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コーチングを通じて何をしたいのか?コーチと対話してみた結果、めちゃくちゃ自分っぽいのが出てきた

こんにちは。Kakkyです。

以前自己紹介にさりげなく載せていたのですが、2018年に仕事の一貫でコーチングを学ぶ機会があり、『なんだかよくわからないけど自分に合ってる気がする』という勘を頼りに学びを進めてきました。
2021年の今、コーチの資格*を取得するべく修行中の身であります。
*米国認定コーチ養成機関Coaches Training Institute (CTI)のCPCC (Certified Professional Co-Active Coach)
そこに必要なのはスキルももちろんあるのだけど、なんとなくセンスによるもののような気がしていて。センスを磨きたければそのセンスの高い人の最も近くで学び吸収すること、という前職の訓えから私自身も素敵なコーチについてもらっています。

勘からはじめて、勘でここまできちゃったものだから、実はちゃんとなんで続けていきたいのか言葉にできていなくて。
「なぜ私はコーチングをやりたいのでしょうか?」と、この人記憶喪失なのかな、とでも自分で自分を疑いたくなるような問いから、マイコーチと話してみました。

今日は少しそのことについて記してみます。

What's コーチング?

さて、コーチングのコの字も知らなかった約4年前の私からしたら「てか、それ何?」という感じです。
初め聞いた時には自分としては、どちらかというとバスケのコーチみたいなことを思い浮かべました。なので、他人より多くの知識や知恵を持って教える立場?と思ったりしたのですが、初めての研修の場で全く違うことに嬉しいショックでした。

コーチングの核心とは何かと問われれば、それは発見と気づきと選択をもたらすことである、と私たちは答えるでしょう。それは、人々が自らの答えを見つけ、人生に豊かさと変化をもたらすような選択を繰り返すことによって自らの道を歩むことができるよう、効果的にサポートするための手段なのです。(コーチング・バイブル(第3版)より)

語源は馬車(coach)で、御者が馬車を望む目的地まで送り届ける、という意味からきているんですって。コーチを受ける方が御者で、馬車に乗って目的地に向かう。コーチはその隣に座って、分かれ道がある時にどんな選択をするのか一緒に考えて、相談しあって一緒に導き出す伴走者のような存在

クライアントが目指す目標達成に向けて、見えきれていないポテンシャルを引き出して、行動することを支援してパフォーマンスにつなげる、そんな存在。

いろんな表現はあるようですが、こんな感じです。

Why コーチング?

で、というところですが、自分としては理由があるようで、まだ具体的にそれを掴みきれていない実感がありました。なんとなく、話をしていて綺麗な言葉が並んでいて、理解はできるけど納得が追いついていないような感覚。

尊敬するコーチと話をしてみるとそれが少しずつ出てきました。行き着いた先に出てきたのは、こんな言葉たちです。

”社会的変化に向けて”
”意志の種火”
”固有の願い”
”隙間を通る風”
”輝きを増す”

社会的に意味があったり、そういうところにチャレンジしている灯火は消えやすい
意志があるところには逆風が吹きやすい
それは種火のようなもの
プレッシャーの元で、燃えている火だから激しい風や周りの炎に影響を受けて飲み込まれることもある
その目標はやらなくてもいきて生きていけることであったりもする
隣の人にとっては意味がないとラベルをはられてしまうこともある

私は、そういう人に輝いててほしい

輝き続けるためには、燃え続けるためには
本人が意志や意味を信じていること
それを誰かに認めてもらえていることが大事

種火に空気、風を送り続けていくことで
サポートしたい

火を灯し続けるためにはスペースがいる
風が通る隙間が必要

その人が持っている大切さ、その人が固有に持っている願いを大事にして
風を送っている存在でありたい

大事なところに空気を送ってあげたい
いろんな隙間があるから
その人ならではの願いや使命を見ている存在でありたい

私がありたいコーチ像、それは

”社会的変化に向けて灯されている意志の種火 の輝きを増す風”

whyのwhy

ここまで言葉にしてみて、思い起こされるのは国際公務員を目指して学びを続けていた時のこと。

本当に多くの機会や出会いに恵まれました。
最前線で実践・研究している学び舎に参加し、目の前の環境に変化を出すために日々ミクロに動く開発の現場、マクロな視点で政策を作り出すための研究や意思決定をしている場にも訪問させていただきました。

どの現場にも一心に課題解決に向けて頭も身体も心も向けている先鋭たちがいて、専門家たちがエネルギーを集結させているパワフルなものがありました。それはもう、ドラゴンボールの球が集まってさらにさらに輝きもパワーも放ち増し続けてる瞬間が、いたるところにあるような感じで。

そこで私が感じたのは「ここにエネルギーを注ぎたいと思っている人が真っ直ぐに輝き続けていて欲しい。そしてお互いに輝き共鳴しあっていて欲しい。そうしたらチームとして最高のパフォーマンスを世界に送れるんじゃないか。その結果社会課題の解決に今よりもっと近づけるんじゃないか」ということです。

私は、私自身がその中の光や火の一員となって輝いているというよりは、その集合体が放つエネルギーにワクワクしたのでした。

逆に言えば、
・実はプレッシャーやステレオタイプの枠が強くてせっかくの意志を実現させることを諦めざるを得ない場面も見たし、
・せっかくの意志を実現させても現実とのギャップに悩んだり、意志搾取のような結果になってしまったり、
・価値観の違いから協働を続けられないこともある
という現実も目にしました。

自分自身もソーシャルセクターの組織に参画する経験もして、意志の火を灯し続けることは簡単ではないんだ、ということを実感したからこそ、ここに貢献したいと更に、強く思えたんだと思います。

だから、”社会的変化に向けて灯されている意志の種火 の輝きを増す風”でありたいってめちゃくちゃ私っぽいな、と。(笑)

<編集後記>

ここで言葉にした社会的変化って、SDGだったり、ESGだったり国際的に詠われているサムシングで世界に関わることでないといけない、というわけではないんだよなぁと呟きたい。ものすごく身の回りにあることでもあって、立場や所属に関係なく意識として持ちあわせていることだと思うのです。

日本で民間企業とNPOに勤めた経験から、どんな事業や活動も究極的には目指していることは近いということを実感しています。
世の中にある課題(困りごと・ニーズ)を発見して、それに対してどうしたら解決できるのかあらゆるリソースを活用して解決策を創造して、活動を通じて何かしらのメッセージを発信して。
そんなことに取り組んでいる人って、考えてみたらとても身近にいませんか?
組織の形態や、役割の肩書きは関係ないわけです。
そんな人はどこにでもいる、
いて欲しい。
そんな願いもあります。
ただ、こういう変化が必要なんだ、と信じている意志の種火がエネルギーを増し続けられるように風を送り続けたい、そんな風に思います。

おまけ

実はこの対話の様子を動画に撮ってもらいました。恥ずかしながら。
ここに書いたことはほとんどそこで語っていることです。
noteに動画が上げられるようなので、後ほど投稿しようかと思うのですが、まず、文字にして届けてみようと思います。
動画の方は、語り方、アクセントの付け方、どもり口調など、そんなところからどのように私がそういう存在でありたいと願っているかということをみていただけるのかな、とそんな気がしています。
恥ずかしながら。


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