仮説「ポチのようなもの」
「間(マ)」とは何か?
本物の「間」と偽物の「間」があるのか?
見えないのにたしかに「間」があるという感覚はどういった感覚なのか、
の問いの末に辿り着いた古代神道。
開祖も教義も何も無いないないづくしの古代神道を考える。
何にも無いのに何かあると感じてしまうのは何故なのか。
仮説「ポチのようなもの」
農家の松蔵一家が飼っていた犬のポチが死にました。
娘のハツはポチを大変可愛がっていたのでひどく落ち込みました。
ある日、松蔵の妻のヨネは娘ハツのために灰色の布でポチにそっくりな犬のぬいぐるみを作ってあげました。
ハツはそのぬいぐるみをポチとして可愛がり話しかけてどこに行く時も連れて行きました。
村人達に不思議な目で見られる事もありましたが、松蔵もヨネも娘のハツに合わせてぬいぐるみのポチに話しかけたり本物の犬のように扱いました。
そのうちハツは、曇り空に浮かぶ雲を見ても、部屋の隅に張り付いている埃を見てもポチだと言い出して可愛がるようになりました。
最初は色や質感がどことなくポチに似ている物だったりもしましたが、次第にまったく似ていない物に対してもポチだと言い、松蔵やヨネや親戚達もそれに合わせました。
村には噂が広がっていました。
「松蔵の娘は頭がおかしい」「飼い犬が死んでから病んでしまった」「茶碗をポチだと言っている」と言い、特に村の子供達はハツの真似をしていろんな物にポチと名前を付けて投げて壊したりして笑って馬鹿にしました。
ある日、ハツを馬鹿にしていた子供の一人が肥溜めに落ちて死にました。
その次の日も次の日も子供が事故や病気で死にました。
ただの偶然と気にしない村人もいましたが、死んだ子の親が、
「ポチを馬鹿にしたからではないか」と言いだしました。
たしかに、死んだ子たちは皆んなポチを馬鹿にした子供達でした。
その日から村人たちはあらゆる物にはポチが宿っているかもしれないからと、「ポチのようなもの」を恐れるようになり「ポチのようなもの」を馬鹿にする行動を辞めました。
それから子供の連続死は止まりました。
なんとなくあらゆるものにポチが宿っているという感覚はこのように村人達にも広がっていきました。
村人達は、嵐の日には灰色の雲のポチが怒っていると恐れ、
作物がよく育った日にはポチの恵みだと言い、みんなでお祝いをするようになりました。
お祝いの際には、ポチ用の茶碗を用意して取れた作物を入れて供えました。
ハツが死んだあとも「ポチのようなもの」という感覚は代々続き、
「ポチのようなもの」に宿るあらゆる物を丁寧に慎重にポチとして扱うというしきたりが受け継がれました。
時が流れるにつれてその物に元々宿っているものが何なのか「ポチのようなもの」はだんだん不明瞭になりました。
ハツの死から長い年月が経ち、人々の心の中から「ポチ」いう名前が消えました。
「ポチ」は「ポチのようなもの」になり、ただの「姿が見えない何か」になりました。
「あらゆる物には[何か]が宿っているんだから大切に扱おうね。」
「何かってなあに?」
「ワン!」
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