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私がnoteを書く理由

私がnoteを始めたのは2か月ほど前。
ふと思い立ち「note書こう」と思った。

別に深い意味なんかない。
明確な目的なんてない。

ただやりたいと思ったからやっている。


自分の想いを言葉にすることで整理できる

noteを書いていていいなと思うのは、自分の想いを言葉にすることで整理できることだ。


例えば、私が過去に書いたものを例にしてみる。

このnoteでは「写真を撮るということは自分にとってどういうものか」を書いてみた。自分が好きなものや無意識的に好きでやっている行動に対して深く考えることは、あまり日常的には行わない。なぜなら、好きだから、何か理由付けをしなくてもやるからだ。

ただ、私は「写真を撮るということは自分にとってどういうものか」
これに対しての答えや理由を見つけようとして整理しているわけではない。
もっと自分のことを知るためである。

例えば、私が写真を撮るのが好きだ。でもプロがとった写真だけを眺めるのは好きじゃない。つまり、写真を撮るのが好きであり、写真が好きということではない。自分で写真を撮ることが好きということは、もっと細分化すれば、自分にしか取れない一枚をとることが好きということ。「自分にしか」というところが大事にしているところなんだろう。


写真が好きなことを深ぼることで、ただ写真が好きということにとどまらず、私は自分にしかできないことをやることが好きなんだろうという気付きを得た。

このように、普段あまり考えないようなことを、「noteを書く」という手段を用いて整理することで、おもわぬ発見があったりする。


自分だけではやらず、一般公開する意味

「自分の想いを言葉にすることで整理できる」
一人でやろうと思えばできる。
でも私はあえてnoteでやる。

なぜなら、自分とは違う人から様々なエッセンスを貰うためである。

自分の想いを言葉にすることで整理はできるが、あくまでそれは自分の中で立てた仮説にすぎない。主観的なものにすぎない。

自分とは違う人の意見や観点を取り入れることで、比較対象ができ、それをもとに自分のことをより知ることができる。

だからnoteに書き続ける。


ただインプットするだけでなくアウトプットをする

「他の人の意見や観点が欲しかったら、自分で書く必要はないんじゃない?」

自分の想いや意見がないまま、他の人の意見や観点を貰ったところで、それはただの情報にしかならず、比較材料とはならない。となると、自分のことをそもそも知ることにはつながらない。

だからアウトプットとしてnoteを書き続ける。






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