見出し画像

簡雍さんは考えた。(短編の9)

簡雍は考えた。
この軍の違いは何だ。
いや、軍というのはかくあるべきか。
我々のやっていたことは、乱闘騒ぎの延長に過ぎないのでは無いか。
それほどの士気の差、練度の差、理解の差、
であった。

徐州が揺らいでいた。
東を海に面し、青州、兗州、豫州、揚州
と接するこの地は海路、陸路共に
交通の要所である。
また近隣の州から戦禍を避けて
多くの民が流入し、
人口が増えている地でもあった。
州牧である陶謙は、群雄と言うより
あくまで統治者としての性質が強く、
軍事での拡大を望まなかったから、
比較的この地は寧定を保っていたのである。
しかし、彼は差別意識の強い人だった。
徐州には朝廷の混乱を避けて多くの
知識層も移り住んでいたから、
その影響もあっただろう。
宦官に対しての嫌悪を強く持っていた。
そこに、曹嵩が琅邪国に入ったと報告が入った。
曹嵩はかつての大宦官、曹騰の子(養子)
であり、曹操の父である。
彼自身も大尉の位にあったことがあるが、
それは莫大な金で買った地位であった。
清流意識の強い陶謙は、
この人が徐州に入ることを嫌がった。
すぐに軍を差し向けて捕らえようとしたが、
行き違いで殺害してしまう。
これがことの始まりだった。
曹操軍が徐州に進攻したのである。

「陶謙から援軍の要請が届いている。」
青州刺史の田楷からそう聞いた時、
簡雍は膝を打った。
これは好機だ。
田楷はこの要請に応えるか迷っている。
袁紹が差し向けている袁譚が迫る中、
公孫瓚軍として大規模な兵力を割く
余裕は無い。
しかし、徐州を曹操に獲られるのは
いかにも不気味である。
ならば、客将である劉備軍が
一遊軍として向かえば
例えそれが小軍であっても面子が立つし、
曹操軍も牽制できるかも知れない。
何より劉備は田楷のもとにいるべきでは無い
と簡雍は考えていた。
「玄徳、ここは我々で応えるべきだ。」
劉備は頷いた。
公孫瓚の影響下から離れ、
そこで戦果を上げれば、それは劉備の手柄だし、陶謙にも顔が売れる。
依る地を持たない今は、名を売ることが
一番の打ち手だった。
田楷からしても劉備は扱いにくい。
互いの利害が一致した。
劉備軍はすぐさま徐州に発った。

曹操(字を孟徳)は勉強家である。
それは反骨だったのかもしれない。
彼は幼い頃から多くの嫉妬や蔑視に晒されて来た。
父は曲がりなりにも大尉という
至高の地位まで登ったから、
子供の時分から、交わるのは高位の家の
子弟達である。
しかし、その父の地位も曹操の境遇も
宦官として隆盛を極めた祖父の力である。
「宦官の孫のくせに」
この言葉を数えきれないほど浴びて来た。
道を外し、放蕩したこともあるが、
学ぶことは辞めなかった。
特に歴史書への見識が深い。
温故知新。
古きを学ぶことには意味がある。
そこには先人の失敗が詰まっている。
成功は時の運だが、
失敗の理由はいつも明確だと、
曹操は知っていた。
だから、董卓に敗れた時も、
そこから学んだ。
戦を重ねるごとに彼は強くなったと言って良い。
その知見は、古来からの兵法書、
孫子に注釈を加えるほどになった。
その曹操が、怒りに燃え、
父の仇討ちを掲げて徐州に攻めて来た。
ひとたまりも無かった。
数倍の兵力で打って出た陶謙軍は敗れ、
そして援軍を頼ったのだった。

劉備軍は曹操軍と対峙した。
陶謙の配下、曹豹の布いた軍の一翼として
苛烈に戦った。
しかし、そこで簡雍は驚嘆する。
「軍がひとつの生き物のようだ。」
曹操の軍はまるで、
主人の激憤を宿したかのように、
異様な怒気をはらんでいた。
そこには、将への強い信頼と共感がある。
また、その統率は揺るぎが無い。
一兵卒に至るまで、
徹底された動きの遵守がある。
戦略への理解が無ければこうはならない。
これは勝てない。
簡雍は、いや、劉備は勝つことを諦めた。
関羽、張飛を前に出し、
戦況を拮抗させることに集中した。
曹軍はいかに強いとは言え、遠征軍である。
兵糧には限りがあるし、
何と言っても、曹操は過ちを犯した。
ここまでの進攻の道中で、
怒りに任せて虐殺を繰り返していた。
多くの民が殺され、川は死体で埋まり
流れを止めた程の壮絶さであった。
逆に言えば、
この道程が兵の怒気を高揚させたと
言えなくも無い。
しかし、これは明らかに失策であった。
徐州中の民心を失ったのである。
それはつまり、兵糧を現地で調達できないということだ。
「曹操軍は短期決戦で決めるつもりだ。」
そう考えたからこそ、
戦いを痛み分けに持ち込もうとしたのだった。
そして、曹操は退いた。

「初めての経験だ。」
関羽だった。
この男がこんな言葉を口にするのを、
簡雍は初めて聞いた。
「強かった。軍とはこう動くものだ、
とまざまざと見せつけられた気がした。」
簡雍もため息をついた。
「斬っても斬っても、
そこに壁があるように感じた。
あの統率は如何にして出来上がるのか。」
その声には関心と畏怖があった。
髭を整えながら関羽が誰に問うでもなく
思索している。
この男も、考える人だ。
簡雍はこの思索に付き合うことにした。

「理解だ。
将が、歩兵の隊長までが、
戦略を理解しているようだった。」
簡雍は唸る。
「しかし、将はまだしも兵に学識は無い。
なぜ理解ができる?」
関羽は腕を組んだ。
「それよりも私が驚いたのは、士気だ。
まるで兵一人ひとりが親を殺されたように
向かって来た。」
そうだった。
如何に高揚していようとも、
その光景は異様だった。
簡雍は関羽の顔を見て、そして田豫の言葉を
思い出した。
「憧れ、かもしれないな。
我々の兵が貴方に憧れ、真似をするように、
曹操に憧れているのかもしれない。」
だからこそ、共感し、追従するのだ。
しかし、曹操には関羽ほどの武威は無い。
曹操の何がそれほどの憧れと共感を作るのか。
「先ごろ、曹操が青州の黄巾を降した時、
彼は捕らえた敵兵と、夜通し語り合った
と聞いたことがある。
憲和殿の言う共感が兵達にあるとするならば、曹操のこの姿勢は確かに共感を生むでしょうな。」
簡雍は戦慄した。
もし、曹操がこのような事を毎夜していたとしたら、共感どころではない。
そうか。
これは共有だ。
「雲長殿、兵が戦略を理解出来ないと、
思っているのは、思い込みなのかも知れない。
その思い込みは、彼らの可能性を
摘んでいるのでは無いだろうか。」
想いを共有し、目的を共有し、
さらに知識を共有すれば、
「兵」は、いつの間にか「将」に
成るのではないか。
曹操の軍からは、絶え間なく
将が生まれている。
あの異様な軍は、
これまでの中華に無かった、
次元の違うものだ。
だとすれば。

曹操。
なぜ、こんな男が
劉備と同じ時代に生まれたか。
簡雍は天を仰いだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?