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さよならだけが人生ならば。

最近恋愛への興味・関心が底をつきました。したいこと、やるべきことに溢れている今だから思うのかもしれませんが、付き合っても結局お互い傷ついたりして別れるし、ていうかどうせ別れるならそもそも付き合うって何?意味は?という雪の女王、エルサモードです。傷つくくらいなら、自ら建てた城に立て込んでしまおうってわけです。

恋愛面でだけそうなら、全然いいですよね。人生を豊かにするのは恋愛だけじゃないので、どうぞご勝手にという感じです。ただ、その根本にある何かが問題っていうか。こういうのって、恋愛以外の事柄とも、深いところで根っことして繋がってて厄介です。いやになっちゃうわ…

わたし猫が大好きで、社会人になって生活が安定したら飼いたいって思ってるんですけど、絶対わたしより先に死ぬじゃないですか。出会う前から別れのことを考えます。だから飼いたくない。勇気が出ないんですよ、なんて悲観的なんだろう…

でも、問題はたぶん、猫を飼えないことそのものでもない。もっと根深いです。この先の人生で、こういう考え方が私の足を引っ張る時は必ずくると思います。いつかは知りませんが。

ここまでの内容に共感してしまった人がいたら、一緒にこの詩を読みたいです。

「幸福が遠すぎたら」寺山修司

さよならだけが人生ならば         
また来る春は何だろう 
はるかなはるかな地の果てに 
咲いている野の百合何だろう

さよならだけが人生ならば
めぐりあう日は何だろう
やさしいやさしい夕焼と
ふたりの愛は何だろう

さよならだけが人生ならば
建てたわが家は何だろう
さみしいさみしい平原に
ともす灯りは何だろう

さよならだけが人生ならば
人生なんていりません

修司がこんなこと言うから…いろいろ考えました。そしたら、わしゃただのヨワヨワチキン野郎じゃん!ダッセー!って気づきました…わたしはこれまで、小説の1番最後のページだけ見て、結末を決めつけてたんです。

でも、どうやらさよならだけが人生じゃなくて、また春が来るらしいぞ…。じゃあ未来に希望を持ってみよう!ということで、理想の恋人について考えてみたらちょっと死にたくなりました。

…だってしっかり理想が高い!わたしは馬鹿野郎です。まだ若くても、現実を見てきたはずだ。その頭の中に浮かべたニンゲンが実在したとして、付き合ってこられてきてたとして、続いてきてこられてたと思うか?そもそも相手を大切にできないわたしに…ハッ!やめよやめよ。ちなみに、かまいたちは山内が好きです。真顔でボケるあの感じがたまらない。なのに濱家の名前しか思い出せなくて、ついさっき山内が出てきたところです。それって好きなんか?

はい、くだらない話をしだしたので、もう解散です。ごめんね修司、春はしばらくやって来ません。もしかすると来世まで。つまり、さよなら!

#寺山修司 #詩 #さよならだけが人生ならば #恋愛  

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