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アキレスとかこ

人生やはり面白いものでございます。
展開がわからないからです。

例えばですが、5時間前の私は以下の文を書いておりました:

私は豪雨が大好きだ。雷があるとなおさらワクワクしてしまう。

そういえば、マウイでコミュニティリーダーのミーティングがテント内で開催されていたタイミングで強い雨が降はじめたのを思い出す。その時は、みな大いに喜んだ。雨の音でミーティングの内容は聞こえづらくなったが、そんな不都合よりも大事な恵みの雨が訪れたことに場の雰囲気は和んだ。

今日の東京、豪雨予報だったので、内心ワクワクしていた。でも、蓋を開けて見ると、雨はポツポツ降るか降らないか。その分、ザ東京らしい蒸し暑さが漂い、肌がずっと湿っている。不快感しかない。低気圧と生理前の現象が重なったことからか、私の体内温度は瀑上がり。疲れとめまいが一気にやってきた。整体の先生からも、仕事をしていたときよりも身体に疲れが溜まっていることを今日注意された。あと怪我にだけ気をつけろと。確かに、最近はエンジンをかけすぎているのかもしれなとやや反省。

と、書いたものの、私は今ボクシングの選手練習へ向かっている。身体にあった休み方を26になった今もまだわかっていないのが事実。
皆さんはどうやって休みを取っていますか?
私の場合、動かないでうちで休むはあまり身体に合っていないようだ。疲れた身体がより一層重くなる。
昨日は外に出て、人と接し、コンピューターとにらみ合いっ子をし作業を始めたら、大丈夫になった。脳みそがゾーンに入ると自然と身体も楽になる。その前の日は、反対に頭がぼーっとしていたから、ボクシングの練習に参加したら、気が晴れた。身体も軽くなり、結局練習の後にまた違う運動を一時間した。

この様に応急処置をしたが、根本的に疲れをためないようにすることはできてない。あまり疲れを感じないたちだからこそ、思っている以上に無理をしてしまっているようで、その疲れが降る落ちてくるとドーンとくる。ほぼ放心状態になるので、今日の日中は安静にした。本当は雨がザーっと降る中、家にいたかった。ただ、雨が強くなると、私は外に行きたくなる。
雨の中の思い出は鮮明に残る。ある雨の夜は、福井の丸岡城周辺をずぶぬれになりながら、そのとき恋をしていた人と自由に踊りまわった。これは夏の暖かい雨だった。また違う雨の夜は、アメリカの大学のパーティーを家で主催していたが、私はベランダで雨の中、突っ立ていた。これは冬の冷たい雨。一人だった。
強い雨は晴明を感じる、だから私は好きだ。
都会だと、雨の夜は人通りも減り、街の足音が雨の音で消される。タクシーの光がぼんやり街を照らす。いつも忙しくしている東京人が雨により不便さを感じ、不機嫌そうになっているところを観ると「あ、いいな」と思う。なんだか、やっとこの人たちもちょっと自然とつながっていると感じてしまう。

ということで、この地下鉄から降りたら、雨降っているといいなと思う今日この頃でした。

・・・

そして、5時間後の今。
報告をすると、
雨は結局そこまで降らなかったです。
もともと書いていた「東京は雨予報だが」というタイトルは使わないことにしました。
変わりに使っているタイトルは、「アキレスとかこ」。
皆さんの中で関連するのはアリストテレスでしたか?それとも北野武さん?そう、「アキレスと亀」にかけております。
この言葉を私にラインしたのはは知人で。ちなみに、私は上記のどっちでもなかったです。知識がないので。
で、なぜこんな言葉をかけてくれたかというと・・・
私、カコ、アキレス腱を(おそらく)断裂しました。練習で。
足首べろんべろん状態です。
なので、5時間前の自分に伝えたい。休みなさい。身体のいうことを聞きなさいと。

まぁ、でも、起こったことは変えられませぬ。
どう起点を利かすかなのです。
明日の診断の結果次第ですが、おそらく六か月程度、わたくし動けませぬ。
参りましたね。マウイの現場どうするんだよ、バカ。
六本木の街をケンケンして帰り、家の中ではハイハイをして、布団をセッティングするのには5分かかり、使えない人間過ぎる自分に絶望し1分ほど泣きました。
ただ、こんなことがあると支えてくれる人の心暖かを感じたり、見えてなかったことも見えてきます。失う可能性は多いですが、新しい可能性も生まれると考えたいです。そのことは明日、病院でおそらく永遠と待たせれている間に書きたいと思います。

とりあえず、おやすみなさい。

みなさん、足首はよくストレッチしましょう。



アリストテレス

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