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【胞状奇胎②】不妊治療と、聞いたことない病気と

前回の続きです。



不妊治療のクリニックから総合病院へ

今回の胞状奇胎の診察にあたって、すぐ手術のできる大きな病院に紹介状を書いてもらったのですが、行ってみるとかなり大きくて立派な建物。
人生初の入院をする私は、「医療ドラマのロケ地みたい!」となぜかテンションが上がっていました。

しかし後になって考えると、一回の手術で終わりではなく、その後の経過観察で少なくとも半年は通うことになります。
この病院は、家からは通えなくはないが近くもない距離なので、紹介状を書いてもらうときに近所の総合病院を伝えておけばよかったな…と思うなどしました。
(先生に「家の近くに大きい病院はありますか?」と聞かれたけど、普段大きい病院なんて意識しないので、あわわ…わかんない……となっているうちにそのクリニックの提携先の病院になった)

採血と診察の結果、胞状奇胎でほぼ間違いないので、夕方すぐに子宮内容除去術を行いますとのこと。
手術中は静脈麻酔で眠った状態になると聞いてホッとしました。
(そして「これ以降飲食禁止です」と言われたので、長〜〜〜い診察の待ち時間のあいだにサンドイッチ食べといてよかった……と別のところで安堵)

最終的な診断名は、手術後の子宮内容物を病理検査に出して、その結果を確認してからになると言われました。

はじめての入院

そうと決まればすぐ手続きをして、あれよあれよという間に入院棟に行き、点滴の針だけを刺して、手術室に向かう準備OK!な状態に。
そして手術までの時間は上司や先輩に電話をして、結局入院になりましたすんません、明日も休むんであの見積とこの調整をお願いします、という連絡をしてました。いま思えば先に両親とかに電話するべきだった。笑

入院は4人くらいいる大部屋のイメージがあったので、自然とそちらにしようと思ったのですが、夫がそんな私を止めて
「高くたって絶対個室のほうがいい!人生でそう何回もあることじゃないしケチらないでいい!リラックスして過ごすことを優先しよう」と言ってくれたので、ありがたく個室のベッドを使いました。
のちに、出産のときも同じ理由でそうしたのですが、これは正解だったな…と今になって思います。
なにしろ入院の原因が原因なので、個室のほうがメンタル面でも落ち着いて過ごすことができ、辛い思い出もなく入院生活を終えることができました。

いざ手術へ

朝9時に病院に着いてから、夕方16時半ごろに手術スタート。
歩けるのに…と思いつつ車いすで運ばれた先は、記憶が曖昧ですがおそらく分娩室のようでした。

生命が産まれる場所を初めて見て、その時にようやく、「ああ、本来であればこういう場所でこの赤ちゃんを産んであげられたのかもしれないな…」と、まだお腹のなかにある失ったものの存在を認識しました。

白い部屋に大きなライト、手術着の先生や看護師さんたちがぞろぞろ現れるのを見ると途端に不安が押し寄せ、いよいよ手術の準備のための器具を差し込まれると「痛い痛い…!!」と思わず声と涙がこぼれる。
何が差し込まれているのかわかんないけどすごく痛い、でも出産はもっと痛いだろうからこれぐらい我慢しなきゃな、でもそんな時なんて来るのかな、こんなことで泣いてて私はいつか母になれるのかな、なんで私はここにいるのかな…………

と、頭のなかをぐるぐるしていたその次の瞬間には、ぼんやりした意識の向こうで「〇〇さん、終わりましたよ」と声をかけられました。
静脈麻酔ってほんとに意識なくなるんだ…!とちょっと感動。眠さとだるさはありましたが痛みはなく、安静にしていれば辛くはありませんでした。

手術を受けていた間に夫が家と病院を往復してくれたようで、入院グッズの荷物が届いていました。Switchが入っていたので、その夜はありがたくあつ森をプレイしてリラックスして過ごしました。

そして手術が終わったときは18時前だったので今日の夕食の提供がないと聞き、こんな(´;ω;`)顔になっていると、看護師さんが「売店で買ってきますよ!」と言ってくれました。普通こうなんですか?ありがたい……
お言葉に甘えておにぎり2個とカップみそ汁をお願いしたけど、手術後だからかあまりに腹が減りすぎていたのでおにぎり4個頼めばよかったです。

退院、そして経過観察

翌日は朝食を食べたあと、これからしばらくこの病院に通うことになるのでその説明だけ受けて、あっさり退院しました。
ただ、家に帰ると緊張の糸が切れたのか、妊娠を継続することができなかった、またダメだった、産んであげたかった、という気持ちが波のように押し寄せ、思いっきり泣いてすっきりしました。

その後の経過観察で何をするのかというと、ざっくりした説明ですが

・ 1回の手術では子宮内容物を取りきれていない場合があるので、1週間後に検査してまだ残っている場合は、もう一度同じ手術をする。(私は結局しませんでした)
・ その後も、侵入奇胎(胞状奇胎の組織が血管等に侵入した状態)や絨毛がんに進展しないように定期チェックする。
・ チェックの方法は、血液中のhCG値(妊娠性のホルモン)を測って、この数値が下がるのを待つ。経過観察の期間は早ければ半年程度で終わる。
・ この経過観察中に妊娠してしまうとhCG値が上がってしまい、正常妊娠なのか胞状奇胎の組織が残っているのかが分からなくなってしまうので、終わるまでは必ず避妊する。

hCG値は、非妊娠時であればほぼゼロに近い数値のようですが、私の場合は手術前で80000程度あり、退院時には30000、その1週間後には1000となっていたので、この数値が2以下になるまで観察しましょうとのことでした。

正直「はよ不妊治療再開したいんだけどなあ…半年は長いなあ…」とがっかりしたのですが、そこは前向きに考えるようにして、妊娠したらできないこと・暇なうちにやっておくべきことをピックアップして、この半年間でやりたいことリストを作ったりしていました。

いっぱい働いてお金稼ぐ、医療ハイフや脱毛やる、英語の勉強がんばる、家の断捨離する、めいっぱいゲームする、地元帰って友達と会う、推し活する、生もの食べてお酒を飲む、などなど……
そういうことをひとつひとつ消化していくことで、人生が前に進んでいるぞ!と自分に言い聞かせ、この期間を前向きに乗り切れました。

ぶじ陰性化して通院終了

全胞状奇胎と部分胞状奇胎という分類があるそうなのですが、病理検査の結果は部分胞状奇胎でした。
その後は予定よりも早く順調に数値が下がっていき、10月下旬の手術から約5か月を経て翌年3月に無事hCG値が陰性化し、通院を終えることができました。

この手術を受けてようやく、私は自分の仕事をセーブすることに決めて、上司の協力もあってこれまでよりも負担の少ない職種での業務をすることができました。
やはり身体の健康以上に大事なものはないということ、また不妊治療にもっと本腰いれて取り組もうという決心が、この病気のおかげでやっとついたところでした。
その後、幸いにして娘が我が家にやってきてくれたので、結果的にその選択をしてよかったと思っています。

とりとめのない文章になってしまいましたが、読んだ方の参考になれば幸いです。

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