Will/Can/Mustの順番、みたいな話
せっかくnoteを始めたので、1記事くらい書いてみよう。
主に新卒向けの話です。
個人のキャリアを話すとき、Will/Can/Mustで会話されることは、とても多い。
とても有名な概念なので、知っている人も多いと思う。
プロセスエコノミーの弊害
最近遅ばせながら「プロセスエコノミー」を読んだ。
本書の中でも、実はすこーしだけ、「Will/Can/Must」についても言及されている。
この本自体は
・アウトプットがコモディティ化し、モノが充足した社会において、コピーできないものは「プロセス」
・その「プロセス」に対価が支払われる時代になっている
そんな、プロセスエコノミーの時代をどう生きるか。
的な話なんやけれども、Will/Can/Mustは「プロセスエコノミーの弊害」という章で取り上げられている。
プロセスエコノミーで仲間を集めるには「私には、夢がある!」というWillを語り続ける必要がある。
個人が発信できる時代になってきて、「自分らしく、生きる」「好きなことを、仕事に」。
それが今の時代のあるべき生き方であるというイメージが出来つつあるが、逆に、夢(Will)がないこと=悪いことと捉えてしまったり、MustやCanを軽視してしまう弊害があるのでは、という話だ。
新卒のWillと、そこにつながるプロセス
たしかに、Willを叶えている人はキラキラしている。
ただ、Willを叶えている人の大半は、Must/Canの積み重ねで実力を積んだ結果、Willにつながっているはずだ。(一握りの天才は除くぞ!)
なので、新卒として会社に入ったタイミングなんか、Willもなければ、Willを叶えるCanもない。で、それは、普通やしマジョリティなんやぞ、と、思う。
少なくとも、私はそうだった。
でも、Willが大事!の発信が世の中に溢れた結果、Mustを積み重ねてCanができ、Canが増えるからWillを実現できるというそのプロセスそのものが水面下に隠れてしまった。
なんと、プロセスエコノミーは特定のプロセスを逆に隠してしまうのだ…!とうまいこと言うた風にしてみる。
まぁ、それがゆえに、
「私は何者でもない」ということに不安を覚えたり(そりゃそうだ、WillをかなえるCanも、CanにつながるMustもまだ未経験なんやから)
「今の仕事は自分のWillとは違うのでは」と落ち込んでしまったり(それはまだ、Willが見つかっていないとか、WillやWillにつながるCanの解像度が低いとか、きっとそういう話だ。今心配する話ではない)
そういう悩みが起きやすい時代になってしまったのではなかろうか。
Will/Can/Mustの順番
自己擁護するようだが、キャリアの序盤で、Willがないことに落ち込む必要はないと思う。
そして、Must→Can→Willはどこが始点になっててもいい。
だいたいの人はきっとこんな感じ。
Must→Can→Willのサイクルをまわして強くなっていく。
いつか、Willが見つかったときのためにCanを準備しておく戦略だ。
周回しまくる人もいれば、1周で十分よ、てな人もいる。
最初からWillが明確にあるパターンは特殊系も特殊系。
羨ましいけど、普通はこうはいかないZE!それでいいんだZE!
そんなくらい、ハードルを低くして生きていきたい。
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