきた。
我々の目的は町に入ることではなくて、
人を集めることだったろう?」
「あ!そうか!」
上機嫌になって下手くそな演説を始める張飛の背中を見て、笑っているだけの劉備に簡雍は耳打ちする。
「なんで黙って見ていた?」
「翼徳だけなら口をはさむが、
お前がいたからな。」
そう屈託なく答える従兄弟の顔を見て、
悪くは無い気がした。
これも妄信のせいでなければいいが、
と思いながら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?