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やるべきことはまだある:修論のその後

10日ほど前に、修士論文の提出&発表を無事に終了。
論文執筆期間は、寝ても覚めても考えるのは論文のことばかり。発表会が近づけば、質疑応答で苦しめられる様子が夢に連日出てきてしまって、毎日過ごすのが精いっぱいなところもあったけれども、なんとかやり切った。

最近は、「今日はどうするか…」と考えながら起きて、とりあえず研究室に行って、引継ぎやデータ整理、研究室関係の雑務、卒業・新生活準備を思いつくままにこなしている。ちなみに、博士進学はせず、4月から新社会人の予定である。

目標や存在意義を見失って、虚無になってしまうほど、怖いことはない。「今日も1日、ほどほどによく生きたなぁ」と思えるように過ごしている。

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修論が一段落したにも関わらず、ほぼ毎日、夜まで研究室にいる自分を見て、学部3年生の後輩(研究テーマの割り当ては4月から)が一言。

「論文終わって自由なのに、毎日何してるんですか?」

研究室に配属されてまだ半年、自分で研究する日々をほとんど経験していない3年生には無理のない話である。「人生最後の夏休み」とも言われる大学生活、課題もテストもないなら遊ばないのか、というのは自然な発想だと思う。

「研究室」とは、飽くなき探求心に突き動かされる日々の鍛錬と、名もなきお人好し行動の積み重ねでできているものだと、勝手に思っている。

飽くなき探求心に突き動かされる日々の鍛錬は、実験や文献精読などなど、研究活動そのもの。これがないと、論文や業績はおろか、ゼミで発表するような進捗も生まれない。

名もなきお人よし行動は、研究室という空間が研究しやすい場所であるようにしたり、生活空間として居心地のよい状態にしたり、事務さんからお願いされる諸々だったり、名前をつけるには難しいけれども、誰もやらなかったら研究室という空間が維持できなくなってしまうことたちのこと。掃除・ごみ捨て、整理整頓みたいに呼称があるものもあるけれども、ひとりひとりが意外と気を利かせてやっていることがあるから、研究室がどうにかなっている。

研究データの整理と引継ぎも、「次の人のために」と思っていないとなかなか頑張れない。だって、自分の手と頭でやるべきことは終わっているのだから。でも、それで困るのは後輩たちであって、研究の発展性は弱まってしまう。

やるべきことはまだまだある。学部のときからお世話になった恩もあるけれど、自分が修士論文としてまとめあげたことも、現在進行形でみんながやっていることも、点ではなく線で、研究室の明日につながっているはずなのだから。

研究室を中心として生活するということは、研究をするためだけではないということも、先輩として上手く見せていきたい。
「研究内容がすごかった」ではなく、「研究室を回すのが上手だった」で先生の記憶に残る学生になるのも悪くないと思ったりもする(笑)。

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