人の上に立つということ
こんにちは!
現在バイトマン(バイト漬けという意)のかこ造です。
早速本題。
私のバイト先は、飲食業を営む小さな会社で、会長や社長と従業員の距離が近いのですが、そのバイトをする中で私が思ったこと。
目上の人間の4か条(勝手に作成)
①「目上に立つ人が必ずしもできた人間であるとは言えない」
②「目上に立つ人は、下の人に『こういう風に働け』などという要求や命令をする立場にあるので、必然と下の人から反感を買いやすい」
③「目上に立つ人は、下の人から必然的に『厳しい評価の目』を向けられる」
④「目上に立つ人は、下の人から客観的な評価をもらう機会がないので、自分で自分を客観的に評価・改善することができなければ、またはその機会を自ら設けなければ、下の人から嫌われていることにさえ気づけない」
4か条作成の背景
ズバリ、上の立場にある人間に怒りを覚えたからです。
ここではそんな細かい愚痴を書き連ねるつもりはないのですが、
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21歳にして、「上の立場に立つ人が必ずしも優れた人間ではない」
ということにやっと気づくことができました笑
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そういえば、中高の部活の顧問もひどいものでした…
小中高と過ごしていくうちに、
「学校の先生って常に正しい存在ではないんだ」と気づいたことも
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また、「上司に恵まれた部下は、社会人としての成長が目覚ましい」
というのは、かなり説得力のある考えではないだろうか、と!
(よく世の中の大人が言っていますよね^^)
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自分の上の立場の人間を、自分で選ぶという選択肢(余談)
世の優れたアスリートを例にすると、
彼らには才能があっただけでなく、才能を開花させるための最適な環境があったのではないかと考えます。(かなり簡素化して言えば)
士気の高い仲間と、経験と指導力を備えたコーチと、心身共にサポートしてくれる家族・友人など。(プラスで練習場など物理的な環境もありますが)
なので、才能のあるA君が、大したことのないコーチにバスケを習っても、習った以上の成長を遂げることは中々難しいのではないでしょうか。
他方、B君は将来バスケ選手になりたかったので、自ら強豪校へと足を踏み入れるという選択をとります。これは、自分で最適なコーチを選びにいったと言えるでしょう。
将来、自分も上司という立場になる日が来るのだろうか…
なかなか自分がどんな上司になるのか、想像もできませんが。
後輩には、甘くなりがちだし、改善してほしいところを指摘するのも躊躇してきた……(部活、バイト)
ただ、自分が上司になった時には、
常に誰かからの客観的な評価をもらうべきだと思います。
ある本で、
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下の人間が上の人間に助言したり、性格や仕事の仕方の改善を申し出たりすることはめったにない。(図々しいとか、下の人間のくせに、と通常思われることだから)それゆえ、上の人間は独りよがりになりがちで、下の人間が自分のことをどう思っているのか、その事実に目を向けることができない。
気付くことすらできない。
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このような感じの記載がありました。
つまり、上司はその立場になった時から、構造的に「疎まれやすい」「嫌われやすい」存在であると言えるでしょう。(常に自分を客観的に評価・改善できるとか、部下との信頼関係が強固である場合は除く)
なので、私は自己成長・全体の満足・信頼関係の構築のために、
独りよがりで偉そうな人間にはなりたくない!と思っています…
結論
親・お年寄り・会社の上司・社長など幹部・姉・兄・先輩…
誰かの上にある場合は、思ったより多いですが。(自分も妹あり)
自分のことは棚に上げて、下の人間に厳しい監視の目を向けるようなあほったれにはならないよう気を付けるべし!
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