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前提揃え感覚の欠如。みんな頭いいはずなのに。

あのニュースの、コロナ感染者数地図は、イチ記者がJAVAで作ったものだったんだって!この記事、繰り返し読みたい。

公的機関によく見られる「エクセルからわざわざPDFに変換してメールで送る」ところや、急にフォーマットが変わるところもあります。「デジタル庁」にはこうした状況の改善を期待しています。

https://www.nhk.or.jp/d-navi/note/article/20210830.html

これは私の職場もだった。それぞれがその時々で色んな形でアウトプットして、決まった様式なく前後横との関連もあんまりない。だから、お互いにお互いの枠組み、やっている事が理解出来ず、仕事がどこまでも属人化していく。わりとお互いに「自分のやった事、誰も見てくれない。協力してくれない」と言ってる気がする。

こういう感じ、単純にアウトプットされるドキュメントのファイル形式が、、、という問題だけでなく、もっと普段の私達の行動レベルで支配している根みたいなんがあって、それは「前提を共有しない」という事だと思う。
これでかなりコミュニケーションミス起きてる気がする。「誰も自分の意見を聞いてくれてない」とお互いに言ってるのも、相手の前提を解ろうとしてないからなのでは。

こういう、前提を共有しようとする試みは、「前提を揃える」という作業から発している気がして、なんていうか、作業性がある。だから、単にコミュニケーションスキルとかで、「心がけて」解決する事でなさそう。手を動かして初めてわかる‥みたいな。
実際、私が「前提揃え」を仕事の中で実感、体験したのは機械の遠隔操作や、分解組み立ての作業の中でだった。作業に移る前の前作業、準備をきちんとしなければ、そもそも仕事にならなかった。エンジニアとのコミュニケーションも。

今の職場の人達は、「頭を動かす」事が頭の良い人間の正しい働き方だと多分思ってて(実際頭の良い人が多い)、それは分業進んで、資源は自由に切り貼り出来て、効率化をしない理由なんて無い現代における現代的合理的な考え方なのだけど、一方でホリエモン的感覚の悪い部分を煮しめたような現代的老害思考かもしれない。他人事みたいに言ってるけど、自分もなのよ。
だから、作業を軽んじてる。
今の職場の人達に特徴的なのは掃除をしないという事なのだけど、それもそういう事と思う。(実際、自分の部屋ならいざ知らず、他人と共有してるスペースを掃除するとなると、沢山の前提と向き合わないとならないし、合意形成が何回も必要)

そういう、作業軽んじてる感じが、前提揃え感覚の欠如になって、お互いに真剣にものを言っているつもりが、お互いに浮足立って歯の根が浮く様な事を、己の人格だけを根拠に言い合っている様な虚飾感覚を生んでいるのかもしれない。

先日古書市に行った際にちらっと読んだ外山滋比古の本にも似たような事が書いてあった、「頭ばっかり動かして、全人的な力を失っている」と。
ただしこうした論自体もまた、頭をこねくり回して書いたという味わいがあって、観念論にはまり込む事を否定するための観念論という皮肉だ。

私も、こういう文章を書いている暇があったら、掃除のひとつでもしろという事だ。
これはただの思いつきだけど、、オブジェクト指向というのは、なにもプログラミングの世界だけでなく、こういう事、前提揃え感覚の欠如を解決するためにあるんじゃないか。少し考えてみたい。

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