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一人だけの卒業式

4年生の2学期からほぼ学校に「行かない」を選んだ息子は、卒業式も「出ない」を選んだ。そこで、卒業式の次の日の放課後に、卒業証書だけもらいに行くことになっていた。それすらも年ごろの息子としてはしぶしぶ…という感じ。でもそこは。ほとんど大人の自己満足だったかもしれないが、けじめをつける、ということ。そして、お世話になった先生方にきちんと顔を見せてご挨拶したい、という親の思いで有無を言わさず決行(そこは気持ちには寄り添うが、行動は寄り添わないよ)。

担任から「校長先生から渡してもらいますね」とは聞いていたけれど、校長室で、クラス担任と支援学級担任2名の立ち合いのもと、たった一人の生徒の為の「只今より、卒業式を行います」の厳粛な言葉に胸にこみ上げるものがあった。校長先生は、いどこスクールでの活動の様子や私がお渡ししてきたニュースレターについても触れ、彼の選んだ学び方や生き方を理解し受け止め、エールを贈ってくれた。立ち合いの先生たちにも温かい言葉をいただいて、廊下に出ると十数人の先生たちが花道をつくってくれていて、たくさんの拍手と笑顔と「おめでとう!」の声。この場での学びは選ばなかったけれど、そんなの関係なく、ひとりの子どもの新たな門出に、ただただ祝福する大人たちがいるその風景が美しすぎて、泣いた。

1~3年生「悶絶期」、彼なりに一生懸命適応しようともがきながらも粛々と日々をこなしていた感じ。宿題は毎度悶絶していたなぁ。、やらんでいい、お母さん先生に話してあげるよ、と言っても、クラスのなかで自分だけ違うということは彼には受け入れ難いことだった。4年生「解放期」、なにかふっきれた感じ。席を立ち歩いたり反抗的な態度をとったり。2学期から本格的に不登校になり、このあたりからアトピーが少しずつ良くなってきた。気持ちが緩んだのかなぁ。5年生はちょっと「挑戦期」。支援学級という受け皿も加わり、学校にも行ってみたり行かなかったり。「ふつうの小学生になりたい」とポツリと呟いたことも覚えてる(お母さんは、あなたがあなたで居られるのなら何でもいいよと心底思っていたけれど)。ジレンマを抱えながら新しい環境も食わず嫌いせず、試していたよね。そして「やっぱり行かない」を選んだ。

自分の違和感をなかったことにせず表現し、チャレンジしながら自分の答えを模索してきた日々。彼にとっては辛いこともあっただろうけども、どれも素晴らしいプロセスだったと感じる。そしてどんどん自分らしく還っていき、自分にふさわしい環境や人を引き寄せ、仲間とつながっていった姿は見事でした。

中学校も支援学級に籍は置いてもらい、小学校からの就学支援シートでの申し送りと、個人懇談を既に済ませている。中学校も超オリジナル。カスタマイズしまくりな学校生活になりそう(笑) 入学式には出ないけれど、前日のオリエンテーションは私と息子とスクールスタッフの3人(良いチーム!)で参加予定。おそらく引き続き、スクールでの出席の振替えもできるのではないかな。まー、ふつうに高校進学とかはほぼないだろうなとは思うけど。彼は人とは違うポジションを生きることで貢献する人なんだろう。人にはそれぞれ役割があるのだ。せっかくいただいたお役目なので、是非まっとうして欲しいと思います。

改めて、卒業おめでとう!


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