西原鶴真

薩摩琵琶鶴田流奏者 "A_BAO_MAQUU" Project “…

西原鶴真

薩摩琵琶鶴田流奏者 "A_BAO_MAQUU" Project “間(マ)"研究者 Autism Spectrum Disorder https://www.kakushin.net/ https://kakushinnishihara.bandcamp.com/

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カッコいいババアが足りない

カッコいいジジイは居るのに、 カッコいいババアが足りない。 美魔女とか、 ロリババアとか、 いくつになっても男性から性的に見られるとか そういうんじゃなくて。 「SAND LAND」(鳥山明による日本の漫画作品)に出てくるシバ将軍のような、 顔面に深い皺が刻まれた苦みばしった賢いババア、 そういうカッコいいババアが主人公の物語りが、 圧倒的に足りないのだ。 女の子には“多様なロールモデル”が必要なんじゃないのか、何故そういう物語りが少ない(ほぼ見当たらない)のか。 「

    • 伝統芸能の[間(ま)]の授業《上級者編》

      前回、[間(ま)]の授業《中級者編》を書いた。 《中級者編》では、[間]に意味を持たせるために、“気配”を感じる訓練をした。 さて、今回は、[間]の授業の総仕上げである。 琵琶の[音]と“無音”とされる[間]を区別して、両者を西洋的に“二項対立”させ違うものとして扱う事からスタートした。 お稽古を録音する事で、 “無音”だと信じていた[間]の中には様々な豊かな“ノイズ”が含まれている事も知った。 そして、“気配”を感じる練習を重ねた。 その“気配”である[間]は、“

      • 伝統芸能の[間(ま)]の授業《中級者編》

        前回[「間(ま)]の授業《初級者編》を書いた。 今回は、[間]の授業《中級者編》だ。 “無音”であるはずの[間]を、 [音]が無いから聞こえないのでは無くて、 [音]はあるのだが聞こえないに変換させ、 “聞こえる無音”にしていきたい。 “聞こえる無音”だなんて、矛盾してるじゃないかと思うかもしれないが、 この、矛盾が鍵となる。 今まで何も無いと思っていた事柄に具体的な“意味”を与えて“見える化”していきたいのだ。 無音を[物体]にしよう! まずは、部屋の中に、特別

        • 大御所ブチギレ大炎上

          某琵琶店は何故ハードケースを売らないのだろうか? 琵琶奏者人口が少ないから? いや、そんな事は言い訳にはならないだろう。 何十年も続いている“薩摩琵琶のハードケース問題” 「なんで、ソフトケースしかないのかな?ギターとか他の楽器にはハードケースが普通にあるのに!」 15歳の時、鶴田錦史に弟子入りした日からずっと不思議に思っていた、琵琶のソフトケース。 楽器めちゃくちゃ高価(*1)なのに、ペラペラなソフトケース。 電車に乗るの怖すぎるソフトケース。 ましてや飛行機にな

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        カッコいいババアが足りない

          伝統芸能の[間(ま)]の授業《初級者編》

          《前回のお話はこちら↓》 伝統芸能の世界では、 [音]が鳴っていない時間を[間(ま)]と表現する。 [間]というのは、何なのか、 無音ならば[間]と言えるのだろうか? 今回は、[間]の授業《初級者編》だ。 皆さんは、“無音”について日常で意識した事があるだろうか? まずは、[音]と“無音”の関係性を意識する事から始めたい。 琵琶の[音]と[間]は違うものなのだろうか? それとも、同じものなのだろうか? 演奏家は、習い始めの頃、 琵琶の[音]と[間]は違うものとし

          伝統芸能の[間(ま)]の授業《初級者編》

          伝統芸能の謎[間(ま)]とは何か

          次回からスタートする[間(ま)]の授業《初級・中級・上級》者編に入る前の準備運動として読んでもらえたら嬉しい。 伝統音楽をやっていると[間]について考えざるを得なくなる。 [間]とは何なのか。 普通に考えると[音]と[音]の間の静寂ということになるだろう。 しかし、何となく西洋音楽のでの休符、メトロノームで測られる、ある一定の空白とは違うものとされている。 日常でも「間が悪い」とか「間に合う」とか言われるように、その場その場で適切な[間]があって変化するようなイメー

          伝統芸能の謎[間(ま)]とは何か

          オナホールと私《アルバム解説》(後編)

          先日リリースしたアルバム「少女発動器ゴムゴムパパド」 前回までのお話はこちら↓ 「少女発動器ゴムゴムパパド」は、 擬人化したオナホール美少女[猫間螺螺(ネコマララ)]争奪戦を描いたアルバムだ。 地上で雛壇が高速回転していた時、宇宙では、戦争が行われていたのだ。 [少女発動器ゴムゴムパパド] “登場人物” 犬間 奇奇奇{イヌマ キキキ〕 (オナホの螺螺を拾ってくる) 黒死巫女魔{コクシ ミコマ〕 (キキキの兄でラスボス戦では雌雄同体のクリーチャーに変身) グレー

          オナホールと私《アルバム解説》(後編)

          オナホールと私《アルバム解説》(前編)

          先日、私は“bandcamp”のフィーチャードアーティストに選ばれた。 記事には、先日リリースした「少女発動器ゴムゴムパパド」の事も少し書いてあった。 こちらは記事の和訳↓ 手の怪我から復帰後、自分史上猛烈な勢いで楽曲をリリースして来た。 昨年のミニアルバム「ゼッタイヒブツ」 琵琶とノイズの交響曲「F.N.O.(ファンシーノイズオーケストラ)」三部作 5人の琵琶奏者のための合奏曲「EVENT HORIZON -Improvisation for Biwa by f

          オナホールと私《アルバム解説》(前編)

          “死んだ近しい人のスマホを覗き見る嫌な気持ち”「さわり」書評

          「さわり」左宮圭(2011年) {女として愛に破れ、子らを捨て、男として運命を組み伏せた天才琵琶師「鶴田錦史」、 その数奇な人生。 第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞受賞作} 私の師匠である鶴田錦史の伝記「さわり」が出版されてから13年の月日が経った。 もちろん存在は知っていたし、 家族が購入して持っていたが、 私は読む事をずっと避けてきたように思う。 読んだという人達が感想を言って来たりもした。 その人達から聞いた感想の内容に目新しい事実はほとんど無く、 鶴田

          “死んだ近しい人のスマホを覗き見る嫌な気持ち”「さわり」書評

          [超_間]は禅である

          [間]から出現する[超_間]について、noteで考察を続けて来た。 前回は、[超_間]の中にいる時の身体感覚について書いてみた。 類推するならば、[超_間]の中にいる時、 [超_間]を体験している時の感覚は、 [ゾーン]に似ているのかもしれない。 [ゾーン]とは心理学者のミハイ・チクセントミハイが提唱した概念である。 アスリートが「ボールが止まって見えた」 「体が勝手に動いている」などと表現するように、最高のパフォーマンスに繋がる最高な精神状態と言われている。 体験

          [超_間]は禅である

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          惹かれるものたち

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          [超_間]はどこからやって来るのか?

          (※ここでいう3次元とは物質世界の次元を指す) 前回の「ドーナツの[穴]を琵琶の[間]に置き換えてみよう」で[超_間]について書いてみた。 琵琶の間は[空間]だが、愛着が形成されれば場所[家]になりうる話しを前回したが、その続きの考察を少し。 体験としての[間]である[超_間]は、 いったいどこからやって来るのだろうか? カール・ピアソンの「科学の文法」に当てはめてみるならば、 [超_間]は3次元に侵出している4次元流体(ボートの底に開いている穴から噴出する水のような

          [超_間]はどこからやって来るのか?

          ドーナツの[穴]を琵琶の[間(ま)]に置き換えてみよう

          伝統芸能の中で伝承され続ける[間(マ)]の正体とは何か。 私の中にある「体験としての[間]」が何であるのか、[間]についての考察を以前noteに書いてみた。 あれから、私の中の[間]は増幅し続けている。 そんな時にこの本に出会った。 「ドーナツを穴だけ残して食べる方法」 大阪大学ショセキカプロジェクト この中に書かれている、 「ドーナツとは家である(美学の視点からドーナツの穴を覗く試み)」 ([田中 均]大阪大学大学院文学研究科准教授) に、一つの答えを見出した。

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          私のwiki

          コレ、私のwikiなんですが、最近ジャンルにノイズミュージックが加わっていたんです。 誰かが書いてくれたんですね、めちゃくちゃ嬉しかったです。 wikiは誰かが勝手に作り上げるものだけど、もちろん審査が入ったりするので、ノイズミュージシャンって認めてもらえて嬉しいです。ありがとうございます。

          赤いランドセルの呪い(後編)

          私の中にいる巨大な雛壇(女の子の呪い)を回転させるために、 私は音楽ドラマを作った。 「Curly long Hair and Huge big Ribbon」(くるくるロン毛とデカりぼん)というタイトルの音楽ドラマを毎週1話(1曲)づつbandcampやiTunesなどで配信し、 3月3日全21話(21曲)で無事に最終回を迎えた。 物語りは、 第1話「How to make diamond-shaped rice cake(菱餅の作り方)」から始まり、 3人官女がお酒

          赤いランドセルの呪い(後編)

          赤いランドセルの呪い(前編)

          雛祭り、 女の子のお祭り。 私は雛祭りが苦手な女の子だった。 自分が女の子って呼ばれる事に違和感を感じていた。 初潮を迎えた時、お母さんがお赤飯を買ってきて「おめでとう」って言ったけど、 何がおめでたいのか分からなかった。 赤い雛壇も、 赤いランドセルも、 赤い生理も、 大嫌いだった。 14歳の頃、 「田園に死す」という映画を観た。 川から雛壇が流れて来るあのシーンを観た時、 自分の中にいる雛壇をどうにかしなくてはいけないという気持ちになった。 雛壇に車輪を付けて

          赤いランドセルの呪い(前編)