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黛灰の物語におけるアンケートという概念と今回の結果について
【諸注意】
当記事には一部若干のメタ的要素を含みます。今の思考を書き散らしただけのものなので今後変わる可能性は大。へ〜そういう考え方もあるんだ〜くらいのノリで読んでもらえると嬉しいです。
筆者の黛灰の物語の解釈については以下のnoteを閲覧願います。
【黛灰の物語におけるアンケートってなんだ?】
黛灰の物語には定期的にアンケートという形式でリスナーたちの意見を聞いてくることがある。
例えば2020年9月のこれらや
黛灰にはどう居てほしい?
— 黛 灰(まゆずみ かい)@にじさんじ (@mayuzumi_X) September 28, 2020
あなたたちが決めた自由は彼にとって
— 黛 灰(まゆずみ かい)@にじさんじ (@mayuzumi_X) September 28, 2020
先日(2021年5月21日)の
黛灰は
— 黛 灰(まゆずみ かい)@にじさんじ (@mayuzumi_X) May 20, 2021
これがそれに該当する。
黛が食べたご飯の写真がガビガビになってた時のものは若干違うかなとも思ったが黛灰のチャンネルにある再生リスト、『黛灰の物語』にも入っている配信(後述)と関係があるし、『認識のズレ』という点については接点があるような気もするので載せておく。
何か食べたい気持ちと外に出たくない気持ちで2時間ほど戦いを続けていた最中、舞い込んできたバンデラスさんのツイートに俺は────。
— 黛 灰(まゆずみ かい)@にじさんじ (@mayuzumi_X) January 8, 2020
俺は
— 黛 灰(まゆずみ かい)@にじさんじ (@mayuzumi_X) January 8, 2020
外に出ることにした。
— 黛 灰(まゆずみ かい)@にじさんじ (@mayuzumi_X) January 8, 2020
気だるく重たい腰を上げ、軽く髪を整え身支度をする。
向かうのは
少し歩いた先にある定食屋だ。
— 黛 灰(まゆずみ かい)@にじさんじ (@mayuzumi_X) January 8, 2020
(風つよ……。でも案外寒くないな)
しばらく歩き定食屋に着く。
店内に置かれた券売機に向かい、俺は
ブラウンソースエッグハンバーグ定食を押した。
— 黛 灰(まゆずみ かい)@にじさんじ (@mayuzumi_X) January 8, 2020
(なんとなく来ちゃったし、せっかくだからツイートでもしとこうかな)
ツイートに添付した写真に、リスナー曰く乱れがあるという。
— 黛 灰(まゆずみ かい)@にじさんじ (@mayuzumi_X) January 8, 2020
そういえば前にもこんな『認識のズレ』があったことを思い出す。自分の知らないところで自分のことが知られているような、そんな『認識のズレ』。
(もしかすると…)
動きがあったのかもしれない。
この先どんなことがあっても俺は
これらの黛が施設から外に出て定食屋に行ってハンバーグ定食を食べて…という一連の何気ない日常のようなアンケートたちは、2020年4月1日に配信がされた『【The Stanley Parable】敷かれたレールの上』にて使用されている。
これらのことがあったから、黛灰の物語を追っている人間からすればアンケートという存在は結構重たいものなのではないだろうか。2〜4個の選択の中からひとつ選ばなくてはならない。しかもそれらは黛灰のこれからを決めるものだ。
【なんでアンケートである必要があるんだ?】
ではどうして、アンケートという機能を使って我々視聴者の意見を聞いて物語を進めているのだろう。
デジタル大辞典によるとアンケートとは
『多くの人に同じ質問を出して回答を求める調査法。また、その質問。 』と書かれている。
今回(2021年5月20日)の場合、質問は『黛灰のこれから』で回答は『野老山の手を取り現実へと向かう』か『野老山の手を取らず野老山を削除する』だろう。正直言ってアンケートを言葉の本来の意味を持って行うなら、アンケート機能は使わずにgoogleフォームなりを使ってリスナーたちからこれからの意見を求めるべきだったのではと私は思う。
とはいえそれは黛灰の物語における『リスナー』の正しい立ち位置ではないだろう。黛灰の物語における『リスナー』とは『リスナーという一個体』だ。有象無象38万の個体の集まりではなくひとかたまりの『リスナー』という個体だ。例えるなら我々リスナーは『葡萄の粒の集まり』ではなくて『葡萄』とでも言ったほうがわかりやすだろうか。要するに、黛灰の物語で必要な『リスナーの意思』というのは『リスナーひとりひとりの意見』ではなくて『リスナーの総意』ということになる。民主主義か?
これらを踏まえてアンケートの内容を見てみよう。黛灰の物語における立ち位置で言えば第三者、我々と野老山と黛灰のそのさらに外側にいる人間は『野老山の手を取り現実へと向かう』か『野老山の手を取らず野老山を削除する』のどちらかを我々リスナーの総意にしたかったのだろう。あまりにもメタな言い方をしてしまえば、このふたつのどちらかがシナリオライターの描きたかった未来だったと言うわけだ。今回の場合は『野老山の手を取らず野老山を削除する』がシナリオライターの描きたかった未来にあたるのだろう。だから、今回のあのアンケートの結果というものはなるべくしてなった結果だと私は思う。正直言ってアンケートを総票数を0にするのは無理だ。Twitterのアンケート機能は最低でも5分間の投票期間が取られるようになっている。その間に黛灰のフォロワー39.8万人のタイムラインに流れていく。一票も入れさせないというのは流石に無理があるだろう。同じ理由でピッタリ50%50%にするのも無理だろうし、どちらか片方の票数を100%にしてもう片方を0%にするのも無理だろう。
【アンケートの回答の意味について 正しい答えはあったのか】
ここであのアンケートの回答の意味を意味をきちんと考えてみよう。
上の選択肢の『野老山の手を取り現実へと向かう』は、
『リスナーはバーチャルライバー黛灰を失う(おそらく)けれど、野老山は存在し続けたし黛灰はおそらく現実の存在になれた。』
下の選択肢の『野老山の手を取らず野老山を削除する』は、
『リスナーは黛灰を失わずに済んで、黛灰も成れるかどうかわからない現実の存在になろうとしなくて済んだ。けれどその代わりに野老山師匠を失った。』
ということなのだろう。黛が現実の存在になるというところが「おそらく」であるのは冒頭に貼った考察noteにも書いてあるとおり、『野老山が黛灰を現実にする方法について詳しい話をしていない』し『野老山が本当に物語の外に出られたのかどうかわからない』(後者については先日の配信で正解であることがわかってしまった。)からだ。
であるならば、黛灰に本当に成功するかどうかわからないことをさせるのではなくて今の場所に留まらせるのが最善だろう。1番恐ろしいのは野老山の手を取ったはいいが、黛を現実の存在にすることに失敗してバーチャルの存在である素体の黛灰もろとも消滅させてしまうことだ。けれど現実にさせない、今のままで留まらせることを選ぶことは野老山を消してしまうことになる。要するに我々は黛をバーチャルの世界に留まらせるか否かの選択をさせらるともに野老山を生かすか否かの選択も迫られていたのだ。しかもそれらふたつの選択には『黛をバーチャルの世界に留まらせて野老山も生かす』という選択肢は無かったのだ。2021年5月20日のタイトルの「.(ピリオド)」は「黛灰のバーチャル生の終わり」ではなくて「野老山という存在と偉大なる思想の終わり」だったかもしれないのだ。
【終わりに】
黛に危ない橋を渡らさせず、我々リスナーがこれからも黛のことを見続けていられる選択肢が黛にとっても、言ってしまえば黛灰の物語におけるシナリオとしても最適解ではあった。しかしそれは黛灰にとって2歳の時に亡くした両親の次に大切であろう人を奪う結果となってしまった。どう転んでも光の見えない結果となってしまった。これは正直我々や野老山や黛のさらに外側にいる第三者がバドエン厨なのが悪いと思う。我々のせいでも、野老山のせいでもない。でもその引き金を引いてしまったのは我々だし、きっとその発端は野老山と我々リスナーとの意思疎通がうまくいかなかったからなのだろう。
けれど全く光の見えない結果になったと言ったらそれは嘘だ。なぜなら野老山自身もデータの存在であるならば、バックアップまで完全消去されていない限りは修復してもう一度バーチャル空間に戻ってきてもらうことは可能だ。戻ってきてもらった後にまた野老山が黛を現実の存在にしようと奮闘し始めたら話は別だが。なぜなら先日(2021年5月20日)の配信の2:15あたりから野老山が感情をあらわにしたところでやはり野老山は黛を現実に降ろすということを成し遂げることで自分も崇高な存在になろうとしていたことがわかってしまった。なんなら黛を現実に降ろすことより自分が偉大な存在になることの方が優先度は高かったのだろう。毒親か?
もし今後野老山と黛をもう一度引き合わせられるようなことがあるのなら、その時は野老山が考えを改めていることを願うしかないのだろう。
そして先日(2021年5月20日)の配信において新たに浮上した「彼女」という存在(3:10あたりからを聞いてもらえればわかるが野老山は「天才とは彼女でも彼でもなくこの私だったのだ」と言っている)が誰でどんな存在なのか一切わからないし、ここまで話が進んだのに一切紐解かれない加賀美ハヤトという存在についても今回も何もわからなかった。黛灰の物語は独立していて他のライバーとは関係ないと明言があったらから加賀美ハヤトは関係ないのでは?と言われたら確かにそうなのだが、加賀美ハヤトと黛灰が出会ったのは彼らがバーチャルライバーになる前の話だ。要するに、ライバーでは無かった頃の過去の話であるのならば、関係がある可能性があるのだ。それらを含め、今後の展開を注視して、この黛灰に関する一連のことについて考え続けることしか我々ができることはないのだろう。
以上。
【2021/05/23 追記】
野老山が言っていた「彼女」という存在について、『鈴木勝の姉である鈴木悠理なのでは?』という連絡をいただきました。確かに野老山は『黛灰の物語』について「他のライバーは関係ない」と言っていましたが、「他のライバーの親族も他のライバーと同様に関係ない」とは言っていないので、野老山が言っていた彼女=鈴木悠理である可能性は十分にあると思い、追記させていただきます。
こちらの43:20〜から彼女(鈴木悠理)の独白が聞けますので参考までに。
【リンク一覧】
黛灰
https://www.youtube.com/channel/UCb5JxV6vKlYVknoJB8TnyYg
黛灰の物語 再生リスト
https://youtube.com/playlist?list=PL9RNvrP87_1VSPnS--lUXKWUikkdCVOAw
黛灰に関する所長の記録
https://www.youtube.com/c/MayuzumiX/community
2021年5月20日の配信 「.」
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