マガジンのカバー画像

書評とかレビューとか

279
これまで各媒体で掲載された書評や本のレビューなどをアーカイブしております。
運営しているクリエイター

2018年8月の記事一覧

“人生の一冊”との出会いかた/コラム《本にまつわるいくつかのお話》第一回

友人と食事をしているときに本の話になった。 友曰く、書店で気になった本を買うときにそれが自分にとっての〝人生の一冊〟ではないかと期待して本を買うのだそうだ。しかし〝人生の〟という一言を付け加えるほどの内容ではなかったといつも後悔して、古本屋に売り払ってしまうという。 「人生の一冊っていうのある?」と聞いてきたので、僕は「ある」と答えた。  八年ほど前の初夏、新潟と福島の県境の山中で五日間キャンプをした。携帯も繋がらない場所にこれ幸いと本を五冊ほど持って行った。その中の一冊

『まだまだ知らない夢の本屋ガイド』第一稿

 夜の十時を過ぎた大江戸線の車内は、アルコールの匂いと、これっぽっちも役に立たない冷房のせいで息苦しかった。  出張で上京した僕は、友人のコウイチと新宿で食事をした。明日も仕事があるのでそのままコウイチの家に泊まることになった。話疲れた僕たちは車内の中吊り広告を眺めたり、スマートフォンをいじったりして言葉少なかった。 「この電車、リニアなんだよ」 窓に貼ってある健康ドリンクの広告をじっくりと読んでいた僕は、つり革を握った自分の腕越しにコウイチの顔を見て、自分の足下に視線を落

「境界」とは幻想に過ぎない  吉村昭/文藝春秋BOOKS「本の話WEB 文庫3冊で読む作家」

あれは今から15キロほど体重が少なかった若かりし頃、すでに夏の終わりを迎えていた北海道を僕は独りオートバイで野宿旅をしていた。とある道央の山中の無料キャンプ場に到着し、テントを張り、日暮れとともにテント内で文庫本を開いた。吉村昭の『羆嵐』(新潮文庫)。北海道が舞台というだけで何気なく持参した小説だったが、大失敗だった。北海道の山村で村人が羆に襲われ食い殺されるという話であったのだ。そう、僕がいるのは北海道。そして山中僕独り。外界と僕とを隔てているのはテントの薄い幕一枚。  

本屋ということ/コラム《本にまつわるいくつかのお話》最終回

 ある日、一人の少年が右手に持った小銭を数えていた。左手に持っているのは小説の単行本。少年は小銭と本の値段を見比べている。 本を買うのにお金が足りるか数えているのだ。 少年はその本をどうやって見つけたのだろうか。どうして読みたいと思ったのだろうか。  書店には違いがある。 その違いに気づく人は実は少ない。 例えば、本は店頭でただ単に並べられていると思われているが、本を置く場所は、書店員が最大の注意を払う仕事なのだ。多くの人の目につく場所だろうか、手に取りやすい高さだろうか、

本の問い合わせの難しさ/コラム《本にまつわるいくつかのお話》第五回

書店で働いていて一番難しい問い合わせは「オススメの本ありますか?」である。 「オススメ本」と一口に言っても、問い合わせに対して僕が面白かった本をそのままお客さんにオススメすることはない。例えば僕が面白かったと思う本をあげよう。  将棋の名人大山康晴のアンドロイドが何者かに殺(?)され、立川談志と古今亭志ん生のアンドロイドが掛け合い、バーチャルスペースでは多数の志村けんがアイーンと連呼して行き会うなか、主人公のジャズピアニストのフォギーが世界を揺るがす事件に関わっていく『ビビビ

漫画と海外コミックのおはなし/コラム《本にまつわるいくつかのお話》第四回

「漫画を読む」ことは言語と同じくらいの知識と漫画特有の文法と表現の読解力が必要だ。  たとえばコマを読む順序。右上から読み始め、左に読んでいき、同じページ内の下の段の右コマに移る。セリフの書かれたフキダシだけでも、実際に声を発しているフキダシと心情を語るフキダシは別で、他にも多くの種類がありこれらも読む順序は決まっている。また、キャラクターの動きは動き始めと動いた後の画のみで途中の動きを理解する。驚く、気づく、緊張するなどの表現も、汗を視覚的に描くなど記号化されているが、それ

雑誌を侮ってはいけない/コラム《本にまつわるいくつかのお話》第三回

 むかしむかし、『ぴあ』というエンタメ情報誌がありました。インターネットがなかった時代、若者は映画や観劇、レジャーの情報を『ぴあ』から得ていたのです。創刊は一九七二年(当時は月刊。後に隔週、週刊を繰り返す)。  あるとき僕は国立国会図書館で七六年当時の『ぴあ』(一五〇円。当時は消費税はありません)から年代を追って閲覧してみました。そしてその誌面に充満する膨大な情報量に圧倒されます。現在の洗練されたレイアウトではなく、ましてやカラーではない。ただただビッシリと極小の文字が誌面を

海外文学読書入門/コラム《本にまつわるいくつかのお話》第二回

 見知らぬ町、見知らぬ建物、行き会う人々、人々の服装、履いてる靴、車は、自転車は、そんなことが気になりだす。  海外の小説を読むときに大切にしているのはその舞台となる国や街のイメージだ。ここ最近は中南米、アフリカ、アジアなどの非英語圏の作家の活躍が目覚ましく、そのまま読み始めるとその国々の知識が無いばかりに小説世界をイメージするのが難しい作品が多くなっている。 しかしご安心を。いまは海外小説を愉しむにはとても便利な時代になっているのです。  『明日は遠すぎて』(河出書房新社

敵意と憎しみの中に見え隠れする敬意 ビッグ・ノーウェア/ TRUE DETECTIVE

『ビッグ・ノーウェア 上・下』  ジェイムズ・エルロイ/著 二宮磬/訳文春文庫(絶版) 「相棒もの」の小説でもっとも衝撃をうけたのは、ジェイムズ・エルロイの『ビッグ・ノーウェア』だ。本書は、《暗黒のLA四部作》の二作目にあたる。一作目の『ブラック・ダリア』、三作目の『LAコンフィデンシャル』は映画化もされ、特に後者は第七十回アカデミー賞において作品賞の最有力候補であった(『タイタニック』に獲られたけど)。「少年ジャンプ」のモットー「友情・努力・勝利」の少年漫画で育った僕

ぼくたちはコメディ映画を知らなすぎた

『21世紀アメリカの喜劇人』 長谷川町蔵/著 スペースシャワーブックス ISBN:978-4-906700-48-6  座席に着いた僕の周囲のほとんどが、ティーンの女性たちであった。お目当ての映画の上映前、スクリーンに何やらオーディションで選ばれた新人女優が登場すると、「そんなにかわいくなくない?」「フツーじゃね」と手厳しいコメントが出るほど、目の肥えた女性客たちであった。 有楽町・日比谷のスカラ座で観たコメディ映画、『テッド』(一二)は、孤独な少年ジョンと、命が宿っ

『MODERNTIMES モダンタイムス』パトリック・ツァイ

『MODERNTIMES モダンタイムス』 パトリック・ツァイ/著 ナナロク社 ISBN:978-4-904292-23-5  現代中国を切り取った写真集である。 数ページめくると香ってくるのは、経済活動の勢いや、市井の人々の活気ではない。 郷愁である。 もう、懐かしい写真なのだ。 中国なのに。 百貨店の客寄せの黄金の甲冑やら、再開発中の瓦礫置き場で遊ぶ子どもたち。スーパーマリオのTシャツを着た子ども、蛇と少女のショー、使い捨てカメラとライオンと女性の合成写真。錆び付い

『オカルト 現れるモノ、隠れるモノ、見たいモノ』 森達也

『オカルト 現れるモノ、隠れるモノ、見たいモノ』 森達也/著 角川文庫 ISBN:978-4-04-104107-9 深夜二時ごろ、自宅近くの自販機に飲み物を買いに僕は歩いていた。街灯も無い細い路地で、月明かりだけが薄ぼんやりと周囲を照らしてた。先に視線を向けると数十メートル先の道の真ん中に、なにやら黒いものがあった。近づいていくと黒いシルエットが月明かりで明確になっていく。 全身の毛穴が開いた。 スーツを着た男が正座していた。 深夜に道の真ん中で。 しかしあまりに実

雨の本

雨の中、半身を川に沈めたアメリカ軍の兵士たち。川に浸さないように皆ライフルを肩に担ぎ一列になって川を渡っている。 雨に対してたちの悪いジョークに苦笑するような手前の兵士の表情。 フランスの報道カメラマン、アンリ・ユエが写したベトナム戦争の一枚の写真。 ベトナム戦争で犠牲になった報道カメラマンの遺作集である写真集『レクイエム』(集英社・絶版)では泥にまみれた兵士たちの姿が多く映し出されている。 インドシナ半島東岸にあるベトナムはモンスーン気候に属し、長い雨期がある。 アメリカ

本屋の話

『ドラゴンボール』の二巻が発売した頃、小学五年生が終わり僕は転校した。新しい土地で友だちのいない春休みを過ごしていた僕にとって、救いは歩いて五分の距離にあった新刊書店だった。 その書店は十坪ほどの小さな書店で、雑誌とコミック、少々の文庫と書籍がある、本当に小さな書店だった。 レジも半畳ほどのスペースで奥にトイレがあるだけで、いつも店長が独りでレジに座っていた。  当時はコミックにビニールパックなんてものはなく、なんでも読み放題だった。僕は毎日、日が暮れるまでその店でコミックを