見出し画像

簡雍さんは考えた。(短編の4)

簡雍は関心した。
こんな男がいるのか。
浅黒い肌に、堂々とした体格をした
偉丈夫である。
長く伸ばした艶のある髭が印象的だ。
背筋は立板が差し込まれたように
真っ直ぐ伸び、大きな体をより泰然と
聳えさせていた。
所作にもどこか品格を感じさせる。
何よりも簡雍を驚かせたのは
その見識だった。
話してみるとどうやら、
四書五経に通じている。
世の中の事情にも詳しかった。
こんな男が劉玄徳に仕えるのか。
しかしそれは、不思議なことではなかった。

関羽(字を雲長)が現れたのは
まだ早朝だった。
劉備は目下、
黄巾賊討伐の義勇軍に名乗りを上げる為
募兵の最中である。
その拠点として、懇意にしている商人、
蘇双の邸を使わせてもらっていた。
その門前に静かに現れたのである。
身なりはお世辞にも整っているとは言えなかったが、それでも隠せない威風を簡雍は感じた。
劉備も同様だったのだろう。
早速招き入れ、話をした。
正直な男だった。
遠く河東郡解県より来たという。
実家は塩の生産を生業としていた。
その地域の利益を独占しようと
横暴な取り立てを繰り返す役人に憤り
斬り捨てた後に追われて来たのだと、
大事でも無いかのように語った。
そんな時に募兵の立て札を見て、
劉備の噂を聞いたことで興味を持ち
やってきたのだという。
訥々と語る中に、
自身を飾るような言葉は一つも無かった。
劉備とはまた違う種類の傑人だ。
簡雍はそう思った。

劉備はどちらかというと、自身を創る。
侠客の出だからもあるが、
面子を気にするところがある。
身なりにもそれなりに気を遣い、
多少派手好みだ。
しかし派手な身なりとは打って変わり、
劉備の本質は掴みどころが無い。
水のようだ。
感情に任せることもない。
そんな男が、
たまに思わせぶりに話すものだから、
いちいち相手が重く捉えるのだ。
そう簡雍は思っていた。
それは自らという器に
劉備という水を勝手に入れて、
満たされているようなものだ。
それで皆が喜んでついていくのだから、
やはり不思議な男だ。
そう思う。

だが、関羽は自身を創らない。
着飾りもせず、へつらいもしない。
一本の大樹のようにそこに樹っている。
葉をつけるが、そこに絹を纏うことも玉を下げることもせず、律然と立っている。
そんな印象を受ける男だった。
そこには、彼の信念が根を張っているようにも見えた。

関羽が言った。
「私は罪人です。
雇い入れれば、貴殿に不利益があるかも知れない。
断られることも承知致します。」
劉備が応えた。
「私はただ、共に大事を成す人を求めます。
あなたは、まさにその人であると思います。」
関羽は問うた。
「あなたの言う大事とは。」
劉備はまた応えた。
「世の民の安寧です。
その為に黄巾を鎮めます。
彼らは今や義心の徒ではない。
略奪を繰り返し、
我欲を満たす為に走っています。」
関羽は強い視線と共にまた問う。
「黄巾を鎮めた後は如何なさる。
彼らも元は民草ではないですか。
私は、朝廷の腐乱こそが
この混迷の要因と考えます。」
熱度が一つ上がった。
役人を斬っている男なのだ。
簡雍は改めて凄みのようなものを感じた。
この問いはまさに関羽の信念から来ている。
民を憂い、民を想い、
身を挺して民に尽くす。
義侠心である。
鋭い眼差しが劉備を刺した。
しかし劉備は動じない。
「皇帝を補佐します。
今の朝廷に皇帝の意思は無い。
周りがそれを覆い隠し、我が意のように使っています。
私はそれを取り払い、天の意思を受けて
民のために働きたいのです。」
関羽はうなずく。
「なるほど。
しかし、あなたが、その代わりに帝意を覆い隠してしまうことはありませんか。」
試されている。
そう感じると、
緊張がしんと沁みるようだった。
簡雍は唾を飲み、
2人を食い入るように見つめた。
こんなやりとりを迫られる
劉備を、簡雍は初めて見るからだった。

劉備は一拍置いて応えた。
それは関羽に語るというより、
独り言のようだった。
まるで自身に言い聞かせるような。
「老子に、
生じて有せず、
為して恃まず、
長じて宰さず、
とあります。
私は、ただ、そうありたいと思うのです。」
関羽は、はっとした。
簡雍も同様だった。
老子のその言葉は、まさに
「玄徳」という理念であった。
産み出しても持たず、
成功しても誇らず、
高みに至っても牛耳るようなことはしない。
という理念。
簡雍は腑に落ちた。
これを学んだから、劉備は変わったのだ。
迷いがなくなった。
芯を持ったのだ。
関羽もそれを感じたのだろう。
決意の表情を見せた。
「分かりました。あなたを信じましょう。」
しかし関羽の愁眉はまた曇る。
「ですがやはり、私は罪人です。
それでもよろしいか?」
劉備は笑った。
「私も元は侠客ですよ。
私は過ちを見る目を持たず、ただ
あなたが見せてくれる功をのみ見るでしょう。」
関羽は顔を上げた。
大樹が勢いよく水を吸い上げる様を見た。

その後、義勇軍の中で
最も武勇に優れていた、関羽と張飛は
劉備の護衛をするようになる。
いつも行動を共にし
まるで兄弟のような3人を、
周りは羨んだ。
「憲和殿は、あの仲を妬んだりしないのですか?」
そう聞いて来たのは田豫だった。
聡明だがまだ幼さの残る少年の肩を叩いて、簡雍は言った。
「それを思うのは君だろう。
私はね、
あいつをただ見ているのが好きなのさ。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?