見出し画像

マナーは覚えるよりも考えたほうがいいと思う

Twitterでマナーのことを書いたのでこちらでも。
僕のところに寄せられる相談の中で比較的多いものの一つに「お作法について」があります。

お寺の生活はお作法の宝庫と言っていいほど、お経のいただき方から足の運び方まで様々なお作法によって成り立っています。
でも、お作法を覚えるよりも大切なことがあると思うのです。

それは、なぜお作法ができたのかという背景に思いを及ばせるということ。

例ば、寺にはお焼香というものがあります。
私のお寺が属する浄土真宗の東本願寺派では、お焼香はいただかずに2回行います。しかし物の本を見ると「お焼香は頂いて2回」と書いてあります。
また、築地本願寺(浄土真宗本願寺派)ではいただかずに1回と教えています。
動画で紹介しておりますね▶https://www.youtube.com/watch?v=NJUDWiP8-og

宗派によって、またシチュエーションによって、お焼香のお作法は異なるのです。
では、お焼香をする施設が何宗の何派なのか把握して、それぞれのお作法を全部覚えて行く必要があるのかといえば、決してそんなことはありません。
何より大切に考えたいのは、その場にいる意味、祈る気持ち、そういったものです。

お作法についてお話しするときに、いつも引用する話エピソードがあります。

以前、銀座にあったフレンチレストランの「マキシム・ド・パリ」の顧問でいらっしゃった遠藤さんにテーブルをマナーを教えていただいたときのことです。遠藤さんはこうおっしゃったのです。
「テーブルマナーなんて所詮外国の作法、我々日本人が完璧にできなくても恥ずかしくありません。それよりも、お店にフランス料理を食べに来るという意味を考えてみれば、一緒にテーブルを囲んでいる相手を不快にさせないこと、これにまず気をつけてください」
「僕がマナー教室を開くとき、例えばスープを出したときにスプーンの持ち方についてとやかく言いたくはないのです。だって、それをいったら皆さん、スプーンに気を取られてスープを味わうことができなくなってしまうから。僕はレストランの者として、スープを味わってほしいのです」

このあたりのことは遠藤さんの『至高のレストランのテーブル・マナー』にも書かれていますので、興味のある方はぜひ読んでみてください。

さて、こういったことは、お焼香にも、テーブルマナーにも、他のどんなことにも通じます。
そのとき、その場にいる目的は何か。何をいちばん大切に考えたらよいのか。
それを見極めることが大事です。

大切なことを大切にするためにマナー、お作法は作られたはずです。
もしくは、大切なことを行うときに、他のことに気を取られずスムーズに行えるようにと機能を追求した結果としてのお作法であることも。
マナーやお作法が主役ではありません。マナーありきでものを言うのでは本末転倒なのです。

告知:
映画「もったいないキッチン」が上映中です。

“もったいない”。
元々は仏教思想に由来する言葉で、無駄をなくすということだけではなく、命あるものに対する畏敬の念が込められた日本独自の美しい言葉だ。そんな“もったいない”精神に魅せられ日本にやってきたのは、食材救出人で映画監督のダーヴィド・グロス。ところがもったいない精神を大切にして来た日本の食品ロスは、実は世界トップクラス。その量毎年643万トンで、国民一人あたり毎日おにぎり1個分。一家庭当たり年間6万円のまだ食べられる食べ物が捨てられている。ダーヴィドはコンビニや一般家庭に突撃し、捨てられてしまう食材を次々救出!キッチンカーで美味しい料理に変身させる“もったいないキッチン”を日本各地でオープンする。

こちらの映画に私も少し出演しております。こんな時期ですが、もしお出かけの用事があれば御覧ください。

お布施、お気持ちで護寺運営をさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。