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簡雍さんは考えた。(短編の10)

簡雍は悄然とした。
田豫(字を国譲)が劉備のもとを去った。
あの明朗で快活な青年が、
聡明で有望な将士が、
劉備と袂を分かった。
「ああ。」
この男が自分の決意を曲げないことは、
簡雍がよく知っている。
ただ声を漏らすしか無かった。

徐州への曹操の侵攻は壮絶を極めた。
州牧の陶謙は、大敗し、
公孫瓚からの援軍である
劉備を前線に据えて交戦するも、苦戦。
結局は兵糧不足と自領地での騒動で
曹軍は撤退するのだが、
徐州には大きな傷跡と、不安だけが残った。
きっと曹操はまた攻めてくる。
今度こそ、陶謙は負ける。
領地に渦巻くその念が祟ったのか、
陶謙は憔悴し、危篤の状態となった。

陶謙は、軍事よりも
立場を作ることが巧い男だった。
もとは黄巾を鎮めるために
刺史として徐州に派遣された。
それに成功すると、
そのまま土地の有力者を集め
この地を治める。
しかし、朝廷への忠勤が篤いわけでは
ないようだった。
かつて董卓が朝廷を牛耳った時は
賄賂を贈り、地位を保った。
州牧となり一勢力として台頭してからは、
公孫瓚、袁術と盟を結び、安寧を得る傍ら、
勝手に皇帝を名乗っていた闕宣、
裏切りを重ねて力を持った笮融
などとも通じていた。
朝廷の転覆を予感していたのかも知れない。
どう転んでも立ち振る舞えるようだった。
だが、曲がりなりにもその処世術が
徐州を安んじていたことは間違いなかった。
そのある意味での傑物が倒れるのだ。
どの時代でも、後継問題は首領の大きな課題である。
陶謙には、陶商と陶応という子があったが、
親から見ても才覚に乏しかった。
どう見積もっても自勢力を守れない。
このことも彼を悩ませた。
また、この問題は臣下にとっても重大な
転機である。
主人が代わり、この地はどうなるか、
自らの待遇がどうなるのか。
あるいは、その代替わりにあたり、
どう貢献したのか、
そんなことが将来を大きく変える。
徐州の地は沈鬱な気に包まれていた。
この時、声を上げたのが、糜竺であった。

糜竺(字を子仲)は、もともと
徐州でも有数の富豪であった。
陶謙に招かれて仕えるようになったが、
彼への忠義というより、
この地への貢献意欲が強い人と言える。
糜竺もやはり、陶謙の子らに、
徐州を治めることは難しいと考えた。
しかし、この地を決して
曹操に支配されたくない。
そこで期待を寄せたのが、
劉備である。
糜竺にとって、優先は主人ではない。
領民たちの安寧だった。
それを為せるのは、劉備であろう
と考えた。
柔和で温厚な彼には、劉備の道教的思想は
相性が良かったのだろう。
排他的ではなく、包容力がある。
そして、道義的に映った。
それは陶謙との大きな違いでもあった。
有力者である糜竺の進言により、
陶謙は徐州を劉備に託す事を決定する。
劉備は一度拒否するも、
土地の名士、陳登や、
孔子の末裔である孔融らの説得により
徐州牧に就くことになる。
劉備勢にとっては願ってもいない幸運だった。
一度断ったやりとりは、
儒教的な儀礼のようなものである。
また、公孫瓚への義理立てでもあった。
何にせよ、大きな飛躍への基盤が
足元へと転がり込んだ。

田豫が幽州へ帰ると言い出したのは、
そんな時であった。
簡雍は愕然とした。
絶対にこの男を手放してはいけない。
劉備勢にとっては、一人の有能な将を失う
ということ以上の損失だ。
簡雍は切実にそう考えた。
良識を失うのだ。判断を失うのだ。
可能性を失うのだ。
絶対に駄目だ。
勇猛な武将なら他にもいる。
関羽、張飛は言うに及ばず、
この度、公孫瓚軍から移って来た
趙雲(字を子龍)も劣らず優秀な武将だった。
壮猛なだけでなく、忠節に篤く
沈着で重厚だった。
彼ほどの良将が公孫瓚を見限り、
自身に仕えることを、
劉備は殊の外喜んだ。
確かにとても大きな賜物と言える。
きっとこの先多くの勲功を挙げるだろう。
しかし見るところ、
趙雲は、忠実な人物である。
簡雍が真に必要だと考えている人材は、
「異物」だ。
主人の言動に対し、是正を考え
諫言を唱えられる人物だ。
かつて劉備が督郵を打ったとき
そうであったように、
おかしいと言える人物である。
これを失うことはすなわち、
名主が自らの価値観以外の道を
選べなくなるということである。

「なぜ去る?
これまでの働きには報いているつもりだ。
そして、これからも共に天子のために働きたい。
なぜだ。」
劉備は問うた。
「母が、
幽州の郷里にいる母が体調を崩しました。
これを看るために戻らねばなりません。
主は、これからこの徐州をお納めになります。
私はお力になれないでしょう。」
そう言って田豫は笑った。
屈託の無い笑顔が、
簡雍には、殊更寂しそうに見えた。
この時代、親への孝行は
社会的な道徳である。
これを守らないことは、
責められる行動ではあった。
しかし、違うぞ。玄徳。
簡雍は思った。
確かに親への懸念もあろう。
しかし、今お前が口にした
天子のために働くということを
国譲は望んでいるわけではない。
玄徳、お前のために働きたいのだ。
それを言え!
痛切に思った。
念を込めて劉備を見た。
しかし、劉備は州牧となった。
立場も持ってしまった。
新しく仕えることになった
徐州の名士達を前に、
自らの為に働けとは、
軽々しくは言えないのだ。
そして、
田豫は去った。

「なぜ俺に言わなかった。」
田豫の馬を引きながら簡雍はぼやいた。
見送りに際して、せめて話したかった。
その為に友の馬を引くのだ。
「言ったら、憲和さんは止めるでしょう。」
「当たり前だ。」
自然と語気が強くなった。
「むきになる憲和さんは
初めてですね!嬉しいです。」
そう言ってまたこの男は笑う。
「母の話は本当なんです。
母のためにできること、
主人のためにできること、
一生懸命考えて比べて見たんですけど。
母にとって息子は私だけですから。」
簡雍は空を仰いだ。
やはりそうか。
武においては関羽、張飛、趙雲。
政においては糜竺、陳登。
大好きな劉備の為に、
若いこの青年は自分のできる事を
自分だけにできることを
見失ったに違いなかった。
人が本当に意欲を持つのは、
報酬よりも、貢献しているという
「自覚」なのだ。
「憲和さんは、
絶対に主人についていて下さいね。
そして、いつまでもぐちぐち言っていて下さい。
そう思えば、自分も主人のそばにいれているような、そんな気がしますから。
お願いします。」
手綱を受け取り、田豫はそう言った。
「言われるまでもない。」
そう返した。
言われるまでもない。
もう、それができるのは自分だけだ。
最古参の異物になってやろう。
可能性を絶やさぬために。

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