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私たちは人を想うとき、はたして正しく想えているのだろうか/【感想】『熱源』川越宗一

故郷を奪われ、生き方を変えられた。それでもアイヌがアイヌとして生きているうちに、やりとげなければならないことがある。北海道のさらに北に浮かぶ島、樺太(サハリン)。人を拒むような極寒の地で、時代に翻弄されながら、それでも生きていくための「熱」を追い求める人々がいた。明治維新後、樺太のアイヌに何が起こっていたのか。見たことのない感情に心を揺り動かされる、圧巻の歴史小説。

2019年に札幌の北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)に訪れた。その二階には樺太関係資料館があり、そこではかつて日本の領土であった南樺太の資料と写真が展示されていた。そこで歩を止めたのは北緯50度で引かれた日本とソ連の国境線のある樺太(サハリン)の地図と国境標石の写真だった。かつて南半分が日本領だった島に国境が引かれていた。陸地の国境線の一歩向こうはソ連領という事実に不思議な気持ちになった。

樺太(サハリン島)は江戸末期にロシアと和人の双方が主権を主張し始め、1867年に樺太島仮規則の調印により全島が日露の雑居の島になった。
1875年(明治8年)には日露間で樺太・千島交換条約が締結され、樺太はロシア領となった。この時に樺太アイヌ約2000人のうち、 841人が北海道へ移住した。日露戦争後の1905年(明治38年)、ポーツマス条約(日露講和条約)締結により北緯50度以南の南樺太は日本領となり、北海道へ移住していた樺太アイヌのほとんどは樺太へ戻った。しかし樺太・千島交換条約以後に樺太に残ったアイヌは日本の戸籍に編入されず、北海道の移住から戻ったアイヌは日本戸籍を持っていたため、「無籍アイヌ」「有籍アイヌ」として区別された。のちに1933年には無籍アイヌも戸籍に編入されることになったが、ニクブン、オロッコ、キーリン、サンダー、 ヤクートとといったアイヌ以外の樺太の先住民たちは終戦まで戸籍に編入されることはなかった。
 1907年には南樺太に樺太庁が発足。最盛期には40万人が暮らした。
しかし1945年8月9日にソ連が日ソ中立条約を破棄し樺太に上陸。戦闘により住民の多くが犠牲になった。そして8月25日、全島をソ連が占領した。

このような時代を通して、『熱源』は樺太を舞台に、樺太アイヌのヤヨマネクフ、皇帝暗殺の嫌疑をかけられ樺太に流刑されたリトアニア出身のブロニスワフ・ピウスツキの二人を中心に描かれる事実を基にした時代小説だ。
 樺太はロシア、日本(南樺太)、(ソビエト連邦)と三度にわたり主権が変わった。その間、樺太アイヌと先住民たちは、ただそこで生きてきただけでロシア、日本、そしてソ連とその時々の島の支配者に文明を押し付けられた。

故郷はまた一つ、自分たちが知らない姿に変わっている

この言葉は喩えでもなく、ただただ重い。

ロシアからは“優れた人種が劣った人種を憐れみ教化善導するという、ヒューマニズムを装った支配”という西欧文化の押し付けであり、日本の支配からは、“日本人”として同化させられることによる先住民としての滅びの道。

アイヌを滅ぼす力があるのなら、その正体は生存の競争や外部からの攻撃ではない。アイヌのままであってはいけないという観念だ。その観念に取り込まれたアイヌが自らの出自を恥じ、疎み始める日が来るかもしれない。

ここに日本人として、支配ではなく自分たちと“同じ身分とみなす”という傲りに胸が痛む。
 歴史的にも19世紀末から近代まで、強制的に琉球を併合した琉球処分や、北海道アイヌの同化政策に成果を見出した日本はその傲りから台湾の先住民の同化政策に踏み切り、1930年には抗日暴動・霧社事件(1930年昭和5年)が起こっている(霧社事件は映画『セデック・バレ』で描かれている)ことも忘れてはならない。

樺太関係資料館で見た日ソ国境の写真。
国境は日本とソ連という国家が引いた線だ。ソ連領にはロシア人が、日本領には日本人がそれぞれ住まう。無邪気にもそう思った僕は本書を読み、そこには樺太アイヌ、ニクブン、オロッコ、といった先住民たちがいたことを知った。

人が人を“生かし”、“生かされ”てしまう不幸。そこで“生きる”ただそれだけのことがなぜこうも難しいのだろうかと、ページをめくりながら自問する。
そして『熱源』は殴りつけるように問いかけてくる。
私たちは人を想うとき、はたして正しく想ているのだろうかと。

追記
アイヌを描いた文学は過去、第三回芥川賞を受賞した鶴田和也の『コシャマイン記』がある。『外地巡礼 「越境的」日本語文学論』(西成彦/みすず書房)によると、“アイヌの「英雄叙事詩」の味わいと日本の「軍記物」の味わいが同居し、そこにプロレタリア作家であった鶴田の帝国主義批判がまぶされて、きわめてハイブリッドな歴史小説”であるという。また“「先住民の立場から語る」という文学形式の実験として記念碑的な”作品として挙げられている。『熱源』はその系譜であり、本書の言うところの「先住民文学」ではないだろうか。
 また“「平和」とは圧倒的な武力を用いた「平定」にすぎず、そうした「圧倒的な武力」の集中のない地域こそ、かえって内紛の絶えない世界であったりするのです。”の言葉通り、樺太は時代的にそのような世界であっただろうと思うと同時に、それが『熱源』でブロニスワフが戦うと言っていた“摂理”なのではと思うのであった。

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熱源
川越宗一/著
文藝春秋
2,035円 ISBN:978-4-16-391041-3


【参考】

樺太先住民の日本国籍 : 国籍を剥奪されない権利  佐々木 麗
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/76267/1/HokudaiHouseiJournal_26_04_Sasaki.pdf
(北大法政ジャーナル, 26, 95-130)

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外地巡礼 「越境的」日本語文学論
西成彦/〔著〕
みすず書房
4,620円 ISBN:978-4-622-08632-1


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