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第390段「戦争とアート」 山本豊津(東京画廊)×角田陽一郎(バラエティプロデューサー)

1.「戦争とアートについて考える」


角田陽一郎(以下、角田):東京画廊の山本豊津さんとバラエティプロデューサー角田陽一郎でお送りしております。アートを巡る知のライブトーク『Hozu Talk』でございます。
 
山本豊津(以下、豊津):よろしくお願いします。
 
角田:今日は、【戦争とアート】というテーマで話してみようと思います。
 
豊津:はい。
 
角田:【戦争とアート】という話だと切り口はいろいろあると思うんですけど、豊津さんはどう思われますか?
 
豊津:まぁ一つはやっぱり、直感的には“戦争画”という絵ですよね。戦争のシーンを描いた絵というのは各時代にあるわけですし、日本も第二次世界大戦時に戦争画というものがありましたから。
 
角田:あのレオナール・フジタとかが協力したやつですよね。
 
豊津:そうそう。ただ、それはどちらかというと国策でプロパガンダに利用されているんですよ。つまり、戦意を高揚させるために戦争画というものを描かせる訳です。古くはナポレオンの頃にもあるし、いろんな時代に戦争画があります。そして、戦争画はプロバガンダで戦意を高揚させるという事に加えて、戦記の役割を果たしていましたよね。つまり、その時代の戦争はどんなものだったのかというのを表して、報道の役割も担っていたんです。だから、藤田嗣治の作品はあまりにリアルに描かれすぎていて、戦意を喪失させてしまうんですよね。だって残酷だから。
 
角田:僕、近代美術館かどこかでフジタの戦争画を見ましたけど、あれは戦争を鼓舞しているのか、戦争の嫌なところを見せられているのか。
 
豊津:そうですよね。だから途中で、藤田嗣治とかはリアリズムで絵を描いていたんですよ。だけど、坂本繁二郎とかはあんまりに茫洋に描いてしまったから、全然戦意も高揚しないし、なんだか訳がわからなくて、戦争画がマイナスに出てしまった場合もあるんですけどね。あとは、記録とか報道で戦争画を描く。これはイラストに近いんですけど。

角田:それってあれですよね、 “ルポルタージュ”というか。
 
豊津:そうですね。
 
角田:その当時はまだ写真もないというところもありますもんね。
 
豊津:そう。それから、物語ですよね。
 
角田:あ~、物語。
 
豊津:うん。かつての戦争はどうだった、とか。例えば、合戦の模様を描くとかね。
 
角田:そうか、そうか。“長篠の戦い”とかそういうのでわかりますもんね。
 
豊津:そうそう、史実ですよね。だからそういうことで、虚と実と物語、という三つのカテゴリーが戦争画にはあるのではないかな、という。
 
角田:あ~、虚と実と物語。
 
豊津:そう。だからプロパガンダは虚で、でも報道は実でしょ。それと後から戦記を書く場合は物語。だけど、21世紀は映像に全部変わってしまったんですよね。
 
角田:はいはいはい。でもその一方で、戦争をピカソの『ゲルニカ』のように描くものもあるじゃないですか。
 
豊津:そう。まぁ、ゲルニカはどちらかというと物語に近いんじゃない?反戦だから。
 
角田:あ~、そうか。
 
豊津:絵画はあんまり即効性がないからね。やっぱり圧倒的に即効性があるのは映像だよね。例えば、最初に戦争の即効性で映像を使ったのはヒトラーでしょ。
 
角田:はい。

豊津:この間、テレビでチャップリンとヒトラーについてやっていたんだけど。タイムリーに反戦と戦争の2つの面をあの時代の映像が現れしているというのはすごく面白いなと思って。
 
角田:面白いですね。
 
豊津:うん。だから、どちらかというと映像の世界で物語として発展するのは映画だよね。
 
角田:あ~、そうか。つまり映画とか動画って、物語が動き始めてしまうわけですね。
 
豊津:そう。それで、僕の記憶で、戦争で最も印象的なものは、ノルマンディ上陸作戦。
『THE LONGEST DAY』って言うんだっけ?
 
角田:はい。『THE LONGEST DAY』。
 
豊津:あの映画は子供の頃に見てかなり衝撃的でしたよね。
 
角田:そうですよね。僕は何となく、戦争というもの自体をどう描くか、ということもアートだなと思うんですけど、その戦争が起こったこと、起こること、あるいは実体験することで、精神的にはすごくいろんなストレスというかプレッシャーがかかりますよね。それってアートでどう出てくるのかなぁ、って。

2.「応仁の乱が枯山水を産んだ」


 
豊津:まぁ、一番顕著な例が応仁の乱だよね。応仁の乱で京都が全部焼け野原になって、そこから枯山水が出てくるからね。
 
角田:あっ、そうなんですか!?
 
豊津:そう!
 
角田:つまり、本当に焼け野原で枯れてしまったから“枯山水”なんだ。
 
豊津:そう。それまでは平安の庭園だったから。
 
角田:はいはい、水があってね。
 
豊津:そう。水があってゆったりとしていたんだけど応仁の乱以降、枯山水に全部変わるわけですよ。
 
角田:えっ、枯山水って…。そうか、冷静に考えるとそうだ。荒廃したところでお庭を表現するということは結局、枯山水になるわけですね。
 
豊津:そうだと思うんだよね。これは誰も書いてないんだけど、よく調べると応仁の乱の後に色々なことが起こる。これは前の時代のものが全部焼けちゃうから新しい表現が生まれるのか、世代交代するのか。戦争が人類にそういう大きな影響を与える、というのはあると思うんですよね。
 
角田:そうですよね。
 
豊津:うん。だから、これは確実に表現にも影響を与えていると思うんですよ。
 
角田:例えば、僕たちの年代でいうと、平和しか知らないじゃないですか。それで、僕が最初にそれ以外を思い知ったのは3年前の、今も続いている“コロナ”。コロナが起こった時に…ちょうど僕、今、東大の大学院に行っていて、宗教学の先生が言っていたんですけど。150年前くらい前の夏目漱石だとか、森鴎外だとかが居た時って、“コレラ”がめちゃくちゃ大ブームなんですよ。コレラって年間30万人とか死んでいるんですって。つまり、当時の人口って、1億3千万人の半分ぐらいじゃないですか。5000万人もいないくらいの人口で毎年30万人死んでいるって結構な致死率なわけですよ。それで、コレラって多分いまのコロナに比べて圧倒的に致死率高いから、隣村でコレラが発生したりすると本当に全員滅んじゃう、みたいな。こういったことを経験しながら、夏目漱石は『坊ちゃん』とかを書いているんですよね。それって、こういうことを僕は考えてもいなかったっていうか。そういう“死”に直面しているというか、隣り合わせの中で『こころ』とか書いているのと、そういうことを知らないまま、小説書いているのって、やっぱり違うんじゃないかって、3年くらい前に気付いたんですよ。
それで、今回ウクライナで戦争があって、僕個人は、あのチェルノブイリの原発を攻めるって3月に報道があったじゃないですか。この3月に戦争が始まって、1、2週間くらいの時。あの時ほんとに身の危険を感じたというか。そう思った時に「ああそうか。戦争というものの当事者に僕らもなったんだな」って思ったんですね。
それまでは北朝鮮からミサイルが飛んできても、「またどうせブラフ(虚勢)だろう」というか、「やってこないだろう」とか思っていたんですけど、なんかチェルノブイリをもし攻撃して、みたいなことになったら「自分のとこに直接放射能がくるじゃん」と思って、死の恐怖を感じた自分がいて。そういう時に描いている絵と、そういうのを遠い国の話と考えて描いている絵ってやっぱりちょっと違うんじゃないかなと思ったりしたんですよね。とすると、豊津さんが取り扱っている、ある意味“現代美術”って、言っても戦後じゃないですか。そういった日本人の現代美術として豊津さんが扱っているジャンルで、戦争みたいなものってどう描かれたのかなとか。

3.「グローバル化とポップアートの誕生」


 
豊津:あのね、第二次世界大戦で世界が初めてグローバルスタンダードになったの。
 
角田:はい。
 
豊津:アメリカがアジアにも派兵したし、ヨーロッパにも派兵した。つまり、アメリカのグローバルスタンダードというのは第二次世界大戦でスタートしたんですよ。それと第二次世界大戦でもう一つ起こったのが、抽象絵画の時代になるということ。
 
角田:うんうん。
 
豊津:それでね、それまで油絵で薔薇や百合を描いたり、風景を書いたりしていたものが全部抽象表現主義に変わっていくわけですよ。抽象表現主義というのは世界中の人間の身体は変わらないから、グローバルなんです。
 
角田:あぁそうか!抽象化することと、本当にアメリカのネットワークでグローバル化することって考え方は一緒なんだ。
 
豊津:そう!
 
角田:うわぁ、面白い。なるほど。
 
豊津:それで、第二次世界大戦以降、世界中が抽象的なアクションペインティングになるわけですよ。
 
角田:はい。
 
豊津:ジャクソン・ポロックがいるでしょ?それから、日本では具体の白髪一雄とか、ヨーロッパにはイヴ・クラインみたいな人がいるわけですよね。それで、これはみんな、身体を使うから。五体は全員人類一緒。これがグローバル。
 
角田:手があったり、頭があったり。
 
豊津:そうそう。ただ、対応の仕方が身体によって違うからね。表現の種類が違うだけで、それは風土と関係するから。それからもう一つ、戦争でアメリカがなぜ勝ったかというと、アメリカだけが兵器の量産ができたからだよね。戦車とか、飛行機とか圧倒的な物量を持っていたでしょ?これが戦争が終わった後、消費財の生産に向かうわけですよね。だから、僕が子供の頃の一番素敵な家庭の模様って、電気冷蔵庫があって電気洗濯機があった。これって全部アメリカの映画からだよね。
 
角田:三種の神器ですよね。
 
豊津:そう。そうすると公団住宅ができて、その消費財の電化製品全部を家が持つわけで。そして、世界中に消費財が溢れてポップアートが生まれたんだよ。
 
角田:へぇ~、繋がっているんだ。
 
豊津:そう。それから、マリリン・モンローは慰安で従軍して、ヨーロッパに行っているよね。
 
角田:行っていますよね。
 
豊津:うん。アンディ・ウォーホルがなぜマリリン・モンローをポップアートに使ったのかとか、オルデンバーグがでっかいフォークを作ったりとか、みんなその辺にある日常を使って表現したでしょ?
 
角田:はい。
 
豊津:だからポップアートは映像の文化がなければ生まれないし、消費財と一緒ですよね。
それで抽象表現主義の次にポップアートになったんですよ。1964年にラウシェンバーグが、ヴェネツィア・ビエンナーレの大賞を取るんですよ。そこから世界はポップアートに変わるんです。それで、どこに行ってもアンディ・ウォーホルのマリリン・モンローの絵があるようになるんですよね。
 
角田:面白いですね。実際あれは大量にありますもんね。だから、そのもの自体の固有性がないということと、全世界にあるということ、さらにグローバルになったという意味では、そういったものを日本人も作るし、ヨーロッパ人も作るし、となってしまったんですね。

4.「紙幣は国家が作者の版画」


豊津:そう。それで、経済が拡大するじゃない?経済が拡大すると、金じゃ間に合わないのよ。金本位制だったんだけど、金じゃ間に合わなくて、紙幣へ変わるわけです。それで1971年にニクソン大統領が金本位制を止めるんですよ。
 
角田:変動相場制にするやつですよね。
 
豊津:そう。それからお札刷り放題になるんです。
 
角田:はい。
 
豊津:そのお札を絵にしたのがジャスパー・ジョーンズ!
 
角田:あぁ、そうだ。
 
豊津:ね?だからよく考えてみると、紙幣は国家が作る版画だよね。
 
角田:ほんとだ、ほんとだ(笑)。大量に刷って出すわけですからね。
 
豊津:それってつまり、作者が国家であるということだよね。
 
角田:作者が国家。うわぁ、めちゃくちゃおもしろい。
 
豊津:だからこれは、戦争から生まれたことだと思うんですよ。
 
角田:そうだ。そういうことだ。
 
豊津:だから、実体経済から今の暗号通貨の時代に入ったのは紙幣が切り口だよね。
 
角田:そうですよね。少なくとも金が兌換しなくなったというところが。

豊津:そうそう、そういうところです。
 
角田:ある意味バーチャルになっているわけですもんね。
 
豊津:そう。紙幣が3枚しかなければ、1枚の紙幣は高くなるに決まっているよね。だから昔の古い紙幣は、今の紙幣と比べると価値がすごく高い。これって絵画と一緒の構造になっているんだな、と思うんですよね。
 
角田:はぁ、作者が国家の版画なんだ。うわぁ、面白いですね。
 
豊津:これ誰も言ってないからさ。
 
角田:確かにそれって戦後ですもんね。
 
豊津:そう。だから戦争というのは、戦争によって次の地平が開けるということですよね。例えば、応仁の乱のように全部燃えてしまうと次の時代が来るんですよ。そういうふうに人類は乗り越えてきていると思うんだよね。

5.「未来は”死”しかない」


 
角田:実際、10年前に東日本大震災があったじゃないですか。それに、最近はコロナもあって。つまり天災があり、疫病があったから、次は戦争だろう、みたいなことをどこかでずっと思っていたんですよ。
 
豊津:うん。それに共通するのは何かというとね、未来は“死”しかないということなんですよ。
 
角田:確かに。そうですね。
 
豊津:角田くんもいずれ死ぬでしょ? そして僕もいずれ死ぬ。ということは、未来は死なんですよ。それを僕たちは希望とか夢とかって誤魔化してきたんだよね。
 
角田:それが今回の戦争で見えてしまったんだ。
 
豊津:そう。我々は明日死ぬかもしれない、というのがウクライナの戦争でわかったんですよ。つまり、死というのは一体何なのか、初めて僕らは江戸時代の死生観に戻るのかもしれない。
 
角田:あの頃は多分、そういう死生観だから。僕、「なんで武士って切腹できたのかな」と思うんですけど、そういう死生観だとできますよ。できると言うとあれですけど。
 
豊津:できますよね。だから西部邁も、自殺したし、三島由紀夫も。
 
角田:自刃していますね。
 
豊津:うん。だから表現者はどこかで死を感じるんですよ。
 
角田:うわぁ、なるほど。
 
豊津:それで僕は、美術を見る時に死の影がないものに興味ないんです。だから、一番つまらないと思うのは癒しの絵画ですよ。
 
角田:へぇ~、なるほど。
 
豊津:“癒す”というのはさ、「静かに死んでください」という絵でしょ。
 
角田:うん、逆に言えばそういうことですね。だって死は絶対あるわけだから。
 
豊津:そう。生きることを諦めたということよね。
 
角田: “死を匂わせる作品”じゃないとダメだというのは、なんか僕もわかります。それってやっぱり未来は死だからなんですね。
 
豊津:そうなんです。明日死ぬとわかると、今日が大切になるんですよ。僕たちは「もっと先に死ぬ」と思うから、今日がおざなりになっているでしょ?
 
角田:今日やらなくてもいいや、みたいな。
 
豊津:そうそう。死を隣り合わせた時に初めて“生”というものは輝きを増すわけだから。

6.「わび茶-侘しさと寂しさ」


 
角田:それって、千利休の“一期一会”もそうですよね。

豊津:そう。それで、利休の素晴らしいのはね、秀吉に切腹を命じられたじゃないですか。
その時に、北政所が利休に「秀吉に謝れば切腹は免れるよ」と言ったらしいんだよね。
 
角田:うん、そうですよね。
 
豊津:だけど利休は拒否したんだよ。
 
角田:つまり死を選んだんですよね。
 
豊津:あれで、「ごめんなさい」と秀吉に言いに行ったら、侘茶(わびちゃ)はなかったと思うよ。
 
角田:つまり詫びたら“侘茶”がなかったということですね(笑)。
 
豊津:死を選んだから、侘茶が今残っているんです。
 
角田:こういう話、よくあるじゃないですか。でも、僕だったら絶対詫びちゃうなぁと思っているんですよね。でもそれって多分“死”を意識していないんですね。死をもし意識していれば詫びないかも。だって、何年後に死ぬか、今死ぬか、みたいな話ですもんね。
 
豊津:侘茶の極意の“詫びる”というのは、謝るという意味もあるかもしれないけど、二人である”ということでしょ?
 
角田:あぁ、なるほど。
 
豊津:侘しいというのは、僕がお茶を出して飲む相手がいないってことですよね。これが侘茶ということ。だから、最小単位が二人なんですよ。それでお茶は二畳台目なんですよ。何十人に出そうが究極は、利休と秀吉、利休と信長なんですよ。一方から切腹を命じられて、そしてそれを受け入れた。これは真の侘茶かもしれないです。
 
角田:確かに、真の侘茶ですね。
 
豊津:そう。それで、問題は何かというと、侘しいよりもっと上位の“寂しい”という概念があるということなんですよね。
 
角田:あ~、なるほど。
 
豊津:寂しいというのは絶対的孤独だから。それで、利休が侘茶で切腹して一番寂しくなったのが秀吉ですよ。それで朝鮮出兵するわけです。寂しいというのはすごく危ないことなの。
 
角田:一人ですもんね、孤独ですもんね。
 
豊津:今、プーチン寂しいんじゃない?
 
角田:あぁ、プーチン寂しいんですね。
 
豊津:うん、そしたらゼレンスキーは寂しくないでしょ今。
 
角田:うん、そうですね。
 
豊津:だから、もしかしたら、プーチンは戦争を通じてゼレンスキーと対話しているのではないかな、と思うんですよ。寂しいから。自分一人でいるのは孤独だから。
 
角田:プーチンがゼレンスキーにやっていることは、秀吉が切腹を求めているのと同じことですもんね。
 
豊津:そう、同じこと。
 
角田:はぁ、すごい。そういうことなんだ。
 
豊津:だから、絶対的な孤独というものが今、人間に迫られているわけ。明日死ぬかもしれない、ということで。角田くんはいろんな友達がいるけど、明日死ぬのはあんた一人だからね。
 
角田:そうですね。
 
豊津:これは絶対的な孤独なんですよ。
 
角田:うんうん。
 
豊津:これを迫られているんですよ、僕たちは。パーティーなんかやっている場合じゃない、ということですよね。

7.「“絶対的な孤独の死”をもう一度考え直す」


 
角田:そうか。例えば、ゴッホの晩年の作品は、死を意識して描かれているのではないかと感じるんですけど、それって実は”ゴッホだから”ではないわけですね。あらゆる人間が多分、本当は突きつけられているのに忘れてしまっているんだ。忘れようとしているんだ。
 
豊津:そう。それで近代は初めて自立したことによって孤独を知ったわけですよ。
近代以前の人は生きることに精一杯だから、あまり孤独のことを考えなかったんです。
だけど、僕たちは考える余裕ができてしまった。
 
角田:それこそ太平洋戦争が終わったからかもしれないですけどね。特に、我々日本人は。
 
豊津:そうそう。だから、そういったことを僕たちが考えないといけないと思うんだよね。つまり僕たちの問題は、“ウクライナの戦争はどっちが良い・悪い”ということ以前に、この“絶対的な孤独の死”をもう一度考え直す、ということじゃないのかな。
 
角田:そうですね。豊津さん自体は、死についての恐怖とかってどう思われますか?
今の絶対的な孤独に対しての恐怖というか。
 
豊津:やっぱり、一番大きな問題は家族だと思うよ。
 
角田:あぁ、なるほど。
 
豊津:僕はね、人間の最小単位っていうのは家族だと思っているんですよ。
僕は僕一人じゃないということね。僕には妻や子や孫がいて、娘がいて、というのが家族だから。そこで僕の人格が成り立っていると思っている。だから、例えば家内が亡くなったら、僕は絶対的な孤独に陥ると思うんです。そういったことが、それぞれの人間のオケージョンにあるじゃないですか。
 
角田:ありますよね。
 
豊津:それで、もしかしたら、絶対的な一人というのもいると思うんですよね。だから“この絶対的な孤独をどうやって紛らわすか”ということが、これからの医学の1番の根本になると思う。これが鬱ですよね。
 
角田:そうですよね。
 
豊津:適応障害もそうだし。
 
角田:そうですね。適応障害なんてまさに今、いろんなオケージョンがあると言いましたけど、辻褄が合わなくなってしまうんでしょうね、自分の中で。だから、適応できなくなってしまうんでしょうね。
 
豊津:今の報道を見ているとね、ウクライナ軍は鬱になる人はいないと思う。
 
角田:そうですよね。
 
豊津:ロシア軍はかなり鬱になっている人がいるんじゃないのかな。
 
角田:そう言いますよね。
いやぁ、今日はちょっと頭がぐるぐる回っています。戦争の話からここまでいくと思わなかったです。

8.「フィクションとしての戦争」


 
豊津:それでね、角田くん、一番面白いのが漫画なんですよ。
 
角田:へぇ~、漫画。
 
豊津:そう。漫画は「物語の戦争」をたくさんやっているじゃないですか。
 
角田:描いていますよね。
 
豊津:エヴァンゲリオンもそうでしょ?
 
角田:ガンダムだってそうだし、ヤマトだってそうだし。
 
豊津:そう。物語としての戦争をこれだけ若い人たちがね、漫画で求めているのは、なんなのかということでしょ。
 
角田:なんでしょうかね。これは、あくまで僕の話なんですけど。スターウォーズってどんどん人が死んでいくじゃないですか。若い頃は、普通にそういう映画を楽しんで観ていたんですけど、5、6年前に観た時になんだか悲しくなって、観たくなくなってしまったんですよ。それで自分も歳だなぁと思っていたんです。
また、最近でいうと、『マーヴェリック』という『トップガン』の続編ですけど、これも5、6年前に観ていたら、なんで人を殺す軍隊についてこれだけ「敵をやっつけた、わー」って盛り上がれるんだよと少し思っていたんですよ。ところが、この2月からのウクライナとロシアのことがあって、逆にこういった『スターウォーズ』や『トップガン マーヴェリック』のような作り物の映画を普通に楽しんで観ることができるようになったんです。
日本のアニメとか、ほとんどそういうバトルですよね。あれってどういうことなんでしょうね…。
 
豊津:いやぁ、エンターテインメントはそういうものなんですよ。エンターテインメントは忘れさせることが大事なんだよ。
 
角田:そうか。その苦痛、あるいは死を忘れたいんだ。
 
豊津:そう、一種の中毒症状みたいになるわけですよ。エンターテインメントに走るというのは、“忘れたい”ということだから。
商品化されているものは安心できるじゃない?だけど、戦争は商品化されないから。それでも、戦争を商品化しようとしている人たちもいるわけだよね。だから、そういったことを考えた方が物語を観ているよりも、もっと大きな物語を観ることになるのではないかな、と思うんだけどね。
 
角田:そうですね。
 
豊津:だめだよ、エンターテインメントに騙されちゃ。
 
角田:僕が最近『トップガン マーヴェリック』を観たのは、もしかしたら、“騙されたいな“と思ったのかもしれないですね。
 
豊津:そうだと思うよ。
 
角田:そうですよね。やっぱり作り物のワクワク感みたいなものに騙されたいと思っていたんだな。
 
豊津:それからさ、映画は終わりがあるじゃないですか。
 
角田:そうですね。ハッピーエンドだったりしますからね。
 
豊津: やっぱり終わりがあるものって、区切りがあるから安心できる。だけど、僕たちのリアルな人生には区切りがないじゃん。だから、区切りで安心させるために七五三とか、成人式とかをやるわけでしょ?
 
角田:還暦とかね(笑)。
 
豊津:そう、あれはずーっと延長していると堪えるからね。区切ることによって納得して次に展開できる。それが戦争と関係あるんじゃないのかな。
だから、“この戦争はどっちが勝つか負けるか”とかじゃなくて、僕たちが“生きているということをどう考えるか”が大切だと思う。この点に関しては、もしかしたらコロナや震災よりも大きいんじゃないかな。
 
角田:大きいかもしれないですね。
コロナとか震災は自然現象だからちょっと諦めがありますもんね。いたしかたないというか。ただ、戦争というのは人為的ですからね。
 
豊津:そう。自分達人類が起こしていることだよね。自然と関係ない。それが止められない苛立ちというのは、すごいと思うよ。
 
角田:そうですよね。「やめればいいじゃん」と思っているのに、進んでいくわけですよね。
 
豊津:そう。
 
角田:僕ね、右派か左派かと言われたら、どちらかといえば左派だと思うんですね、自分を自己分析すると。だから平和憲法はあった方がいいなとか、9条が大事なんじゃないかなと思っていたんですけど、その僕ですら今回、「やっぱり日本は軍隊をちゃんと持って強くなきゃだめだ」と少し思って…。僕ですらそう思ってしまうんだったら、やばいんじゃないかなって。それぐらいの価値の転換というか。
 
豊津:でもね、どっちにしても思うんだけど、僕も左だったわけじゃん。だって僕たちの世代はみんな学生運動やっていたから。
 
角田:そうですよね、豊津さんの世代はまさにそうですよね。
 
豊津:反体制がおしゃれだったんですよ
 
角田:そっちの方がクールだし、かっこいいし。
 
豊津:そう、かっこいいと思っていた。でもよく考えてみると、平和憲法ってどういう意味なのかよくわからなくなるよね。
 
角田:わからなくなりますね。そういうことを言っていたって攻められたら死んでしまいますもんね。冷静に考えると、三島由紀夫とかはずっとそれを言っていたんですよね。西部邁もそうかもしれないし。
 
豊津:そう。だからやっぱり、平和憲法を人口の9割が支持しているんだったら、攻められてもしょうがないじゃん。自分達のせい。でも、国民の30%しか選挙に行かないのに、平和憲法って言っているのはなんか地に足つかないよね。
 
角田:そうですね、辻褄が合わないですよね。
 
豊津:じゃあ外交、外交、と言うんだけど、そうやって叫んでる人は外交していないよね。外交と言っている人が、北朝鮮に直接行ってさ、「返してください」って言えばいいじゃん。それを政府にやらせようとするんじゃなくて、自分達がやれば良いじゃん。そうすれば政府は変わるよ。
 
角田:そっか。だから他人事というか。多分それで平和だったから、それで済んでいたんでしょうね。誰か他人に外交は任せておいて自分はとりあえずネットでかせぐみたいなこととか。
 
豊津:だから、反体制の人たちは反対するんだったら、それをみんなにリアルで見せなきゃいけないと僕は思う。街頭で叫んでいてもだめだよね。自分で行けばいいと思う。

9.「死を想起させる芸能」


 
角田:そうだなぁ。僕が最近、プロデューサーとしての限界を感じているのは、やっぱり究極的には今回のウクライナの戦争からですね。それぐらいまで考えてしまっているんだと思います、多分。バラエティ作ったりとか、こういうことでいいのかという思いがちょっとあるんですよね。絶対に死ぬ僕らが、死を考えさせられる戦争が起こっているのに、大したことないバラエティ番組作っていいのかなって…。
 
豊津:いや、僕はね、芸人のモンスターエンジンが素晴らしいと思っていて。そう思うのは、「私は神だ」って、神を総体化したでしょ?ああいうお笑いがあるのはすごく重要だと思う。
 
角田:それってさっきの話でいうと、死をちゃんと想起させるお笑い作品だからですよね。
 
豊津:そう。だからそういうものをあんたがプロデュースしてさ、
 
角田:作ればいいんだ。
 
豊津:そう、やればいいんだよ。
 
角田:いやぁ、豊津さん。今、1つ小説の依頼が来ていて、本当は締め切り去年の8月だったんですけど(笑)。いろいろと書けない理由もあって…。でも、今日の豊津さんとのトークはめちゃくちゃヒントになりました。
僕は作り物で誤魔化そうと思っているきらいがあって。だからそれって自虐的には僕のやっていることなんかアートじゃないんですよ。死を意識しない、意識させないし、むしろさっきの癒し?憩い?レクリエーション?そういうものでいいやというのが、ずーっとテレビ作っていたから思っていて。その延長線上でその小説を書こうと思っているんですね。
 
豊津:でもさ、「やすきよ」のやすしとかはさ、もう明らかに死が匂うじゃん。
 
角田:はい、死を想起させていましたよね。それで実際死んじゃったわけですからね。
 
豊津:ということはお笑いの世界にも、死を想起させるものがあるじゃん。
 
角田:談志師匠だってそうでしたよね。
 
豊津:そう。
 
角田:それでいうと、タモリさんだってそうですし、たけしさんだってそうですよね。
たけしさんは実際、交通事故にあっているし。タモリさんのある意味、諦念みたいなのは、死を意識している感じがすごくありますよね。
 
豊津:うん。そういうものは残っているよね。
 
角田:そう。だから、お笑いがダメだ、テレビが下等だって話じゃないんですよね。
 
豊津:そうなんです。
 
角田:【戦争とアート】というテーマなのに、すみません。僕も一応クリエイターの端くれとして、豊津さんという良い先輩のお話のおかげで、またすごく救われてしまいました。
実は僕、今まで“死を想起させて作る”ということから少し逃げていたんです。
例えばテレビ局でいうと、報道はちょっと“死”に近いじゃないですか。
つまり「報道は真実を」という話だと、事件だ、事故だ、みたいな事を取り扱うし、やっぱり人の生死が関わっている仕事ですよね。
それで仕事は、人の生死に関わるものと、人の生死に関わらないものの2種類に分けられると思っているんです。
そのような中で、僕がバラエティ番組を選んだのは、人の生死に関わりたくないからなんです。
だから、僕は医者や自衛隊の人とかをすごくリスペクトしているんですよ。
もっと言えば、電車の運転手も、パイロットも人の死に関わる仕事だと思っているんです。だから、「そういうのはできないな」と思って、逃げながらやっていたのがバラエティのプロデューサーだったんですよね。
でも今日、豊津さんが「死を想起させないアートは意味がない」と言っているのを聞いて、実はアーティストも死を想起させて、死と関連させて作品を作っているのかなと思いました。
 
豊津:そうですよ。芸能というのはそういうものだよ。
 
角田:芸能ってそういうものなんですよね!知りませんでした。いや、知りませんでしたと言っても、薄々知っていたんですけど、自分が芸能やっているにも関わらず、ちょっとそこからね…逃げていました。逃げたらだめだということが今回の戦争で気付かされたのかもしれない。

10.「この世界に非合理はない」


 
豊津:みんなここでね、戦争によって“死”というものをもう一度考えたらいいと思いますよ。
 
角田:ほんとですね。
 
豊津:うん、本当につくづく僕はそう思うよ。随分前からウクライナで戦争をやっているから、今回のお題はどうしようかとずっと思っていて。あなたに言われない限り僕は、このお題に答えることはなかったと思うんだけど。あなたに言われて一生懸命考えたらこうなってしまったというだけで。
 
角田:いやぁ、豊津さんすごい、やっぱり。
 
豊津:そう。だからやっぱり、“戦争というのはどういうものなのか”というのを、僕たちは安易に考えすぎているよね。
 
角田:ほんとですね。もっと深く考えた方がいいんだ。
 
豊津:そう。だからこれはね、“人間とは何なのか”というのを考えるのにすごくいい機会だと思いますよ。
 
角田:考えるきっかけをくれたんですね。僕、これまでは本当に、戦争はいけないとかだけしか思っていませんでした。人殺しは良くない、戦争はいけないとでしか思ってなかったです。でもそれ以上に深いものがありますね。
 
豊津:“いけない”というのは、阻止にならないからね。
 
角田:ならないですね。
 
豊津:やっぱり「プーチンはどうしてあんなことしているんだろう」ということを、僕たちはわからないとダメだよね。ヒトラーがなんであんなことをしたのか、とかさ。
 
角田:僕、ヒトラーみたいな人間って本当に狂人だったんだろうなぁと思っていましたけど、そういう人は出てくるんですね、やっぱり。
 
豊津:だってヒトラーをあそこまでしたのがドイツ国民でしょ?
 
角田:うん。あと、それを許したイギリス、フランスとも言われていますし。
 
豊津:そう。僕たちだって敗戦してさ、東條英機が悪い、というけど、朝日新聞から、何から全部、戦争高揚に当時は参加したわけじゃん。
 
角田:そう。だから、実は翼賛していたのは、むしろメディアの方なんですよね。
 
豊津:でも朝日新聞をはじめ、メディアは戦犯に引っかかっていないじゃないですか。

角田:引っかかっていないですし、むしろ戦後はそんな事実が無かったかのようにしていますよね。
だけど、一般庶民がそのメディアの方に引っ張られたという事実はありますからね。
 
豊津:そう。毎日報道していると、やっぱり引っ張られるよね。
 
角田:今日はすごい話だ。ウクライナという僕にとってはあまり縁がなかった土地での戦争ですけど、これほどまでに考え方が…いや、考えろということなんだな。もっと死を思えということなんだな。
いや、豊津さんのすごいところは、そういうふうに死をすごく意識して、死を考えてらっしゃるのに…いや、むしろ考えてらっしゃるからか、日々明るいじゃないですか。超前向きじゃないですか(笑)。普通、そういうのを考えていると暗く落ち込んでいくじゃない、鬱になるというか。でも、豊津さんって、そこを知っているからこそ元気な感じされますもんね。
 
豊津:いや、僕はね、逆だと思う。知らないから鬱になるんですよ。一生懸命勉強して、一生懸命本を読んだりしていれば、鬱にならないと思いますよ。
 
角田:うーん、なるほど。
 
豊津:だってもう人間そのものだからさ、そこで鬱になったら人間の存在ないじゃん。
 
角田:そういうことでいうと、僕、戦争やだなとか、コロナもやだなと思っていたんですけど。これは、色々考える機会を人類に与えているのかなって。この戦争もそうかもしれないですし。
 
豊津:やっぱり、本当にこの世界に非合理はないと思った。全部合理だね、これ。
 
角田:合理ですね。
 
豊津:僕たちがわからないから、非合理だと言っているだけで。
 
角田:うん、だから実は自然の方では辻褄は合っているんでしょうね。
 
豊津:そう、全部辻褄は合っているんだよ。
 
角田:このコロナが出てきたりだとか。
 
豊津:だからやっぱり、僕たち自身に与えられた唯一の能力は“考えること”だから。
 
角田:はいはいはい、思考するしかないですよね。
 
豊津:うん。考えるしかないような気がするんだよね。考えるのをみんな苦しいと思っているけど、考えることが一番面白いんだよね。そうでしょ?
 
角田:結局、“生きている”ということは“考える”ことですからね。死んだら終わっちゃうわけですからね。
今日はたくさんいろんなことが見えました、豊津さんのお話で。いやぁ、豊津さん面白かった。ありがとうございました!
 
豊津:いやぁ、あっという間だったな。度々、不思議なお題をください。僕はまた考えるので。ありがとうございました!

【2022年6月17日『豊津徳 HozuTalk #22 』YouTube生配信より】

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