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私のセーフブート

在宅勤務のおかげで得た学びがある。この学びは忘れずにいたいのでnoteに残しておこう。

誰ともつながらない時間

スマホやPCを持たない時間は、遠くにいる誰ともつながらない時間である。在宅勤務を始めてからこれに気がついた。僕は教育職なので平時なら人と接する業務がたくさんあるが今はない。人とたくさん接していると、休憩時間はネットで時間をつぶしたり、人と会わない話さない方法で休もうとする。在宅勤務はもっぱらmacとiphoneでおこなっている。休憩時間は必然的にスマホやPCから離れたくなる。最初はお昼休憩のお散歩をスマホなしで行うことから始めた。疲れた目と耳が癒されると感じたし、誰からも連絡来なくて気が楽だった。平時よりも連絡に追われないのでこれを容易にできた。

イノベーションは制限から生まれる

在宅勤務で家にいる時間が長くなると、家で普段していることも外でしたくなる。例えば読書。昔から家だと本が読めなかった。家だと自由になんでもできるから、読書の途中に冷蔵庫開けたり、スマホを触ったりしてしまうのだ。電車の中には冷蔵庫がないし、時間が決まっているので本を読みやすい。でも今は通勤もない。家で本を読んでは合間にスマホをチラ見して、冷蔵庫を開け、あーなんと集中力の低いことかと嘆く日々。スマホ疲れをしたある日、スマホを家に置いて公園で本を読んでみた。捗った。見つけたのだ。自分の読書術を。32歳になってようやく。

潜ること

気にいった文章を見つけるとメモがわりにtweetすることが多い。ただし、見返すことはほぼなくメモの役割は果たしてないし、フォロワー数も少ないので変化も広がりもない。それでもこれまでtweetしていたのは、記録しておくことで得られる安心感ではなかったか。

良い読書とは潜れる読書かなと思う。本に深く深く潜っていくと、著者や主人公と同一化した気分になるし、これまで経験したことや学んだことが作用して、新たな広がりを見つけることもある。知的素潜りとでも呼ぶことにする。メモする行為は息継ぎみたいなもので、一度水面に顔を出さないといけない。いちいち水面に上がっていては深く潜れない。息継ぎのたびに考えたことを140字以内にまとめるから、浅く簡潔なメモだけが増えていく。

AccessibilityとSafe-boot

そんな体験をしたことで、誰と何時でもつながれる便利さが生活からなにを奪ったのか考えるようになった。例えば、何時でもメモして発信できることが、深く考えることを遠ざけたように。エジソンも「最上の思考は孤独のうちになされ」といっているらしい。今調べた。こうゆう風にすぐ調べて書ける便利さが、文章力上達の機会を奪うのだ(言い訳)。最近、瞑想が流行っているのもこういう理由かもしれない。自分を取り囲む細々したものを一旦遮断して、自分OSの動作を確認する。まさしくmacユーザーおなじみセーフブートである。シフトを押して起動するあれだ。僕たちにとってのセーフブートは、情報を自分から遠ざけることで起動する。


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