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【杜若日記】吉原とは切花である…大吉原展に行ってきた

大吉原展に行ってきた

会期終了が5/19(日)に迫る、大吉原展へ行ってきた。
なんか炎上したのよね〜、女性軽視だって話で。
たしかに、入り口入ってすぐのデザインを担当された方の高揚感あるメッセージからは、炎上前の空気感がうっすら反映されてるような気配を感じた。
(ロゴとデザインワークは最高にクールだと思ってるよ!)

先に言っとくけど、私は別にフェミニストではない。
ただ、社会的な側面から見た売春、吉原のシステムと文化、本当の遊女の生活と姿…そこで働く者の悲哀。
そして華やかな文化。
そういった事に若い頃から関心がある。
というわけで、兼ねてより行こう行こうと思っていた。

大吉原展は歴史的な側面と、美術・文化的な側面を深掘りした展示であった。
まぁ当たり前よね、藝大がやってるんだから。

吉原といえば花魁。
吉原の華…その華にも苦労はあったようだ。
お客様にお手紙を書いてる絵がチラホラ。
なんかこれはもう、現代のクラブホステスやキャバ嬢と変わらない営業ってヤツじゃん…という感想を持ってしまった。
花魁はお客さんを選ぶ立場だと何かで以前見たけれど、全然営業してたのね。
…分かるわ。
これが素直な感想であった。
かくかくしかじか。

それより気になったもの。
まず、禿(かむろ)という子どもの存在。
いや、もちろん知ってはいた。
けれどおびただしい数の浮世絵の展示、どこにでも登場する禿。
この子達…どんな人生観の大人になったのだろう。

そして、下級遊女。
吉原遊郭の中に入る事すらできず、場外で営業する下級遊女の存在。
当然以前より知ってはいた。
現代でいうと、立ちんぼとか呼ばれるような…そんな世界だったりするのかしら?
(ごめんなさい、想像の域を脱しておりませんので、不適切でしたらご指摘ください)

吉原遊郭だって地獄だったと思う。
けれど一応幕府から公認されている遊女に対して、何の保証もなく自力で客を取り、時間制で仕事を回す…
下級遊女の彼女たちの劣悪な環境を思うと涙が出そうだ。吉原だって、みんなが花魁だったわけじゃない。

でも、大吉原展はそういう事を社会的に扱うのがテーマではないので、また別の話だね。

で、大吉原展の本筋に関する感想は以下の一文に集約したい。

人々が未だに遊郭文化に惹きつけられる理由。
それは、【切花の美しさ】がそこにあるからではなかろうか。
浮世絵を見ていれば誰でも分かる。

彼女たち遊女は、「商品」なのだ。

遊女は、切られた瞬間が美しさの最高潮の切り花宜しく。
故に大事にされる。

私は現代にも、切花の女の子達はいると思う。
若く美しい時間制限のある切花の美は、いつの時代も輝かしい。
しかし代替品は常にある。
だから搾取されるのだ。
金銭と交換の、性の再分配とも言うかもしれない。

女性蔑視とか軽視とか言われるのは承知の上。
この歴史の文化だけは愛でよう。
女性が持つ美しさは、女として謳歌しよう。
そして、これからの世の中、性的に搾取されるよりなかった女の子がこの世から一人でも減るといい。

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