最近の記事

水彩画をはじめた

なにか新しいことをはじめたくて、絵の具と筆と紙とパレットを買いました。写真は買い揃えた日に書いた絵なんですよ?吹け、才能の風。 バナナ絵を描いてみて、バナナひとつとってもたくさんの色があることに気がつきました。光が当たった明るい黄色、影になって暗く見える黄色、緑っぽさの残った黄色、黒に侵される黄色。青く見える影。色を見つけて再現し、自分が見たまま(見えたまま)に書くことがなんと楽し難しいことか。 あとモチーフ見つけるのが意外に難しい。あれっ、なに描こう。とか思いながらワイ

    • ミツバチのささやき

      素晴らしい映画を見た。語りたい。 どんな映画かというと...1940年、スペインの田舎町に、移動映画がやってくるところから話は始まります。上映された映画はフランケンシュタイン。映画の最中、主人公のアナは姉のイザベルにどうしてフランケンシュタインは女の子を殺したのか聞きますが答えてくれません。あとで教えてあげると言ったにも関わらず寝る前になっても教えてくれないイザベルに対し、アナは本当は知らないんでしょと疑います。そこでイザベルはフランケンシュタインは精霊で、私は見たことがあ

      • 放送大学で勉強してます

        2020年の後期から放送大学に入学しました。毎日楽しいです。久しぶりにnoteを開いたので使い方を忘れちゃった。あの目次みたいなやつどうやったらできるんだっけ。あ、思い出した。 入学した理由2020年、自粛期間が長くあったので、たくさんオンラインセミナーに出ました。自分の専門に関わることからそうでないことまで学ぶうちに、自分がどんどん新しくなっていくような感覚を得ました。学ぶって楽しい、そう思いました。仕事が再開した後も、日々の通勤時間を無駄に感じました。あー、この時間をな

        • Writing Fiction

          在宅勤務が始まって時間に余裕ができたので、今までしたかったけどしなかったことに取り組んでいる。今回はそれについてつらつらと。 書く生活がはじまらない書こうと思うことはたくさんあったのだけど、うまく書けずにやめてしまう。そんなことを何度か繰り返していた。それが日記であれ、感想文であれ、小説であれ、なんであれ、頭の中にあるものと表現できたものとの乖離が大きくていやになる。技術が足りないからとライティングコースを調べるくせに、時間やコストを言い訳にして遠ざける。書いてはがっかりし

        水彩画をはじめた

          私のセーフブート

          在宅勤務のおかげで得た学びがある。この学びは忘れずにいたいのでnoteに残しておこう。 誰ともつながらない時間スマホやPCを持たない時間は、遠くにいる誰ともつながらない時間である。在宅勤務を始めてからこれに気がついた。僕は教育職なので平時なら人と接する業務がたくさんあるが今はない。人とたくさん接していると、休憩時間はネットで時間をつぶしたり、人と会わない話さない方法で休もうとする。在宅勤務はもっぱらmacとiphoneでおこなっている。休憩時間は必然的にスマホやPCから離れ

          私のセーフブート

          在宅勤務

          とりあえずGWが明けるまでは在宅勤務を命じられており、毎日起きたら食事をしてデスクに向かい、お腹が空けばまた食事をして、コーヒーをしばき、ときどき走り、部屋で身体を鍛え、夜は書を読む。コーヒーはドトールの大きい紙パックに入っているやつで、なかなか美味しい。夏にお土産で持っていくと喜ばれる。 正直、こんな生活に耐えられるか心配していた。毎日朝から晩まで職場に詰まって忙しくする日々を疲れたーと嘆きながらも幸せに感じる自分がいたからだ。繰り返す日々に安心していた自分もいる。在宅勤

          在宅勤務

          新聞

          新聞を定期的に読んでいる。webニュースでなく新聞を、たまにではなく定期的に読むことが大切だと思っている。 webニュースはひとつの出来事を切り取ってみる分には十分なのだが、ニュース同士の関わりや社会の感情みたいなものを理解しようとするとき物足りない。新聞は本当に幅広く社会の出来事を知ることができるし、それも同時期に何が起こっているのかがわかりやすい。バタフライエフェクト的なこともある。 たまにではなく、定期的であることも大切である。週に2回でも3回でもいいのだけど、決ま

          新聞

          街を愛せない

          大阪に住んで6年経つのだが、いつまで経ってもホームにならない。愛する神奈川に思いを馳せてしまう。なにか街のために活動したいと思っていても、自分を突き動かす熱い気持ちが湧いてこない。 なぜだろう? 長く過ごしていないからだろうか。いや、前に住んでいた大塚は3年しか住まなかったけど、今でも思い返す。地元の次の次くらいに愛着がある、いい街だった。美味しいパン屋さんと映画を無音で流すBARがあって、朝と晩はずーっとそこにいた。 離れていないからだろうか。これは結構ある。だいたい

          街を愛せない

          最終地点を失ったスポーツに

          どうにもやりきれない。 スポーツにとって試合は最終地点である。それが目前にして消えた時、スポーツとは一体なんなのだろう。意味がなかったのだろうか。経験として残るものは結果を踏まえた過程であると思うからこそ、結果が突きつけられない競技スポーツから何を得ることができたのか。答えが見つからない。

          最終地点を失ったスポーツに

          切り取った一瞬

          小さな写真展に行った。街のスナップなんだけど、僕の住む街もそうであるように、世界のどこかの街にも同じように人が住んでいるんだなと身近に感じられるような、視線の先や後ろ姿からその人の考えを想像できるような、とても好きな写真だった。 どんな人でも、それが有名人であっても地球の裏側に住む人であっても、人生の一瞬を切り取ってみれば私と同じ「一瞬」なんだなと思う。当たり前の話で、1/100秒とか1/250秒で人の人生を切り取って比べた時、私とあなたで違うはずがない。 今回嬉しかった

          切り取った一瞬

          雑誌と手ざわり

          昨日、雑誌を作っている人に話を聞く機会があった。今回が初めての雑誌制作らしい。それもすごくニッチなテーマの雑誌だ。そんな雑誌を今この時代に作ることはとても合理的と思えないが、それにあえて挑戦する姿に想いを感じ、買ってみた。 雑誌があるから情報を集めるでもなく、情報があるから雑誌を作るわけでもない。雑誌を作ることでどんな偶発的な出会いがあるのか、雑誌不遇の時代にあえて作ることで雑誌の本質に迫れるんじゃないか、そんな背景がありそうだった。僕も、ヒトと雑誌、雑誌と情報、共感と偶発

          雑誌と手ざわり

          極夜行

          是非誰かに勧めたいと思わされる一冊に久々に出会った。いつかブルータスの取材で語りたい。 地理的な未知が失われた現代における冒険とは脱システムであると語る著者が、太陽の登らない北極圏を近代的な技術に頼ることなく旅した実話。システムから離れ暗闇の中を旅する著者が再び太陽に出会った時の感動や、暗闇の中で死と隣り合わせになって気づく信仰の原初的な形態は、著者の実体験を伴って凄まじい説得力で読者に届けられる。 ところどころ交えられたユーモアも、あとがきも読後感も素晴らしかった。

          極夜行

          真夜中の映画

          大停電の夜に、という映画が12/23の真夜中にやっていた。様々な問題を抱える人々が、クリスマスの夜、大停電になった東京で交わる映画だ。冬の真夜中に一人で見るために作られたのかと思うくらい、物語と世間の雰囲気と放送時間がしっくりきていた。 登場人物は全部で12人いる。天体オタクの少年、病気を抱えたモデル、年老いた夫婦、家庭に帰らない夫と離婚に悩む妻、その夫と不倫する職場の部下、クリスマスに上海へ帰るはずだったホテルマン、出所したばかりの元ヤクザ、その恋人だった妊婦、そして人通

          真夜中の映画

          湘南がない

          電車で職場へ通っている。毎日毎日、同じ道を行ったり来たりしている。なんだか無駄に感じる時もあるし、これくらい職場との距離がないと気持ちが切り替わらない、なんて都合よく考えたりする日もある。 電車の中は意外に何にもできない。本を読んだり、音楽を聞いたり、動画を見たりするのだが、あまり集中力は高くない。これなら早く家に帰って同じことをした方が効率は良い。見渡す限り全員がスマホをいじる姿を見て、うんざりすることもある。なんだこれはと。 もっと豊かな生活を送りたい。自然の中で風を

          湘南がない

          通り過ぎる

          最近こつこつnoteが書けている。今日なんて特に書くこともないのに書き始めてしまった。行き先のない船がどこにいくのか、少し楽しみもある。 帰りの電車でシングストリートを観ていた。高校生がバンドをやる話で、なんだか懐かしい話なのだが、このイノセントっぷりを僕はもう失ってしまったようで寂しくもある。 関わりがないまま通り過ぎてしまったことがたくさんあり、もう戻れないところまで来てしまった。キャッチャーインザライに共感できないまま大人になってしまった。

          通り過ぎる

          教えること

          教えるとは例えることである。伝えたいことを、その人が理解できることに置き換えて伝える、これすなわち教えるということなり。 今日たくさんの学生を前にして講義させてもらった。内容以上に熱い気持ちを伝えるを目標に、喋りもめちゃくちゃ練習して自動化、スライドの内容もすっかり記憶、それに加え深く考え込んで内容をひねり出した甲斐あって、感情を込めることができた。 答えがあるかもわからないことだけど、なんとなく響いてくれたなら嬉しい。みんなの人生のなんとなく熱い部分に、私のそれが共鳴し

          教えること