意思

 私が自分の意思が強くなったことを自覚したのは、家庭環境ががらりと変わった高校生の時期だった。それまでは親の言うことが全てだったが親の言うことを疑い自分なりに知識をつけて反抗しようとした。

サイレントマジョリティ
 「どこかの国の大統領が言っていた。(曲解して)声を上げない者たちは賛成していると」サイレントマジョリティより。ちなみにサイレントマジョリティは「物言わぬ大衆」「物言わぬ多数派」という意味で、積極的な発言行為をしない一般大衆のことを指すそうだ。何となく意思をテーマに書こうとしたときに頭に浮かんだのがこの言葉であった。

支配するもの・されるもの
 
本当に良い人は弱者の意思を汲もうとするが、おそらく上に立つ多くのものにとって、弱者の意思は邪魔であろう。だからなのか子どもたちの「意思」に特化する取り組みは比較的少ないように感じる。子どもの権利条約を知り、その意味を理解している子どもが果たしてこの国の何割を占めるのだろうか。

意思があるが故の苦しみ
 
意思を持った者同士の対話から新たな意思が生まれることもあれば、ぶつかって見失うこともあるだろう。対話は互いの意思がなければ充実しないし、言ってしまえば無駄なので、子ども達には意思を育む働きかけが大事だし、大人は自ら意思を持って定期的に見つめなおす必要があるだろう。しかし意思を持たない選択をしている大人が一定数存在しているのではないかと感じている。それは、意思を持たなくてもそれとなく周囲に合わせて生きることができるからなのかもしれないし、意思を持ったことがあるが、どこかのタイミングで痛みを知り、捨てたのかもわからない。

意思を持つことは、世界を信じて生きること
 
意思を持ち、その意思を他者に伝え、実行するまでの一連の流れは、この世界に対する安心感がなければ成立しないと考える。子どもは親との信頼関係によって育まれる「心の安全基地」の存在によって外の世界を探索でき、戻ってきたときには喜んで迎えられると確信することで帰還することができる。この概念と似ているのではないかと感じている。世界とまではいかなくても自分自身の周りを信じて生きられるかどうかが、意思を持って生きられるかどうかのカギとなってくるのではなかろうか。


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