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第61段「ツイッターは自意識の塊」

ツイッターって不思議で、楽しいことだけ呟いてたらハッピーなんだけど、むしろ不快な思いをした時の方が呟きたいって思いがち。

その気持ちを他人にぶつけて呟くのは嫌なんで呟かないけど、他人が呟いた不快なことほど、当事者じゃなくても自分のことかもってつい勘ぐってしまう。

人間はみな、自意識の塊なんだろう。

てことで、きっと僕がこんなこと呟いてるってことは、今日あった不快なことのせいだろう。

今日いいこともあったんだけど、でもそのいいことの1つは、ある行為へ感ずる不快感が一緒だったってある人と盛り上がったことで、その行為自体の不快感が再認識されたし。だからまた呟いてるんだろうな。

って呟いたら、写真家のワタナベアニさんからコメント

@watanabeani 太宰治がハッピーだったら小説を書いてないような気がする。不快さが書く原動力なのかな?

なので、僕もコメント。

@kakuichi41 それ、抗いたいんですよね、ホントは自分的には。ハッピーなことも原動力となるように。でもいつも不快なときほど筆が進む気がします、嫌なんですけど嫌が応にも。 人間の性なのか、自分の性格なのか。

そうなんだよね。抗いたいんですよ。

「苦しみや困難の経験がいい作品を産む」って仮説に抗いたい。

まあ、抗うこと自体が、苦しみや困難かもしれないけど。



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