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舞茸、舞う箸、マイ箸 2022/11/21

日記

・うどん屋で舞茸天を食べようとしたら割り箸が真っ二つに折れて空中に放り出された。そういう週の始まりもある。


・うどんとかラーメンとか、食べるときに前傾姿勢になって首を下に向けるから、実はストレートネックの温床になっているんじゃないかと少し前から思っている。ラーメン王石神さんの姿勢を確認したくて「石神秀幸 三面図」で検索をかけたけど、なにもヒットしなかった。

・石神さんはラーメン以外だと「スッポン」が好きらしい。意外といえば意外だ。そんでもって今はもうラーメンをそこまで食べていないという情報が出てきた。不思議とそれは意外でもないな。スッポン好きという情報の方がへ〜となる。


・最近、どんな事柄に対してもすぐ「白黒はっきり分かれているものじゃなくてグラデーションが〜」とか「善悪の二項対立じゃなくて〜」とか考えてしまって、そういう俯瞰的な視点が大事だとはわかっているのだけど、そればっかり言ってるのもなぁという気分になってきた。どんな話も結局ここに着地してしまうので、たまにはお奉行様のように断定・断罪するようなことも必要なのではないかと。同じことばっかりやっているのって良くないから……。

・「グラデーション」でも「白黒」でもない、その間にあるグラデーションを探っていく……。


・高村光太郎の『道程』のドドド有名な一節「僕の前に道はない僕の後ろに道は出来る」ってわっっかりづれぇ〜〜〜〜〜よなぁ〜〜〜〜〜〜とずっっっっと思っている。

・詩自体が人生の時間の流れを「道」という空間的なものに喩えているのに、その中で「前」「後ろ」という概念をまた時間的に捉えて使っているからだ。空間的な「前後」は自分の視点の"先"にあるものが「前」で、その反対、視点から過ぎ去ったものが「後ろ」となる。でも、時間的な「前後」は現時点から"先"にあるものが「後ろ」で、過ぎ去ったものが「前」になる。

・『道程』で使われているのは、後者の時間的な意味での「前後」、つまり「以前/以後」という考えだ。それなのに、詩全体は道という空間的なものを扱っているから、その意味での「前後」だと読み間違えやすくなっている。そして、ここを読み間違えると、「僕の正面に道はない 僕の背面に道は出来る」となり、めちゃくちゃ後ろ向きな詩になってしまう。

・でも、これを人に話しても共感してもらえない。単に私が「前後」とかそういうイメージを捉えるのが苦手なだけなのか。まぁ文脈から判断すれば「以前/以後」の意味だなとわかるんだけど。なんか、読むたびにモヤ〜〜っとする。


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