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小澤一郎さんと木崎伸也さんに「オフレコ」で会ってみた

 サッカーを観る機会がグンと増えた高校時代。サッカージャーナリストである小澤一郎さんのことを知ったのは、この頃がはじめてだったと思う。

 それまでの私にとって、サッカー解説といえば松木安太郎さんのほぼ一択。プロの世界を知っている人間による、エンタメ的要素の強い解説こそが僕にとっての普通だったし、それが好きだった。

 だからこそ、その頃にDAZNで実況解説をされていた小澤さんや現在SC相模原の監督を務める戸田和幸さんの解説は、僕に衝撃を与えた。

 彼らの解説は「サッカーの言語化」だった。これまでよりも戦術的で、サッカーをメタレベルで解説。さらには現地の文化や選手の情報にも詳しく触れるそのスタイルは、当時の僕にサッカーの奥深さを教えてくれた。


 一方で木崎伸也さんのことを知ったのは、僕が大学卒業後の進路に迷っていたときだ。「やりたいこと」の実現のためにできる道を模索していたところ、「アズリーナ」というWebメディアで木崎伸也さんの記事を見かけた。

 それまでにも雑誌「Number」で何度か木崎さんの記事を読んだことはあったが、彼の経歴のようなものをしっかりと読んだのはこの時がはじめてだった。

 「こんな生き方もあるのか」というのが率直な感想。理系の大学院から就職という道ではなくて、海外でフリーライターになるという決断は、当時の僕の頭にはなくて、この頃からそのような働き方・生き方を強烈に意識するようになったと思う。

 そして昨夜、HISが主催するセミナーにてお二人の話を聞かせていただく機会があった。オンラインでもそのセミナーは受講することができたのだが、現場に行った僕はそこでしか味わうことのできない刺激を貰うことができた。

 「オフレコ」というものがある。それは決してメディアには出ないような話などを指す言葉だと思うのだが、そんな「オフレコ」が今の時代では、ほとんど存在しなくなっているように僕は思う。

 芸能人のLINEや音声はすぐに流出するし、誰でも気軽になんでもアップができる時代において、もはや絶対的な「オフレコ」は存在しないに等しい。しかしそんな世界でも、お二人が大事にしているのは「オフレコ」のように思えた。

 お二人の仕事は情報を売ることだ。彼らのような職種は戦術や想い、裏話などを、文字や映像といった方法で世間に届けている。しかしどうして彼らのもとにはそのような情報が集まるのだろうか、ということを考えたとき、僕はお二人がもつ「オフレコの力」に秘密があると理解した。

 たとえばサッカーだけを切り取っても、選手がピッチ上やインタビュースポットにて見せる一面には限りがある。たいていの人はそこだけを見て、知ることをやめてしまうだろう。

 しかしお二人はそれをさらに追求する。あれは本当か、なぜか、といったように更なる問いを展開して、それを「オフレコ」の場所で取材する。

 「オフレコ」では自然とおもしろい話も飛び出すだろう。なぜならそれは世間が見聞きしている「オンレコ」の状態では知ることのないものだからであり、それがお二人の届ける情報のおもしろさにもつながっている。

 また、恐らくお二人は「オフレコ」を「オフレコ」のままにするプロでもある。「オフレコ」の状態で得たとっておきの情報も、むやみやたら世間に届けていれば、いずれ「オフレコ」の状態でも相手は何もしゃべってくれなくなるだろう。

 そうではなくて、「オフレコ」を「オフレコ」にしてくれるという安心感が、より一層お二人におもしろい話を集めているのだと僕は思う。

 インターネットの時代になった。DM一本で僕は好きな選手にメッセージを送ることだって可能な、素晴らしい時代だ。だけれどそこは「オフレコ」だろうか。

 誰もが閲覧できて、誰でも意見を述べることができるインターネットの世界で、世界中がアッと驚くような話を相手はしてくれるのだろうか。

 情報のフットワークは以前よりも増した。しかしその反面、一つひとつの情報がもつ「重み」は減ってしまったのではないだろうか。

 おもしろい話は、今もむかしも「オフレコ」にあるのだと、僕は気がつかされた。

 お二人とも、今回は貴重なお話をありがとうございました。


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