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第255段「たとえばガガガSPの野バラのように」

ガガガSPのニューアルバムよく聴いている。

​どの曲もいいけど、「野バラ」がとても大好きなんだ。

なんていうかうまくいえないけれど、とても僕の気持ちにちょうどいい曲なのです。

山本さんのギターの旋律も勿論大好きなんだけど、それはその旋律に乗って歌う40代になったコザック前田さんの歌の中に、何か作品を作るときに、何か音楽を奏でるときに、何か言葉を発するときに、自分がつい感じてしまう、自分の陳腐さへの不甲斐なさや、またありふれた言葉を使ってしまったというもどかしさ、そんな逡巡への歯がゆさを、この曲は歌っているからなのだろう。

僕はそんな不器用なガガガSPが大好きで、それは多分自分の不甲斐なさやもどかしさや歯がゆさを、例えばこの曲を聴いていると、それでいいんだって思わせてくれるからなのです。

探してたメロディが 午前2時の汽車に乗って
誰かがいた影を踏み 光を待ち 光を待ち 朝は来ない
エヴァンスの旋律が僕と夜を繋いだようさ
ここにない物をつかめ 呪いのように 呪いのように 僕を縛る
たとえば君のほうが笑うだろう
たとえば僕のほうが泣くだろう
いつものコードをつま弾きました
たとえばどんなふうに歌えばいい

新しい言葉を見て 足りてないな ペンが折れた
それでもまた歌うのさ 病のように 病のように 声を枯らして
たとえば夢の先はどこだろう
たとえば恋をしていたいだろう
よくある歌詞をまた書きました
たとえばどんなふうに生きればいい

あの日見上げた空に雲がかかり
僕はふとそれを見て思った
誰かのせいだと逃げた部屋で
だからどうした だからどうした だからどうした

たとえばコンクリートの弓だろう
たとえば水槽の空を泳ぐだろう
知らないとこへ行く人たちよ
たとえば野バラのように歌うのか
たとえば子どものように笑うのか
「野バラ」ガガガSP



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