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簡雍さんは考えた。(短編の8)

簡雍は考えた。
主君の思考とは、こうも影響するものか。
劉備はどうだろう。
自分はそれを正確に測れているだろうか。

劉備一党は今、公孫瓚のもとにいた。
督郵を殴打した件はやはり責を問われた。
職を辞して、逃げるように幽州を転々とした後、かつての縁から旧友を頼ったのだった。
とはいえ、相手は名門公孫氏、
今や幽州を押さえ、青州、冀州、兗州にまで
手を伸ばす一大勢力である。
歓迎はされたが、重用はされなかった。
すぐさま青州に送り込まれた。
この地には刺史として田楷という武将が
赴任している。
その客将として、平原という地を任されたのだった。
しかしこの人事はほぼ公孫瓚の独断と言える。
この時すでに世は群雄割拠であった。
それぞれにはそれぞれの思惑がある。
簡雍が見るところ、公孫瓚には
崇高な思惑は無いようだった。
少しでも藩領を広げ、世が定まったなら
良い位置にいよう、というくらいの
ものであろう。
だから闇雲に軍を広げているようだった。
田楷を刺史として中央に推挙し、
任を与えてはいるが、
もちろん朝廷はそれを許可していない。
当時は書簡が届いているのかすら定かでは無いだろう。
なぜなら、同時期に袁紹は長男の袁譚を
青州刺史として立てている。
つまり、勢力争いの真っ只中に
青州はあるのだった。
劉備は言わば、その駒である。
またこの地は黄巾の残党の動きも激しい。
混乱を極めていた。

その中にあって、劉備軍は奮闘した。
袁譚の侵攻を押さえ、
青州は田楷によって統治されていると
言って差し支えない状態だった。
「ですけど、どうにも
あの人は好きになれないんです。」
と田豫はぼやく。
「なぜだい?」
簡雍は彼との問答が好きだった。
「信用されてないですよね。私たち。」
若い部隊長は、そうため息をついた。
「そりゃあ我々劉備軍は
あくまでも客将扱いだからな。
公孫瓚の賞罰のもとにはいない。」
客将とは、同盟のような関係に近い。
力や名声を貸す代わりに、
兵や兵站を借り受け、働く。
主従関係では無いから、
多少特異な立場である。
田楷は、そこに敏感なようだった。
「そうですけどね。」
田豫はそれでも不満気だった。
彼がそれほど悶々としているのには、
他の理由もありそうだったが、
何にせよ、田楷の指揮官としての資質は
高く無いと簡雍も見ていた。

少し前のことである。
劉備が、田楷より
黄巾賊の籠る山の攻略を委任された。
相手は残存兵だから、難しい戦いではない。
「承知しました。」
劉備は承諾した。
田楷は仮とはいえ上官である。
断る道理は無かったが、
劉備の涼やかな応えは、快諾と言えた。
これに対し、田楷は、
「どう攻略なさる?」
と言ってきた。
劉備のそばにいたのは関羽と田豫、
そして簡雍である。
田豫はあからさまに嫌な顔をした。
任されたのに探りを入れられる。
詮索されているのである。
劉備は顔色を変えず、関羽を見た。
「実際に見てみなければ分かりませぬが、
相手は食糧も尽きかけ、追い詰められております。
全て包囲すれば、
死に物狂いで反抗するでしょう。
山を一方からじわじわ攻め上げ、
下り出たところを、烏丸の騎兵で殲滅します。」
朗々と応える美髯の偉丈夫に、
周りからおぉと歓声が漏れる。
「左様に。」
劉備はそう一言添えて、田楷に返した。
「ふむ。ならば良いでしょう。」
そうとだけ言って、田楷は彼らを見送った。

「やる気無くしますよね。
逐一探られるってことは、
信用していないということでしょう。」
尚も田豫はむくれている。
「信用していないというだけでは
無いだろうな。
失態が怖いのさ。」
そう言って簡雍は頬杖をつく。
田楷の主、公孫瓚の目的は「拡大」である。
その為には戦は付き物であり、
負けは許されない。
田楷はそれを恐れるがあまり、
探りを入れるのである。
それが、猜疑心から来る行動では無くとも、
探られた方は信用されていないと感じる。
まさに田豫が感じているものだった。
目的だ。
そこが本人だけでなく、配下の行動すら
変えてしまうのだ。

ならば劉備はどうか。
彼の目的は「幇助」と言える。
皇帝を助け、支えることが叶うならば、
目の前の勝ち負けは手段でしか無いし、
小事にこだわることが無い。
「その点、玄徳はどうだい?」
田豫に問うてみた。
「主は、何も言わず
全て任せてくれますから。」
朗らかに答える田豫の顔には
先程とは打って変わって笑みがあった。
「そして褒めてくれます。」
そう。劉備はよく人を褒める。
簡雍も覚えがあった。
それが劉備の掌握術である。
任せて褒める。
単純に思えるが劉備は心底からそれをした。
失敗があっても決して攻めなかった。
すると、配下は懸命に働いた。
そしてまた褒められるのである。
田豫がまさに、その好循環を体現していた。

「それに、、、。」
言葉が切れる。
「あの人は、我々が付いていなければ
何も出来ないんじゃ無いかって
思う時があるんです。」
そう言って空を見上げる田豫の顔に、
簡雍は少しの寂しさを感じた。
「ずっとついて行ければいいなぁ。」
そう呟いた。
風が一際強く吹いた。
田豫。
字を国譲。
質実で、賢明で、勇敢なこの青年が、
劉備のもとを去る日が来ることに
まだ簡雍は気付いていなかった。

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