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第236段「エンタテインメントの三体問題」

ここで、私の職分であるエンタテインメント(以下、エンタメ)分野におけるリテラシー問題を考察してみる。
映像クリエーター集団チームラボの代表・猪子寿之さんがネットの連載で述べている。
「世界は、グローバル・ハイクオリティでノーコミュニティ層と、ローカル・ロークオリティでコミュニティ層に分断される」と。


元テレビマンで現バラエティプロデューサーの自分は、この猪子さんの言及することへの実感を今ものすごく感じる。
多くの日本のメディアやクリエイターと呼ばれる人たちが制作・発信してきた映画・テレビ・書籍・演劇・音楽・アート等の様々なコンテンツは、そのどちらでもないモノ、つまりドメスティックという意味でグローバルにはなれず、一方でそのドメスティックな場は1億3千万人という決して少なくないコミュニティを有し成立してきた。
つまりドメスティック・ミドルクオリティな作品が、日本・日本人という大括りなコミュニティ意識を共有した人々を対象に生み出し続けられてきたのだ。
そしてその昨日まで機能していたその規模でのコンテンツが、明らかな日本経済の減速、それによる制作費の削減、コンプライアンス強化による表現の萎縮化、特に2011年の震災以降の自粛的な傾向、さらにネットの進化によりテレビ・マスコミの影響力の低減等により、機能不全を起こしつつあるのが、今の状況である。


その上で問題は多岐にわたる。
今まで日本の基幹エンタメ産業だった「ドメスティック・ミドルクオリティ」が二分化して解体されつつある中で、まず我々個人が直面するのが「ローカル・ロークオリティでコミュニティ層」が参加するエンタメだ。
これからの時代の文化の一翼を担う使命と必要性=リテラシーが、前述したミドルカルチャーが衰退する中で、より一層個々のコミュニティ層で求められるのは間違いない。
それはつまり、より個々人と結びつき、そしてあまり大きくないコミニュティ、グループ、団体、会社、学校、地方公共団体等での盛り上がりが求められることになる。
その上で私が感じたリテラシーの問題点は、以下の3つある。

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