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簡雍さんは考えた。(短編の12)

簡雍は畏怖した。
張飛を凌駕する暴の匂い、
関羽に比肩するほどの風格、
これがあの、呂布奉先か。
しかし、これは恐い。
この男の近くにはいたくない。
ただただそう感じた。
まるで本能が拒絶しているようだった。

徐州牧になったとはいえ、
劉備には休まる時は無かった。
乱世だな。
改めて簡雍はため息をついた。
陳登、糜竺、趙雲をはじめ
麾下の士人は増え、彼らの尽力のおかげで、
劉備の治世はうまく進んでいた。
寒門から立志した劉備には、
曹操などとは違い、財力も地盤も無かった。
そんな主人に依るべき地と民が出来始めていることを、それでも簡雍は素直に喜べなかった。
外患が多い。
西の曹操もだが、今気になるのは
笮融だった。

笮融は、この時代において一際特異な男だ。
かつての徐州牧、陶謙のもとで力を持ち一大勢力を誇ったが、
しかしその力の基盤は、土地の民衆ではなく、とある宗教だった。
仏教である。
当時、仏教は中国においてまだ、
弱小宗教だった。
シルクロードを通って入って来た時期は遡れば古く、帰依した人の数も少なくはない。
しかし、輪廻転生の考えを根底に持ち、個人の精神的開放を目的とするその教義と、祖先崇拝を基本にして家制と規範を重んじる儒教とでは、相性が悪かった。
信者は差別の対象とされ、謂れのない迫害も受けた。
それを広く集め、保護したのが笮融だった。
彼の領地に信者を移住させ、寺院も建立した。
実に数万もの信者が笮融の元に集まった。
だが、彼の真意は彼らの救いや信仰では無かった。
この時代、人口とはすなわち労働力であり財力であり兵力である。
この力をもって、笮融は陶謙に協力する見返りに多大な金や食糧を受け取っていたようだった。
配下というよりも、同盟に近い形だったと言える。 
しかし、先の曹操の来襲を受けて笮融は、
逃げた。
盟約を棄て、我先に南へと移ったのだ。
そこにはもちろん土着の民衆がおり、彼の引き連れて行った数万の仏教徒は住み着くことが出来ない。
笮融は広く略奪を行うようになった。
事情はあれど、もちろん仏教の教義に反する所業である。
それにより幾分かの信徒は彼を見限っただろうが、依然大きな勢力として存在していて、その脅威が徐州にも及んでいたのだった。
「地盤を持つのも一苦労だな。」
簡雍は劉備と話し合う日々が続いていた。
そこに思わぬ来訪があった。
数百の兵を率いて、
呂布が来た。

呂布奉先。
天下に名の轟く、稀代の武将。
そして、裏切りの男でもある。
義父である丁原を裏切り董卓につき、
王允の誘いに乗り、その董卓を斬った。
そのまま中枢を握るかと思われたが、
李傕ら董卓子飼いの涼州兵に洛陽を追われてしまう。
董卓裏切りの原因は、女を奪い合ったという説もあるが、どうやら派閥争いの行きつく先だったようである。
董卓は当時、涼州と并州の勢力を率いており、呂布は并州側の領袖である。
だんだんと力をつける涼州派閥に対して不満が募っていたところを王允に誘われたのだと簡雍は見ていた。
呂布に従っているのは、張遼をはじめとする并州兵だからである。
洛陽から逃げた呂布は、巡り巡って曹操の庇護下に入ることになる。
正確には曹操と盟友であった張邈に迎えられたのだが、彼と共に謀って今度は曹操を攻めた。
先立って、曹操軍が徐州から引き上げた原因はこれだった。
つまり、呂布は間接的に劉備を助けた形になる。
しかしその戦にも敗れ、ここ徐州まで流れて来たのだ。
それにも関わらず、
「我への恩を忘れるな。劉玄徳。」
それが第一声だった。

耳を疑った。
確かに呂布の動きが徐州から脅威を除いたのは事実ではある。
しかし、曲がりなりにも劉備は州牧である。
それを敬称もとらず呼び捨てとは。
取るべき礼儀があり、守るべき礼節があるはずだ。
張飛が目をいからせている。
そっと近寄り、宥めながら劉備を見た。
笑っている。
「もちろんです。呂将軍。
 将軍の武威のおかげで今の徐州と
 私があるのです。
 それに、貴殿はあの悪賊董卓を討ち
 皇帝を救おうと尽力なされた。
 天下の功臣をお迎えすることが出来て
 光栄の極みです。」
そう言って、酒の用意をさせた。
大袈裟だが、意図がある。
改めて度量の大きさを見せると共に、
呂布を取り込もうとしていると分かった。
動けば天下が注目する英傑である。
曹操、笮融の牽制になるばかりか、充てれば鋭い刃となる。
分からないではないが、恨みも多く買っている男だ。
現に張邈のもとに行き着くまでに、袁術にも袁紹にも追い返されている。
賭けだぞ。
簡雍は背中を汗が伝うのを感じた。

宴には変わらずひり付くような空気が流れている。
こんなに美味くない酒は無いな。
隣に座るのが張飛なだけに、簡雍は気が気では無かった。
あいも変わらず劉備は呂布を誉めそやすが、一向に場は和まなかった。
すると、
「呂将軍、恐れながら、一つお聞きしてよろしいか。」
弾むような声が飛んだ。
糜竺だった。
まるで無邪気な子供のような笑顔で呂布を見ている。
「ふむ。」
呂布が箸を止める。
切れる寸前の糸がふわっと緩むのが分かる。
ああ、これだ。
この人懐こさが、乱世の中でも
徐州を支えて来たのだ。
簡雍は糜竺を見て、改めて感心した。
「将軍は先頃まであの曹操とも
 戦われておりましたな。
 我々は、劉州牧がおられてさえも
 怯えるばかりでして、、、。
 将軍から見て、曹操は如何程の相手
 でしょう?」
まさに商人らしい言い回しだった。
さりげなく劉備も立てている。
苦笑いする陳登が見えた。
「あの男は所詮、宦官の孫だ。
 たまたま運良く力を持ったに過ぎん。」
そう答えて、呂布は盃を煽る。
本当にそれ以上でも以下でもない。
そう思っているらしかった。
ああ、見えていないではないか。
簡雍は心の中で唸った。

呂布の恐さが分かった気がした。
認めないのだ。
自分の価値観に合わないものを。
あれ程の用兵術を持ち、兵の人心を掌握している曹操をして、ただの宦官の孫に過ぎないと切り捨てる。
価値観に合わないから、見ようとすらしていないのだ。
なんという傲慢か。
認めていないから、躊躇なく裏切る。
裏切るという認識すら無いのかも知れない。
きっと、董卓の時も、丁原の時もそうだったのだろう。
そして、その要因は、
おそらく彼の超人的な武力。
たった一人で戦況を変え、情勢を変えてしまう程の武。
また、その自負だ。
その煌めくような武は、羨望の的になるし、人を惹きつけもするだろう。
ただ、その傲慢さ故に、呂布は他人を認めない。常に見下す。
そのふるいにかけられ、残った者のみが彼に付き従うのだ。
天下随一の武人に、たった数百人が。
それは精兵だろう。
しかし、戦の中の一部隊。それだけに過ぎない。
だが、彼はその弱さに気付きもしないのだろう。
黄巾すら受け入れ、兵卒にまで意思を共有させる曹操とその軍の強さを、
人々を包み、安寧を守り続ける糜竺のおおらかさを、
多様なものを認めることによって造られる靭さと大きさを、
呂布は気づかないのだろう。

そしてまた、自らの気分の赴くままに裏切るのでは無いのか。
陶謙にとっての、あの笮融のように。
これはまさに、諸刃の剣だ。
見極めが肝心だぞ。
いつもにも増して、喉がひりつくのは、
酒のせいでは無い。
簡雍はそれでも盃を一気に傾けた。

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