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しゃかりきがむしゃら馬車馬のようだった頃を振り返った話

みなさんこんにちは、Kakkyです。
前回の自己紹介を経て、ありがたいことに様々な方から反応をいただきました。
思い切って自分のことを出してみるのもわるくないかなぁ、と実感したものです。
昔の友人とも久しぶりに話すことがあったりして、ジョハリの窓の「自分が知っていて」「相手が知らない」窓が意外と大きかったことも知りました。
案外自分のことって話してるようで話してないことって多いものです。

そんな中で、ある学生時代の友人と久しぶりに話をしていて、こんな言葉をかけてもらいました。

「いつもガムシャラな感じだったよね。真面目で、一生懸命で200%目指してる感じで」

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ま〜、ドキッとしました。恥ずかしいところを突かれたような気がして。いや、確実に、恥ずかしいですね。(汗)

しかし、私的に一番驚いたのは私の反応でした。

「いや、そうなんだよね。しゃかりきな感じでね〜、あの頃は」

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その「過去の自分」を、私は「今の自分」として客観視して見ていました。
「過去の自分」は、シマウマのように視野が超絶狭くなっていて、周辺で起こっている他の動物の戯れや争いや、実は景色が変わってきていることにも気づけないままぶっ飛ばして走っている状態。

正直、イタイ奴、ってやつです。

何か隠したい、というよりは、なんだか愛おしいような。あ〜そんなに頑張りすぎなくてもいいんだけど(汗)、もうちょっと冷静に周り見てみなよ、と言ってあげたいような。

気がついたのは、私は過去の私が居た「あの頃」に自分の弱いところを見て、それを今は受け入れ始めてるのかなぁ、ということでした。
今日はそのことについて少し書いてみます。

弱いところに気づくということ

実は以前同じようなことを自分でも考えたことがあって。
でも、その時の感覚はこんな感じ。

胸がずーんと沈むような。喉のあたりまでもうすぐでおえっとまっくろくろすけのようなものが出てきそうな。
「もうやめてーーーっ!聞きたくないーーーっ!」
と頭を抱えてうずくまりたい気持ち。

完全に「過去と向き合いたくない、拒否したい」状態です。

そうなるのは、実は頑張った結果、素敵だったなぁと思える思い出より、あぁやってしまったなぁと残念に思う結果の方が強く思い起こされたからなんです。実際結構な失敗をやらかしてきました。その失敗で流した汗(しかも冷や汗系)と涙でプール作ったら結構たまると思う。

しかし、シャカリキしすぎて心も身体もつかれたなぁと感じ始めた時、そうし続けることに限界を感じた時がありました。

私、なんでこんなにがむしゃら、しゃかりきやってるんだろう

と、ふと思うわけです。

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私は強がってました。
実は諦めが早くて、できないことはできないと早く言いたくて、飽きっぽい。
最後までやりきれない負い目がどこかでずっとあったんです。
でも、そんな姿を見せると周りから「結局そこまでの人」「使えない」と言われることが怖くて。だから、強くみせないと選んでもらえない、埋もれてしまう、やりたいことができないんだ、と自分に言い聞かせてました。

ここまで言葉に出してみて、降りてきたのはいたってシンプルなこと。

強がるところ、弱いところだな。

弱いところを受け入れるということ

こうして言葉にしてみてみると、きっと自分の本来の自然な状態じゃないところに居たんだわ、と思えてきました。

身体の筋肉も鍛えれば強くなるし、ストレッチすれば伸びるっていうけど、腱鞘起こすレベルに痛めつけちゃったのかもしれないなぁ、と。

そういえば、昔こんなのも言われたことがあります。

「長距離を短距離走の速さで走り続けようとしてるよね」

もともとストレッチはあまり得意じゃないし、屈伸は小学生の体力検査の時から大の苦手。長距離を短距離の速さで?そんなことしてたら壊れます。想像したら逆に恐怖です。

しかし、こういう状態だったんだな、と自分のことを再認識できたことに私は私にグッジョブっ!と言いたい気分でした。

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じゃあその強がり、横に置いてみたらどう?

つまり「使えない」とか「結局ここまでの人」って言われるかもしれないけど自然体になってみたらどうか、と。

できないことはできない、って言ってしまうし。飽きたら、飽きたっ!って放ってしまうし。そんな自分を想像してみたら怖かったです。「え、ちゃんと責任持ってやってよ」と言われそうで。

でも、まだ未熟者の私が初めからできることなんて、考えてみればみじんこレベルのことだし、周囲の助けをいただかないとできないことばかり。
少しでも伸ばしたい、成長したいと思っている時には今の自分より背伸びしてやっと追いつくところにいるはずなんです。
自分で選んでそんな環境に身を置いてきていたはずなのに、どこかで「自分でできるもん」ばり(昔N●K子ども番組にこんなのあった)に鎧を着て強く見せようとしていたんですね。

その鎧、剥がしちゃえ。

そっか、そもそも強がらなくていいのか。弱いところみてもらって、適切に助けをもらった方がちゃんと前に進めるかも。そんな気がして、なんだか少しずつ軽くなってきました。

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学びを昇華するということ

多分、昇華するってこういうことなんだろうな、とここで初めて気づいたわけです。
いや〜な、もやぁ〜としていた気持ちの記憶が、ぱっと宙に浮いた感じ。そうすると、じゃあ次どうしようか、と次のことに前向きに考えられるようになりました。

強がってできますと言った手前、できませんというのは格好が良くない。信頼を裏切る。という前に進む気持ちをサポートしてくれない、という声も出てきました。

それも強がり。

多分このまま、出さないで行くと状況変わらないまま、結局伸びないで終わってしまうだろうと思うと、そっちの方が恐怖に思えてきました。
だったら勇気を出してみようと。

実際に、いろんなところに助けてください宣言をしたような記憶があります。その結果、ご迷惑をおかけした方々も多かったと思います。

でもですね、実際その期間を経て今思うことは、結果的に味方になってくださった方が増えたような気がするんです。私の場合は、できるだけ自然に近い状態でいるとのびのび、地に足つけて、お散歩してる感覚で頑張れる

一方で、強がるところもたまに上手く使えば良く働くこともあったりして。適切な速さで走ってみるとちょっと周囲の風景が見えるようになって、加速してもいいところがわかって調整できるようにもなった気がします。ここについてはまだ修行が足りない時もあって、たまに間違って爆走する時もあります。エンジン不足で止まることも(笑)ご愛嬌、ですかね。

今は、強がる弱さを乗り切ったささやかな自信のようなものもあって。

自分の弱いところを「それ弱いぜ」って言ってみると「あ、そうね。確かに。どうしようか」と自分と相談できるようになったような

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公開反省会をしたような感じですが(汗)
過去の私が居た「あの頃」に自分の弱いところを見て、それを今は受け入れ始めてるっていうのはあながち間違いでもないかも。

まだまだ弱いところばっかりですが、日々修練、って感じの日々です。
そんな時はとりあえず、自分にグッジョブあげておきます。

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なんだか聞きたくなったので最後に。

みなさんはどんな時に自分にグッジョブあげてますか?

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