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簡雍さんは考えた。(短編の5)

簡雍は考えた。
なぜ劉備はこんな行動を取ったのか。
たしかに元は侠人だから、
面子を気にするきらいはあった。
だがこれほど過度に反応を示したことは、
従兄弟である簡雍が知る限り
初めてではないか。
何が劉備の行動を変えたのか。
これを突き止めなければ、
劉備の人を率いる者としての
先が無い気がしていたし、
それが自分の役割だと
簡雍は思った。

劉備は挙兵した。
義勇軍としても拙くはあったが、
いくらか名声を得ていたこともあり
幽州、冀州を平定する軍に編制された。
しかし、そこで早々に敗戦を経験することになる。
賊軍にやぶれ、劉備は負傷し、
死体に紛れて命からがら逃げ出す
といった体であった。
この体験に劉備が負い目を感じたことは
確かであろう。
それでも、その後にいくつか軍功を上げて
中山国の安喜県の役人に任命を受ける。
しかし、浮かない顔をする時を
簡雍は幾度か見ていた。
張飛などは、役が安すぎるからだと
喚いていたが、
簡雍はそれが理由とは思わなかった。

そんな折、安喜県に督郵が来た。
督郵というのは、
査察官のようなものである。
どうやら私用での訪問だったようだが、
劉備は疑いを深くした。
あいつは私用と言いながら
自分を査察しに来たに違いない。
そう思ったのには理由があって、
この督郵は劉備と面識があり、
そして特別折り合いが悪かった。
過去の戦歴に負い目がある劉備は
大いに彼を気にした。
兎にも角にもと、面会を求めると
けんもほろろに拒否された。
督郵からすれば、公務では無いし
付き合いが良いわけでも無い。
わざわざ会う必要も無いとの判断だろうが、
それが事態を悪くした。
劉備は事もあろうに、
強引に督郵のいる邸に押し入り、
彼を縛り上げて、鞭を打ったのである。
しかも200回を数えるほどという
激烈さであった。
簡雍はこれほど感情を面に出す従兄弟を
初めて見た。
喜んで手を打ったのは、
盲信ぶりに歯止めが効かない張飛である。
関羽は黙って見ていたようだ。
この主従は侠として似た思考をするが、
劉備の狭量な反応を、関羽はどう見たか。
簡雍はこれも懸念した。
そして、従者の一人である田豫もまた、
主の行動に戸惑いを隠せなかった。
彼は若く、聡明だった。

「憲和さん、主はどうしたのでしょう。
あんな仕打ちをする必要があるとは思えません。」
田豫(字を国譲)はそっと
簡雍に歩み寄った。
彼はこの陣中にあって、
若年輩のまとめ役を担っている。
劉備も目をかけているから、
普段は温厚な主しか見たことは無いだろう。
怯えるというより、
主人の変容を心配する口ぶりだった。
「そうだな。
何か理由があるんだろう。」
そう返した簡雍は、田豫を誘って
その場から離れた。

「玄徳は昔から、
感情に任せた行いはしない男だ。
しなかったと言うべきだな。
それがあいつの美徳だった。」
「はい。私もそこに安心を感じていました。
なのになぜ・・・。」
田豫はその幼さの残る顔に、
初めて不安そうな表情を見せた。
この事を知るのは
まだ限られた側近達だけだが、
そのうち陣中に噂は広まるだろう。
その時に彼のように思う者は
少なくない。
そう思うと、簡雍はことさら憂いを覚えた。
「国譲も知っているとおり、先の敗戦を
玄徳は気に病んでいたようだから、
それが直接の原因だとは思うが。」
「ですが、勝敗は時の運です。
それに、主はその後にも武功をあげています。
なぜそうも気に病むのでしょう。」
この若人の弁舌は明朗だ。
やはり逸材だな、と感じつつ、
彼を失望させるわけにもいかない
と簡雍は身を引き締しめた。
「よし。
少し整理して考えよう。
何が玄徳を変えたか。
何が玄徳の周りで変わったかだ。」

2人はしばらく、町を散策しながら話した。
思い当たった「違い」は2つ。
立場と、周りにいる人である。
「一軍の将になった。
そこで自尊心が強く芽生えただろう。」
「しかし、その後にすぐ負けました。
芽生えたその自尊心が折れたのでしょうか。」
「そうだな。
子供は初めて経験することを
よく覚えているものだ。
劉備もやはり、あの体験を強く受け止めて
しまったのかもしれない。」
自身を惨めに感じ、
劣等感を強く抱いてしまったのか。
それ故に、そこを暴かれることに
強く反応したのかも知れない。
「あとは、常に雲長さん、翼徳さんと
一緒にいらっしゃいます。
雲長さんはともかく、翼徳さんは
ずっと主にくっついて回ってますから。」
田豫は苦笑いする。
「一番の変化は、それだろうな。」
簡雍は腕を組んだ。

付き合う人が変わると、
自分を取り巻く言葉が変わる。
それは何よりも思考に影響を与えるだろう。
張飛は、事あるごとに劉備を讃える。
その言葉を常に浴びていれば、
いかに劉備が自制しようとしても
驕りは出てしまうものだ。
強い劣等感を隠そうと躍起になるだろう。
更に関羽である。
劉備も関羽には一目も二目も置いている。
そんな傑物が従者にいるとなれば、
自身を飾ろうとしてしまう気持ちは
よく分かる。
つまり、劉備の行動は、
そして判断の基準は、
彼らがいることによって
変わってしまっているのだ。
彼らが基準になってしまっている
と言える。
これではいけない。
一軍を率いる者が、
他人の想い、評価で判断を下すのは危うい。
結末が非となれば、しこりが残る。
正となっても、これでは自信が持てない。
何より、それで人に死ねと言えるか。
これは信頼の問題だ。

しかし、関羽、張飛、という
希代の猛者2人はこの軍の中核である。
「この乱世には、何を置いても
必要な武勇だ。」
2人を遠ざけることは、それこそ
劉備の腕をもいでしまうも同然。
しっかり側に付いていてもらわねば。
そして、
自らの理念が出来上がりつつあり、
躍動し始めた劉備という男にとって、
これは風邪のようなものだ。
熱を冷ましてやればいい。
簡雍は、その点悲観的ではなかった。
となれば、
「話してみるか。
国譲、酒を用意してくれるか。」
「もちろん構いませんが、
主に何と話されるのですか?」
簡雍はため息をつきながら答えた。
「何のために挙兵したのか、
劉玄徳は何を為すのか、
もう一度問いただす。
あとは、大巧は拙なるが如し、だな。」

翌朝、劉備が謝罪に来たと
驚いた顔で田豫が知らせに来た。
その素直さが劉備だなと思いながらも、
謝罪する相手が違うだろう、と
督郵の無事を想いながら
簡雍は二日酔いの頭を叩いた。

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