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”何もしない”ことの方が難しいと気がついた。


"何もしない"”努力しない"ことの難しさ。

"何もしない"というのは、全く何もしないということではありません。本記事では"努力"しないという意味で使っています。休日に映画をのんびり見たり、カフェでほっと一息とコーヒーを飲んだり、そういうスローライフ的な生き方ことを指しています。

もちろん、スローライフがだめといっている訳ではありません。むしろ私は休日や余暇の時間にゆとりがある人に憧れがありました。なんだか充実しているように見えて、何より今を楽しんでそうで、うらやましくなります。いわゆるスローライフに憧れがあり、出世や競争の人生とは一線を画した豊かな人生を送りたいと思っていました。



今を楽しみきれない私

私自身、家で映画を見たり、ゲームをしたり、カフェでゆったりするのは大好きです。ですが、毎週休日にそうした過ごし方を続けるのはかなり大変です。途中から焦りが出てきます。

それはというと、「こんなことしていていいのか?もっと時間を有効に使えるのでは?もっと成長できるのでは?」と何かに駆り立てられるかのように焦りが出てきます。こうなってはもう今を楽しむことはできません。では、どうしたら、今を楽しんで充実感のある豊かな時間にすることができるのか?自分なりにじっくり考えました。



逆転の発想

充実した豊かな生活をできない自分にずっと自信を持てませんでした。スローライフに憧れ、どうすればそうなれるのかとずっと考えていました。しかし、そこに答えはありませんでした。答えは「自分はスローライフを送れない人間である」という自己認識と開き直りでした。重要だったのはスローライフへの憧れを捨てることでした。



憧れを捨てて、その先へ

スローライフへの憧れを捨てるという決断が、私自身の思考を次の段階に押し上げてくれました。今の自分自身を認めること。いわゆる"ありのまま”を肯定すること。それが私の導き出した答えでした。スローライフを送れない私ですが、裏を返せば、

「スローライフを送れない。=成長したい。自分を高めたい。」

という風にも取ることができるのです。「今を充実させたい。」という現在に対する欲求もあれば、「成長したい。夢の実現ために努力したい。」というような未来に対する欲求も確かにあるのです。両者どちらが良い悪いとかいう話ではありません。その相反するような2つの欲求を同時並行的に持っているのが私でした。それこそ"ありのまま"の私です。



我が道に全力

「今を充実させたい」という欲求と、「未来のために努力したい」という欲求があるならば、両者を全力で肯定し、とことん満たしていこう。スピードを上げていこうと考えました。

ゲームがしたくて、勉強がしたいなら、どっちかにしようではなく。ゲームをしながら勉強をすればいいではないか。そしてゲームしながら勉強する上でもっといい方法を探そう、トライしていこうと。そういう風な考え方になりました。

ばかげているかもしれませんが、ウジウジ悩んでいる時間はなくなります。自分のやり方に割り切って、また開き直って全力を出すとすっきりします。



最後に

ゆっくり、だらだらと生活するのは、意外と難しいのかもしれません。休みの日はゆったりしたいけど、何かに向かって頑張りたいという矛盾に悩まされるなら丸っとそれを認めてしまって、アクセルを踏みきってしまおうという話でした。

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