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ゆとり時間

私は、節目に行われる行事があまり得意ではない。
例えば、卒業式。
今も、一年間参加させていただいた国連のフェローシップの卒業式を抜けてこのノートを書いている。行事の主催者に失礼な行動ではあるので、自分の衝動を改善するために文章を通して考えてみようと思った。

そういえば、大学の卒業式も、私はほとんど出席していない。
卒業証書を受け取る場面は、親がわざわざ来てくれるということで、出た。それ意外のお時間は、図書館にいたことを鮮明に覚えている。10日後に控えた、コモロ島(アフリカの諸島)への赴任の準備をしていた。アメリカ政府に提出する書類や医療関係(ワクチンを片腕に7本ほど打たれたなぁ)の申請など、締め切りに追われていた。そのような作業をカタカタ進めて、卒業行事を終えた友達たちから連絡が来るタイミングで、図書館から出て一緒に写真を撮っていた。

この様に大学での最後の終日を過ごしたことには、後悔はないが、優しい指摘を受けたことはある。日本で一人旅をしていたある冬、アメリカの大学の教授と京都でお茶する機会があった。その時、「卒業旅行でもしたか?」と聞かれた。
「いや、卒業日から一週間後には、違う国で仕事を始めてました。」
と私は答えた。
「それは、良くないよ。」
と教えてくれた。
「新しいページを開く前に、
自分の努力や成果、そして失敗を含め、ここまでの一章を噛み締める時間を取るといい」ということを伝えてくれた。
この様なゆとり時間を意識的に取るようにしようとこの冬の日から思うようになった。

思うことは簡単だが、実践はできているのか。
例えば、去年転職をした際、前職の最終日と新しい職の開始日の間に1週間空けて、姉と沖縄に行ったのは、私的には成長であった。
この様な、意識的なオン・オフはもっと得意になりたいと思う。

国連で働いて見えたが、オン・オフがハッキリしている人は効率が良い。仕事をするときは集中してする。いない時は、連絡が取れないほどオフである。私がいた組織の場合、上がこの様な振る舞いをしてくれたので、下は動きやすかった。

あと、休みをどのような形でとるか。ジュネーブに本部があるのだが、やはり夏は多くの職員が休暇を取る。このヴァカンス文化はとても素敵だと思う。
そういえば、先月ベトナムにいた際、ツアーで出会ったデンマーク出身の男性は、新しい仕事が始まるまで数か月旅をしていると言っていた。私の沖縄旅行はたかが1週間だったが、彼のベトナム・タイ旅行は数か月。ちなみにプロサッカー選手だった方で、現職はファイナンス関連。おそらくお仕事は結構できる人なのだと思う。仕事の間に休んでいいという許可はなかなか日本では感じられない気がする。

あと、この「ゆとり時間」を私が感じるのは飛行機に乗っている時だ。
小さいころは飛行機がとても苦手で、毎回のようにギャン泣きしていた。
今では、最高に有意義な時間だと感じる。
まず、連絡から完全に途絶えることができる。外部からシャットアウトされる空間である。
その上、出発地点と目的地の間に存在する、余韻と予感が混ざり合う場所なのだと思う。例えば、前回マウイのシナハンを終えて迎えた成田行の10時間のフライトでは、素材のチェックやヒアリングの振り返りをしていた。マウイでの一週間、感じたこと・聞いたこと・見たものの余韻に浸りながら、日本で待っている生活に切り替える準備もしていた。結局、寝落ちしてしまったが、自分の考えに耳を傾ける時間としては、教授が言っていたゆとり時間のように感じられた。

本題に戻ると、おそらく卒業式のような節目で開催されるイベント事は、この様な振り返りをする機会なのかもしれない。忘年会やお別れ会などもこの部類に入るのであろう。
ただ、私が思うには時間は続くし、人間関係も続く。そのため、区切りをつけるイベントには向き合えない。向き合いたくないのかもしれない。
ただ、この様な考えを受け入れたうえで、おそらく行事に参加して得ることもあるはず。うぅ・・・駄目だ・・・これに関しては、是非この様な行事が好きな方から意見をお聞きしたい。違う視点が必要だ。

で、なぜこの議題について時間を割いているかというと、今月が最高のゆとり時間であるからだ。最高であって、私はとても戸惑っている。慣れてないからだ。どうしても効率良い時間の使い方を求めてしまう。このことについては、明日また書きたいと思う。少しクリアにできるといいなぁ。

オン・オフの話でいうと、前夜の睡眠が結局一番大事だなと思うので、
今日はここまでで。








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