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辞書の紙の手触りが好きです

こんにちは、カクノさんです。

ポストを見たら、選挙公報が届いてました。もうそろそろですねえ。
本日の記事はそれとはまったく関係ないのでご安心ください。

調べる、ということ

カクノさんが小学生だった頃(ファミコン後期~スーファミ登場期くらいです)は、インターネットなんていうものの存在すら知りませんでした。(恐らく存在はしていた、はず)

当然子供がいじれるパソコンなどはなく、調べものと言えば紙の辞書がデフォルト。
分からない言葉も読めない漢字も知らない単語も、全部辞書をめくって調べていました。
カクノさんより少し下の世代くらいまでは、それが普通だったと思います。

そのうち電子辞書が登場し、どんどん収録語数が増え、あの広辞苑まで収録したり多国語辞書を収録したり、自分独自の単語帳が作れたり……。
カラー液晶を装備し、百科事典の写真まで表示できるようになったのには感嘆した記憶があります。技術の進歩すごいやと。

その頃には一般家庭にもインターネット(とパソコン)が普及し、ネットで調べものをする、ということも一般的になりつつありました。

懐かしいですね、初期の頃のダイヤルアップ接続。ピーヒョロロローブツブツブツブツブツ……っていうやつ。
(カクノさん宅はパルス回線でした)
当時は常時接続なんてとんでもなくて、画像1枚表示するのにも数分待たされたし、そもそも画像はデータ量が大きいから表示しないようにするソフトがあったり、メール受信したらすぐ切断しないと怒られたり。

話題が逸れました。
ともかくインターネットが登場して、アクセスできる情報量が格段に増えました。
調べものをするには望ましい環境になった、と言えると思います。

しかし。

カクノさんはたまに思うのです。
調べるのが簡単になったけど、それ以上に知識を得るのがめんどくさくなってないかな、と。

紙と電子とインターネット

例えば、言葉の意味を調べるとき。
紙の辞書で調べる場合と、電子辞書、あるいはインターネットで調べる場合、得られる答えは恐らくさほど変わりません。
正確に言うと、「答えそのもの」は変わらないでしょう。
けれど、「答えのついでに得られるもの」がだいぶ違うと思うのです。

紙の辞書で言葉を調べると、どうやっても周囲に書いてあること(答え以外の情報)にも目が行きます。
「尻軽」を調べたくて辞書を開いて単語を探していけば、前後の言葉(「尻餅」「尻からげ」「尻すぼみ」などなど)にも目が行きます。
そこで気になった言葉もついでに意味を調べたり、そこから派生して違う言葉を調べたり……ということがよくありました。ありましたよね?

※例で挙げる単語のチョイスが非常にアレですが、これは最近まるマシリーズ1~2作目を読み返したからなので見逃してください。

電子

一方、電子辞書で調べると、機種にもよりますが、直接調べたい単語のページが開きます。
関連語句などで別の単語が表示されていることもありますが、簡潔な説明だけで終わってしまうものもあります。
中には紙の辞書と同じように、前後の単語が見えるように表示されるものもあります。

ネット

インターネットで調べるときは、「どこでどのように調べるか」にもよるのですが……例えば超大手検索サイト Google に「尻軽」と打ち込むと、こんな表示になります。

Google の検索結果。右上のEvernoteのところは個人情報出てたので伏せました。

こんな感じで、どこかのページ(辞書サイト等)を開くまでもなく、答えが表示されます。
なんならサジェストの時点で簡単な意味が表示されるので、検索ボタンを押すまでもないなんてこともあります。

こんな感じですぐに答えが得られる。非常に便利です。
が。
紙の辞書で得られていた、前後の語句や関連語句などの「ついで知識」を得る機会は減っているのではないかと思うのです。

言葉の意味が分かった、という結果だけ見れば、どの方法を採っても同じです。
とにかく意味だけサクッと調べたいというときには、サクッと調べられるインターネットや電子辞書の方が便利でしょう。カクノさんも普段はそうしています。

けれど、紙の辞書で、今必要ない、関係ない知識を得ることもとても楽しかったし、語彙力の向上にだいぶ貢献してくれたのではないかと思うのです。
だって普通調べないし出会いませんよ、尻からげなんて単語。

必要なものだけあればいい、無駄なものは持たない。
そんなスタイルがかっこよく感じられたりもします。
カクノさんも、たまにそうありたいと思うことがあります。主に引っ越しのときとか。(荷物が多い)

だけど、そのスタイルが合うかどうかはその人次第。
カクノさんも、お気に入りだった本を処分してしまって何度後悔したことか……。
マイナー本は古本屋にもないのですよ。もう一度読みたい、が叶わなくなることもあるのですよ……。

じゃなくて。

必要のないものや無駄なものが、日々を豊かにしていることも事実です。
だって、コーヒーもお酒もスイーツもゲームも、生きていくのには不要ですから。
※純粋な生命活動の維持に不要、という意味です。念のため。

それでも人はスタバに行きたくなるし、飲みに行きたくなるし、甘いものも欲しくなるし、ゲームをやるために徹夜したりするのです。
それがその人の日々を、心を、豊かにしてくれるから。

紙の辞書で無関係なところを読みふけってしまうのも、きっと同じです。
知らない言葉に出会い、知らなかったことを知り、もっと他のことも知りたくなる。
そうして増えた語彙や知識が、いつかどこかで役に立ったり立たなかったりする。
そんな記憶が、いつか誰かとの話を弾ませたりする。

ではいつものムリヤリまとめに入ります

だいぶ話が飛躍していますが、要は「余裕」があるといいよね、というお話です。
(当初の結論とは違う気もしますが、たぶん気のせいです)

時間に余裕。心に余裕。脳のメモリにも余裕。
余裕があれば、日々はちょっとだけ豊かになります。きっと。
ついでに部屋のスペースとお財布にも余裕があると、カクノさんはとても嬉しいです。



カクノさんが高校で使っていた英和辞書には、たっくさんの付箋が貼られていました。
単語にマーキングするだけだと、次にその言葉を探したいときにサッと開けませんよね。ペラペラしていけば見つかるとしても。
なので、マーキングしたページに付箋を貼って、探しやすくしていたのです。

それで何をマーキングしていたかというと……小説を書くのに使えそうな、いい感じのイディオムだったり用例だったり。
あとは宝石や鉱物の名前、色、マンガなどでキャラ名になっていたりする単語、神話の用語などなど。
カテゴリごとに付箋の色を変えていたので、非常にカラフルな辞書になっていました。

その後の人生でそれらのイディオムや単語を使うことはほぼありませんでした。
英語で小説を書くなんてことももちろんしていません。
でも、マーキングしているときや面白い用例を見つけたときはとても楽しかったのを覚えています。

楽しんで知識が増えるなら、それに越したことはないですよね。
好奇心は猫をも殺すらしいですが、好奇心のない人生などつまらない、とカクノさんは思うタイプです。

知的好奇心が知識を呼び、知識は更なる知識を求め、好奇心と共に知識欲という名の沼に沈んでいくのもまた楽しそうじゃないですか。
そもそも先人たちの知的好奇心のおかげで、現代のさまざまな文明や文化があるのです。
コピ・ルアクとかその最たるものですよね。好奇心がなきゃやらない、あんなこと。

最後まで話がそれます。それがカクノさんクオリティ。

とまあそんな感じで、電子書籍もだいぶ浸透してきましたが、たまには紙の辞書、紙の本、アナログなものたちに触れるのもいいなあと思ったのでした。

ではまた。

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