やさしさってなんだ

強い念か何かのせいでバグったので再掲です。

優しいかどうかは相手が決めること、母はそう言った。確かにそうだと思う。優しさの皮を被った紛いものは、意外と溢れている。

優しさを押し付けてくる人、すごく厄介だ。というか、押し付けてきている時点でそれはもう優しさでもなんでもない。頼んでもないのに、私の知らないところで私の意思が尊重されるべきことにまでズカズカ入ってくるな!それを周囲に誇示して悦に浸るな!そのやたらと高そうな鼻をへし折りたくなってしまう…。あと、必要以上に自己犠牲を払うことで罪悪感を煽って、支配しようとしてくるケースもある。どちらもちげー!そんなの、優しさじゃないよ!自分しか見えてなくて、本当は自分以外の誰のことも想ってないから。他人を利用して、1人で気持ち良くなってるだけに見える。

自分を大好きなのはいいことだ。でも、自分の欲求を満たしたいがために他人を巻き込むな。サイコパスのオナニーのお手伝いなんか御免だ。勝手にやってろ、もしくは同じような奴と一緒になって、漫画の主人公みたいな"青春"かっこわらい、してろと思う。悪意がすごい文章だな。

普段は「キケン」と書いた段ボールにガムテープで封をして閉まってある言葉たちを、ひっくり返して全部床にぶちまけたくなった。こんなこと、言いたい人に言えるはずもないから。だってたぶん、当たってるのだ。今の私すごく傲慢だが、マジに当たってることは言っちゃいけないのだ。真実の言葉は刃物なので。これが私の優しさです。いや、優しさの皮を被った仕返しです。言ってしまったら、相手は気づいちゃうじゃないか。一生言わないから、一生そのままで、もっとたくさんの人に嫌われたらいいよ。"攻撃をしない"という最大の攻撃。わざわざ私が始末しなくても、そのうち干されるんで。干されなくても、私の中のエセ占い師が「そのままじゃアンタ死ぬわよ」と言ってるので。こちらのエネルギーを使って手を汚すまでもないのです。ていうか不幸にならなくてもいいです。私の目の前以外の、遥か彼方でどうぞ幸せに暮らしてください。省エネでいくわよ!

ここまで書いておいて、自分だったら自分みたいな人、敵にまわしたくないと思った。いや、ほんとにほんとに人畜無害だし争いが大嫌いなので、なかなか敵にまわることはないのだが、これだけ思うことがあるので、何かしら伝わっている気がする。少なくとも念は飛んでいそうだ。呪術師かよ…。

地下には何かがいると言われていて、その何かの怒りに触れたとき、姿こそ見せないが、悪意の塊が蠢いている禍々しい雰囲気だけは伝わってくる…でも絶対に姿は見せない、それがより一層恐怖を掻き立て、人々を脅かし続ける…私はまさに、そんなお話の地下にいる何かのようだ…。キャーッ!厨二病!少年漫画の読みすぎですね!

じゃあ、"優しさ"ってなんだろうか。私は、自立することで強く優しくありたくて、常に自分軸で生きようと意識している。でも"優しさ"は、他人に軸があるべき、とも思う。私が優しくしたいと思って何かしても、それが相手にとって何であるかは、誰にも分からない。もしかすると迷惑かもしれない。決めるのは私じゃなくて、相手だ。それを知っていることが、"優しさ"の始まりなんじゃないか。私は、"優しさ"が"押し付け"になって相手を苦しめていることに気づいていないのが1番の罪だと思う。そうならないために、私がやることは所詮何もかも自己満足だ、と開き直ることも大切だ。だからといって、冒頭で述べた人間のように、自分の欲求のために相手を利用してはいけない。相手を利用しているか否かがどこで分かるかというと、相手を尊重しているか否かだと思う。尊重するというのは、出来る限り相手の立場に立って、心情や状況を想像するということだと思う。相手の価値観に寄り添うことだと思う。
それに優しさには、すごく回りくどくて、すぐには、いや、ヘタすると一生気づけないものもあるんだろう。はい、谷川俊太郎の「これが私の優しさです」という詩を読んでください!

「これが私の優しさです」

  窓の外の若葉について考えていいですか
  そのむこうの青空について考えても?
  永遠と虚無について考えていいですか 
  あなたが死にかけているときに

  あなたが死にかけているときに
  あなたについて考えないでいいですか
  あなたから遠く遠くはなれて
  生きている恋人のことを考えても

  それがあなたを考えることにつながる
  とそう信じてもいいですか 
  それほど強くなっていいですか
  あなたのおかげで


わかんねぇ〜!中学生の頃、母にオススメされてこの詩を読んで、そうなった。今ならあの頃よりは少し、少し分かる…というか解釈ができる。ここでの優しさが誰に対しての優しさかというと、まずは"私"に対しての優しさかなと思った。"あなた"の死について考えないことが自分に対しての優しさになるほど、"あなた"との別れに向き合うのは苦しいことなのだ。その苦しみから自分を逃がし、自分に優しくするということは、自分を愛してくれている"あなた"に優しくすることでもある。「人との繋がり」は、優しさをまわりくどくする。本来"優しさ"というものは、分かりづらいものなのかもしれない。私も、誰にも気づかれない優しい人でありたいな。誰かに気づかれた時点で、なんだか"優しさ"が形を変えてしまいそうで。欲が出てしまいそうで。ちなみに、谷川俊太郎は「詩に意味などない」とか言ってる人なので、私がこれを読んだときの年齢、状況で思ったことが全てでしかない。分からないというのも、それもまたよい。

まとまらないが、まとめます。優しさってなんだろうという、すごく抽象的で難解な問いを立てちゃった。その結果、散り散りな文章になった。優しさの形は多様すぎてもうわっかんねぇけど、お前はちげー!ってのだけは明確に分かるので、声を大にして言ってみた。ぐちゃぐちゃのものをなんとか言語化した感じでまだ分からないことだらけだから、これからも考え続けると思う。でも一生わっかんねえかも。

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