言葉がきらいになりました。

noteを2日ほどお休みしました。

言葉を扱う人がずっと羨ましかったんですがそれが段々と「恨めしい」になってきて、これは良くないなと思い休憩していました。

恋や憧れはそれを考える頻度で深くなるので、考えなければやめれるかな、なんて考えたんです。それができないから恋なのにねぇ

言葉から離れてわかったのは、言葉からは離れられないってことだけ。

電車の中吊り広告、家族との会話、面白い体験。
味わうほどに新しい表現が雨のように降ってきて、ついつい書き溜めてしまう。

私はそのとき感じた幸せや悲しみ、怒りの解像度を落としたくないんだな。記憶は砂絵のように少しずつ崩れていって、私が生きてきた時間そのものはまったくの無意味だったと嘲笑うように過ぎ去ってゆく。

私にとって言葉は、それに抗う武器なんだ。

生きてきたすべてを一行に込めて、「生きとるわ、馬鹿野郎。」って


言葉がきらいになりました。

諦めさせてくれなくて、でも届かなくて、気まぐれに優しくしたかと思ったら私をボッコボコにしてくるようなクズ野郎め。

挙げてみれば嫌なとこだらけなのに、やっぱり好きが勝つみたい。


きらいになって、改めて好きの大きさを噛み締めました。



まだしばらく、報われない日々に溺れるかあ


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