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”人生”に思い悩んだ"あの日"から vol3

価値観の創造と破壊

陸上競技での失敗を通じ、それまで心の拠り所とよりどころとしていた価値観=「努力して、何かを達成することが最も優れた生き方だ」は無残に崩れ去りました。そして新しく、より強固に価値観を再構築しました。

それは「価値観の優劣を証明できる術はない。ならばもっと自由に、羽を広げて生きていこう」というものでした。


強い価値観とは何か?

自分の考え方や価値観が、失敗や挫折によって否定されたとき、さらにそれを信じ続けるのは苦しくなります。今までの自分を信じて頑張ろうとしてもなんだか芯から力が入らない感じがします。

そういったとき、自分の価値観や考え方を築き直そうとしますが、一度信じていたことが崩れ去る経験をすれば、新しく自分の生き方を見いだし、一歩踏み出すのはとても勇気がいることです。

だからこそ、私は自分の価値観に普遍性を求めました。だれから見ても否定のしようがない。そういった価値観を築こうとしていきました。悩んでいた高校生の当時は無自覚でしたが、あとから考えてみれば、一歩踏み出す勇気を持つために、絶対的であることを求めていたのだと思います。

悩み始めた当初、「だれから見ても、優れている価値観は何か?」ということが頭の中心にありました。しかし、それを求めれば求めるほど、絶対的な価値観など存在しないことに気がつきます。なぜならば、価値観の優劣を決める基準がないからです。計りようありません。

なので「誰から見ても、絶対的に優れている価値観が存在しない」ということ、証明されるわけです。故に「あらゆる価値観、生き方が等しく認められる」訳です。

難しいことを言っているようですが、自由に生きていいんだということを、どこまでも理屈で突き詰めて考えただけです。


その後。。。

価値観や考え方がまとまった私は結局、陸上を最後まで続けることになります。きっと最初から陸上競技は続けたかったんだと思います。しかし、思い悩んで自分の考え方を整理していなければ、きっと最後までやりきることはできませんでした。

もちろん今でも、「絶対的な価値観がないからこそ、どんな価値観も認められる」という考え方は私の中で根付いています。


どう生きるべきか?

私を含め、人は"人生のガイドライン"や"心の拠り所"がなければ、生きていくのが困難になるのではないかと思います。理屈や合理性だけでは行動できないのだと思いますし、ある意味、自分の行動が自分の考えた枠組み(アウトライン)に収まっていることに安心するのだと思います。

それ(ガイドラインや心の拠り所)が本来、宗教であったり、伝統であったりするのではないかと思います。しかし、現代人はそういったものの恩恵をうけることは多くありません。

だからこそ、"悩む"という作業は必要だと思いますし、決して劣等ではありません。楽しく生きている人のほうが優れているように見えるかも知れませんが、人生に悩むことができる人は人生に誠実です。悩むという言葉を使うから悲観的に見えますが、もっと肯定的に、前向きに悩めばいいのだと私は考えています。


長文の拝読、お疲れさまでした。楽しい週末をお過ごしください!

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