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【秋田】ゲストハウスを始めるきっかけ①

前回の冒頭にも書いたが、一番のきっかけは夫の一言だった。

県庁職員が仕事を辞めてゲストハウスをやる?!
なんだか「ぶっ飛んで」いる話だ。
なんだかぶっ飛んでいるけど、それもまた彼らしい一言だった。

私はバックパッカーでの旅行経験はないし、一人旅などもあまりしていなかった。
では、なぜ私がゲストハウスを始めたのか。
夫の一言の前に昔のエピソードを書き留めようと思う。

【きっかけ①〜富山の民泊国体〜】
私は幼い頃から体操競技をしていた。
大学も体育大学に進学し、引退するまで15年以上競技選手として続けていた。
多くの大会に出場していたが、その中でも、特に印象に残り、今に繋がる大会が「富山国体」だった。
民泊国体と呼ばれたその大会では、当時富山県に宿泊施設が足りない為、各県のいろいろな競技選手が、様々な形で寝泊まりしていた。
古民家での民泊や、船で宿泊している選手もいた(船酔いすると愚痴っていたが…)。
さまざまな宿泊施設があったようだが、私が寝泊まりしたのは、小さな公民館だっだ。

和室が2部屋。
ホール、給湯室、男女トイレ、各ひとつずつ。
あれ?!お風呂は?!と、思っていたら、近所のおじいちゃんが、「女の子を暗い中歩かせるのは危ないからね」と言いながら、毎日懐中電灯を片手に、銭湯まで案内してくれた。

食事は地域のお母さん達が準備してくれた。
炊事場には朝、晩、当番制でお母さん達が2〜3人来てくれて、狭い炊事場はぎゅうぎゅう…。
一番覚えているメニューは、大盛りのカツカレーだ。あまりの大盛りに「ごめんなさい…」と言いながら残してしまった。

1週間近く滞在するので、洗濯も必須だった。
公民館には普段、洗濯機はない。しかも、近場にコインランドリーはなかった。その為、私達が宿泊する為だけに、簡易的につけられたであろう洗濯機が1台あった。
物干しは2台の脚立に結びつけられていた。
洗濯機を回して、部屋干しして、練習会場へ…。
そして、練習が終わり、公民館に帰ってくると、心優しい地域のみなさんが、部屋干ししていたはずの洗濯物がかかった脚立を「乾かないだろうから」と、外に出してくれていた。
私達のパンツもすっかり乾いていたのだから…うん、ありがたい。


これが私の初めての民泊?!との出会いだった。
多くの大会に出場するたびに、ホテル、旅館に泊まっていたが、公民館に宿泊する1週間になるなんて。

一緒に宿泊した監督は「いやー…大変な国体だったー。あれはキツかった」と、未だに言うが、私はとても楽しかった。
何より地域のみなさんのあたたかい「おもてなし」が、本当に嬉しかったのだ。

そしてこの経験は私の財産となり、今に至る。
絶対に忘れられるはずがない…。


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