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映画の中のフライフィッシング/『FlyFisher』2016年3月号掲載

くだらない場面から、意味深な描写まで、映画の中に登場する釣りシーンは実にさまざま。釣り人としては思わずツッコミを入れたくなるような場面は多いが、なぜ釣りをするのか、なぜフライフィッシングなのか、そんな意味を考えつつFF登場映画を振り返ってみる。

グーフィーと釣り 

オフシーズン、自宅でフライフィッシングに触れるには映画やドラマがいい。
と言って簡単に紹介できればいいのだけれど、実はフライフィッシングをまともに扱った映画は少ない。数えても片手で足りる。いや指二本で足りてしまうかもしれない。それでは面白くないので、これまで僕が観てきた映画やドラマの中で偶然にも登場したフライフィッシングシーンをいくつか紹介しようと思う。

 釣りをしている人間にとって、映画やドラマを観ていて釣りのシーンが登場するとついつい細かな部分に目がいってしまう。登場人物がフライロッドを持っていれば尚更で、そしてだいたい間違ったタックルでがっかりするのである。
 
 ディズニーアニメ『グーフィーの釣り教室(Goofy How to fish)』(42)では、ディスニーキャラクターのグーフィーがさまざな釣りに挑戦しては失敗していくショートアニメ。フライフィッシングのパートでは、スピニングリールのタックルにルアーに羽が付いたようなフライである。フライフィッシャーとしてはもう少しタックルを正確に描いて欲しいと思ってしまう。他にも『グーフィーの釣り天狗』という作品もあることからグーフィーは釣り好きであるらしい。そんな彼は、実はディズニーキャラクターで唯一の既婚者でしかもマックスという子どもまでいるのである。しかし妻がいないシングルファザーなのだ。釣りにハマって奥さんに逃げられたと推測してしまい、そういうところは正確にしなくてもいいのにと思う。
 

アメリカ映画に見るFF

 アメリカのテレビドラマ『ウォーキング・デッド』(10~)はゾンビで社会が崩壊してしまった世界をサバイバルする人々を描いた大ヒットシリーズだが、第1シーズンの4話にフライフィッシングのシーンが登場する。ゾンビから避難した姉妹が湖で魚釣りをしているが、使用するロッドがフライロッドである。ゾンビに襲われて死んだ父から二人はフライフィッシングを教わっていたようで、父との釣りの思い出に姉妹が涙するシーンである。セリフには「クリンチノット」や「フィッシャーマンズノット」などの言葉も出てくる。
「ドライルアーを使ってた?」「ウェットよ」という専門用語まで出てくるのでそこそこ納得の描写ではある。僕はいつゾンビを釣り上げるかドキドキしていたのに、結局キャスティングや魚を釣り上げるシーンが無くてガッカリであった。
 
 ジョン・トラボルタ主演のアクション映画『ソード・フィッシュ』(01)は、正直いって耐え難い出来ではあるが、ジョン・トラボルタが裏切った上院議員のもとにヘリコプターで乗り付けるシーンでは、あろうことか議員がフライフィッシングの最中なのである。ヘリコプターの激しい風と音と共に釣りをしている目の前に着陸するのである。魚は逃げるわ、雰囲気は台無しになるわで、釣り人への復讐にこれほど効果的なものはない。同じ釣り人として、復讐はわかるが、せめて釣りの邪魔だけはさせないでよ、と議員に同情してしまうのであった。

 サスペンス映画『ディスタービア』(07)では、主人公の少年と父が仲良くフライフィッシングをするシーンから始まる。
 少年がラインで水面をパシャパシャと叩くやる気のないキャスティングはなんとも悲しくなるが、魚をサイトしてフライを流すシーンではお父さんが「デッドドリフト!」と息子にアドバイスしていて、これはなかなかしっかりフライを描いている。お父さんの美しいフォルスキャストも映画では珍い。しかし物語はその後、主人公はお父さんを交通事故で亡くし教師を殴って警察から外出禁止令が出され、やることがないので隣の家の女の子を覗き見し、近所の男性がニュースで報道していた指名手配犯に似ていると思い込みストーカーまがいのことをしていると、実は本当に・・・という、冒頭のフライフィッシングのシーンや、父の死はまったく関係ない展開になっていく作品である。(註・アメリカではヒットしました)

 古い映画では、一九三六年のコメディ映画『結婚クーデター』の中にもフライフィッシングは登場する。当時はスクリューボールコメディと呼ばれた今でいうロマンティックコメディである。ウィリアム・パウエル分するビルが、フライフィッシングの教本を片手に川に立つが、バランスを失い川の中を転げまわるというシーンがある。なんとか一息ついたところで、勝手に流れていたフライに大物が食いつき、今度は魚に振り回されてしまう。短いシーンの中で魚がニンフらしきフライに食いつく水中シーンや、当時日本でも人気であった女優、マーナ・ロイのキャスティングも見られる。
 
また、タイイングシーンもよく登場する。
 最近では『猿の惑星 創世記』(11)で、主人公の猿シーザーが預けられる霊長類保護施設の所長は自分の事務所でタイイングをしていたし、名作『羊たちの沈黙』(91)のレクター博士を主人公にしたドラマ『ハンニバル』(13~15)では、レクターがマラブーらしきフライをタイイングをするシーンがあったりもする。人食いハンニバルは同好の士だったわけである。ドラマでは人間をキャッチ&イートしてしまうけど。
 戦争を痛烈に皮肉ったロバート・アルトマンの傑作コメディ『M★A★S★H マッシュ』(70)ではアメリカ軍の部隊司令ブレーク大佐が司令部のテントで助手をつけてタイイングをし、基地の中を流れる川でフライフィッシングをしているシーンが登場する。

フライフィッシンングが意味するもの 

映画に登場する人物になぜフライフィッシングをさせるのか、それは人物表現としての小道具であるからだ。『ウォーキング・デッド』の姉は元弁護士で、『ディスタービア』の父は作家であり、『ソードフィッシュ』では役人といった社会的階層や出自をフライフィッシングをさせることで表現している。
『猿の惑星 創世記』では動物を虐待する所長が、フライを嗜むということを皮肉として描いているのだろう。
また『ハンニバル』のタイイングシーンは、人間を捕食するレクターが、一般社会に溶け込み、人を襲う本人とフライフィッシングを重ねているのは明白である。映画ではペン一本でさえ、人物描写にふさわしいものを選ぶのである。釣りであればなんでもいいのではなく、フライフィッシングでなければ描けないものが、そのシーンに込められているのである。

釣りの哲学を描く

さて、そんなフライフィッシングでなければならなかった映画が『リバー・ランズ・スルー・イット』(91)である。
 本作はノーマン・マクリーンの自伝『マクリーンの川』(集英社文庫)を原作としてロバート・レッドフォードが監督。若き日のブラッド・ピットを一躍有名にした作品でアカデミー賞では撮影賞を受賞している。
 「私たちの家族では、宗教とフライフィッシングのあいだに、はっきりとした境界はなかった」という言葉から映画は始まる。モンタナの自然の中、牧師である父と二人の息子の、宗教とフラフィッシングそして家族の物語である。
 なぜこの映画が素晴らしいか。それはこれまで挙げてきた映画には決定的に欠けていたものがあるからである。
 それはアワセのシーンが素晴らしいのである。
ブラッド・ピット扮するポールが対岸の岩の淵のスポットめがけフライを落とす、すると間髪入れずに魚がフライを飲み込む。しかしここでブラッド・ピットはすぐにはアワセないのだ。一拍置いてから、アワセる。しなるブランク、張り詰めるライン、高鳴るリールのクラッチ音。この一拍!この一拍のなんと素晴らしいことか。何度見てもこのシーンは興奮してしまう。
ということを釣りをしない人間に説明してもわかってもらえない。この映画に興奮するシーンなど一つもないと言われてしまう。
  そう、本作はとても静謐な映画である。作家のノーマン・マクリーンは本小説を書き上げたが、出版社からは「木が多すぎる」と断れ続けたらしい。ドラマティックな展開もなく、自然の美しさばかりが強調されていると。
 この映画は、多くの人が川を人生に喩えていると考えている。しかし、『反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』(森本あんり 新潮選書)は、もう少し深い部分、本作と宗教との関係性について読み解いている。
 宗教における礼拝は周りに多くの人はいるが神と向き合うのは自分一人である。そして川に立つ釣り人も自然の中でただ一人である。
この精神的空間は礼拝と釣りで共通しているのがこの映画のミソであると本書は語っている。ゆえに釣りの約束に遅れてきたヒロインの兄に向かって兄弟はこう言う「このあたりじゃな、けっして時間に遅れちゃいけないことが二つあるんだ。礼拝の始まりと、釣りの約束だ。」
 アメリカにおいてキリスト教と自然との関係性とフライフィッシングでなければならない理由までも言及し、なおかつ国内で使われてる「反知性主義」という言葉が本来の意味ではないということも勉強できる(本当はこちらがメイン)素晴らしい本である。

 同じように信心とフライフィッシングを結びつけた映画には『砂漠でサーモン・フィッシング』(11)という作品もある。イエメンの大富豪がイエメンの砂漠で鮭釣りをしたいためにイギリスの水産学者にプロジェクトを依頼する。中東の明るいニュースが欲しかった政府も下心から感心を寄せていくという、イギリス映画らしい皮肉の効いた映画となっている。イエメンの砂漠に鮭を放流するという夢想をはじめ不可能と馬鹿にしていた主人公は、徐々に「信心」を持つことの尊さを知る。劇中の「釣りでなら川に何時間も立っていられるのはなぜか」という問いからも分かるとおり「釣り」の哲学を物語に引用した稀有な映画である。
  ※実はフライフィッシングを主題とした『River Why』(10)という映画があるが、残念ながら日本未公開で未ソフト化である。ぜひとも国内でリリースしていただきたい!

 映画やドラマに釣りのシーンが登場すると釣り人は小道具に目が行きがちではあるが、実はその奥にある「釣り」の哲学、思想まで描いているかが実はとても重要なのである。これから映画やドラマに釣りのシーンが登場したら、そのあたりを考えながら観てみるのはいかがだろうか。
あ、それとアワセのシーンも重要である。
ここを描けていない映画は釣りをわかっちゃいない。そんなシーンに出くわしたら、すぐにリモコンの停止ボタンを押して、ロッドを持って管理釣り場へ出かけた方がいい。


『FlyFisher』2016年3月号掲載

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