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忘れちゃいけないよ「魔法の言葉」

「もういいの」「どうしようもない」「我慢すりゃいい」

私が半世紀、ずーっと唱え続けてきた3つの呪文。

呪文とあるだけに、毒々しさがハンパない。

「もういいの」→だから辞めておこう
「どうしようもない」→だから諦めよう
「我慢すりゃいい」→だからここに留まろう

自分の行動を制限するわ、周りも不快な気持ちにさせるわで、いいことは何ひとつもない。

ここにきてやっと。
くりかえし繰り返し唱えていたこの呪文の有毒性に気付いたんだ。
そして最近、思い切って「エイや!」と捨てたの。

そのチャンスとなったのが、とある方からいただいた「魔法の言葉」
私はこの言葉のおかげでようやく呪文から解放された。

呪文を捨てたあとの空白に居心地の悪さがまだのこるけど、
あの呪文を唱え続けていた頃に比べると
なんだかそう、カラダもココロも軽くなった。

その証拠に

足取りが軽くなって、久しぶりにスキップ出来るようになったんだよ。

それに嬉しいのは、「我慢」しなくても誰も「怒らない」し「困らない」ことを学べたんだ。
おかげでどうしても難しいことは「素直に断る」ようになれたの。

羽ばたけるの、今は

それからというもの、
自分の能力を活かせる場所を選ぶことが出来た。
心を許して話せる人も出来た。
「いつかやろう」の常習犯がなんと!
「今日やっている」のよ。失敗も多いけど。

不思議。ホントおかしい。

あまりの変わりように、
ふふふ、と笑顔が自然とこぼれるんだ。


もっと早くにこうなれば良かったのかもしれないね。

チャンスはたくさんあった。

これまで異口同音
「呪文から解放されて自由におなりよ」って言葉は頂いてたけど、
実行出来なかったの。

なぜかって?

こわくて怖くてね。
解放されたらどうなるの?もし失敗したら?
こちらはひとりでウン10年唱えている呪文。
筋金入りなのよ(笑)

「じゃあアナタ、私をそばで見届けてくれるの?」と
投げた言葉に
まともに答えてくれた人はいなかったな。

背中は押すだけ。肝心の時はどこかに雲隠れ。
そんな人に背中を預ける正気は一切ございません。それに、相手も困るでしょ。

結局のところ、
問題は自分のこと。赤の他人様は関係ない。
私自身が心を閉ざしてるのに、私の中の問題を解決なんかできっこない。

背中を押して欲しいんじゃないの。
方法を教えてくれたり勇気づけが必要じゃないの。どれも私にあてハマるものとは限らないから。

必要なのは、勇気がない、変われずにモジモシしている私という存在をそのまま受け止めて共有して欲しい。ただ、それだけ。

たったそれだけのことがなかなか手に入らなかった。

昨年までの私は表面上「ボチボチ元気で〜す」と仕事してた。
けど
心は正直、重たい空気をまとっていたの。

ところがね

「今日も会えてうれしい!私ね、あなたのことが大好きなの」

毎日会うたびに私の手を握り、
笑顔でそう繰り返し語りかけてくれた認知症の方がいたの。

認知症というけれど
発する言葉はその相手の性格とタイミングに絶妙にマッチしていて
長い人生を歩いてこられただけの深みがあり
私には到底敵わなかった。


この方が繰り返しくりかえし発する魔法の言葉が、最後の一押しになって
私を解放させてくれたんだ。

ありがとう、
本当にありがとう。
あなたのおかげで、呪文を捨てる勇気を持つことが出来たのです。

あなたの魔法の言葉のおかげで、いま私はとても幸せです。
つばめのように心は青空を飛ぶことが出来るようになりました。
家族を自分をこれまで以上に愛おしむことが出来ています。

昨年までの私とは、正直比べようがないぐらい
変われました。

今はあなたとは遠く離れてしまったけど、心は繋がっています。

今度は私が、誰かに
魔法の言葉を伝える時が来るでしょう。私はあなたのことを忘れません。心の中でこの言葉をリフレインします。

「今日もあなたに会えてうれしい。私はあなたのことが大好きです」



最後までお読みいただきありがとうございました。

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