見出し画像

今日、私は東京を出る

引っ越しの準備をしていると、色々とこれまでの生活を無意識的に振り返っていたので、それを言葉に出してみる。

東京に来たのは2020年3月。

人生で初めての一人暮らしの始まりだった。
(アメリカ留学中はホームステイ+同棲だったためノーカウント)

しかしその始まりはお世辞にもいいものとは言えなかった。

コロナウイルスの影響により、色々なことが制限された。

仕事は全てリモートワーク、人との接触はほとんどなかった。
人と直接話すなんてことはスーパーに行ってレジ袋をいらないと伝えるときぐらいだった。

飲食店のみならずフィットネスジムなどの施設も閉館。
仕事終わりや休日のストレス発散方法が断たれた。

その影響で自分の精神状態も悪くなり、体調も優れなかった。

また、直前までアメリカのド田舎の地域に住んでいたことも影響していると思う。社会人になる本当に直前まで、自然があふれる場所に住んでいた。
その状態から、一気に東京のような都市部で住み始めたので、そのギャップの激しさがかなりしんどかったのだろうと思う。


そんな状態で始まった東京での社会人生活。

この文章だけ見ると、東京での生活は良くなかったと感じる。でも、私は東京で実際に生活をしてみてよかったと思う。
なぜなら、私は本当に都市部は合わないということを肌で感じることができたからだ。

私はこれまで本当の都市部に住んだことがなかった。
実家(関西)も東京に比べれば全然田舎。
アメリカ留学中は本当のド田舎に住んでいた。

私は田舎で暮らすことはとても性格にあっている。
日本国内で言うと関西で暮らすことはとても性格にあっている。
自然が好きだから。関西の自然と都市の共存の形が好きだから。

しかし、それは単に私がこれまで関西でしか暮らしていなかったから好きなだけであり、まだ東京のような都市部に住んだこともないのに断言するのは少し難しい。


本当に関西が好きなのか

それを確かめることができた1年間だったので、私としては良かった1年だったと思う。

結論、私は関西が大好きだ。だからこそ、今回異動願いを出し、関西で新たに社会人生活を送る。

こんな私の純粋なWILLを尊重してくれたその会社には本当に感謝している。
何もこの会社が嫌いだから東京を出るわけではない。


一番避けたかったことが
「東京で働けない=その会社で働けない=関西で転職活動をする」

関西で転職活動をすることが嫌なわけではない。
ただ、今のこの会社を健全な理由なく辞めることが嫌だった。

私の願いは2つ(並列ではないが)
・関西で暮らすこと
・この会社で働くこと

この2つを実現させることに尽力してくださった先輩方・異動を応援してくれた会社の仲間・大学の友達、本当に感謝しています。


唯一の心残り

会社の仲間や大学の友達について考えると、東京から離れ関西に住むことは何もオールプラスなことではないといつも思う。

上記のnoteにも書いた通り、東京でしんどい時期には本当に色々な人に支えて頂いた。
そんな素晴らしい人たちと離れてしまうのは寂しい。

それが唯一の心残りだ。


長かったようで短かった1年。

次の1年間がどうなるか楽しみにしながら、東京をさよならする。


さらば東京。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?